飯能河原天幕実習1

朝

05:30
外はすでに明るくなりつつあった。寒さとカラスの鳴き声で目を覚まさざるを得ない。それにしてもやかましいカラスだ。いまいましい。

07:15
7時には全員起床の予定だったが、失敗。朝食当番のおかでんが一人起き出して朝食の準備にとりかかる。しばらくしてみんなのこのこ起き出してきた。

固い床、寒さ、カラスの鳴き声、天井全てが夜明けと共に明るくなるテント。

これで熟睡しろというのが無理というものだ。体が順応するまで数日はかかりそうだ。

特に今回は砂浜ではなく、河原にテントを構えている。そのため、寝場所が悪いと居心地の悪い石の上になってしまい、一晩中変な指圧を受け続ける事になる。テント設営時に凶悪な石は全て取り除いたとはいえ、寝てみるとまた違った印象があるものだ。

神島の時は、「日が高く昇る前に、なんとか流木集めを・・・」と必死になっていた。だから、夜明けと共に飛び起き、低血圧もなんのそのですぐさま作業に取りかかったもんだ。しかし今回は違う。なんとものんびりとしたものだ。

朝ご飯満喫

07:45
朝起きてまず何をしなければならないかというと昨晩の夕食の後かたづけ。皿を洗わないことには朝食が食べられない。そして各自寝袋をテントから引っぱり出して天日干しにする。

08:30
例によって湯が沸くのがすごく遅かったが、朝飯完成。「キムチ棒ラーメン」の完成である。昨晩残った米も混ぜて怪しげな飯になった。後で調べたところ、水の量が規定量の1.5倍近く入っていたことが判明。道理で薄味だったわけだ。

まだ寒い時期なので、夜が明けるとテントの内外は結露がもの凄かった。そして、寝袋も人体から発せられた湿気でしっとりとしている。朝食当番以外は、まずはもろもろのものを「干す」事から一日は始まった。

一方、今朝の料理当番であるおかでんはラーメンを作成中。キムチを突っ込んだ上に、昨晩の残り飯も突っ込んだごった煮状態の棒ラーメンだ。

棒ラーメンをご存じ無い方に説明しておくと、その名の通り棒状になっている乾麺のラーメンの事だ。マルタイという九州のメーカーが作っている。束ねてあるので、見た目はそうめんのようだ。そのコンパクトな形状ゆえ、山屋の人たちから絶大なる信任を得ている品だ。山でラーメンといえばこれ、と断言しても過言ではないくらいだ。ただし、1990年代では、の話だが。フリーズドライ食材が普及した2000年代以降も信任を得ているのかどうかは不明。

山屋である兄貴の影響下にあったおかでんは、そのまま山屋文化をキャンプに持ち込んだというわけだ。でもよく考えると、食材調達の利便性が良い飯能河原で棒ラーメンを敢えて食する必然性ってないんだよな。当時は、「山登りやってる人たちと同じものを食べている」というのが格好良いと思っていたんだろう、きっと。

ちなみにこの棒ラーメン、細麺であるが故にゆで上がりが早い。燃料制限がつきまとう山上ではありがたいが、逆に言えば一歩間違えるとぐだぐだのゆですぎになってしまうということだ。案の定、ゆですぎになってしまい、わけのわからん食事になってしまった。

枝を拾ってくる

09:00
食事の後かたづけが済むととりあえず暇になってしまった。薪を集める必要がないということが、どれだけ時間に余裕を与えるかということをつくづく実感。どこかへ行くのも良いのであるが、神島の時みたいにのどかな環境とは違う。ちょっとでも目を離そうものならすぐにでもバーベキューをしに来たガキ共にテントを壊されてしまうに違いない。というわけでテントの近くでブーメラン(神島にも持ち込んだ、三角形をしたやつ)を飛ばしてみたり、川の上流から流れてくるゴミを石で狙い打ちしてみたりして時間を潰す。

10:00
ちぇるのぶとしぶちょおが買い出しに出かける。おかでんは留守番としてキャンプ地に留まった。

11:00
何としてでもキャンプファイヤーがやりたいので、買い出しから戻ってきたちぇるのぶとおかでんで薪を探しに出た。しかし、しょせん河原である。大した薪などあるはずがない・・・と思っていたら、偶然にもおかでんが杉の木の下で、枝打ちされた枯れ枝を大量に発見。これで薪は十分にまかなえることになった。

朝起きる時間が遅かったにも関わらず、朝食後すぐに暇になるというこの時間の流れっぷり。神島の時とは大違いだ。あれは一体何だったのか。拷問だったのか、それとも虐待だったのか。

とはいえ、汗でドロドロになりながらひたすら働く神島スタイルの方が好きだ。ゆったりと時間を過ごすのに慣れていないので、キャンプとはいえあくせく働いていたほうが気楽だからだ。

安心したまえ、今年もまた夏になれば佐渡島の砂浜合宿が待ちかまえている。神島同様、逃げ場の無い日差しに照らされまくることになるだろう。

今回、暇な理由は「薪で調理をしていない」に尽きる。これによって、二つの効果があった。一つは、単純に薪の調達が不要になったということ。そしてもう一つは、たき火にあぶられ、ススで真っ黒になる鍋釜類の洗浄から開放されたということだ。食前と食後、二重にお手軽。直火で調理するのは手間暇考えるとなかなか難しいってこった。

昼食準備

11:30
しぶちょおが昼飯の支度を始める。今日の昼飯は焼きそばである。本当ならキャンプらしくでかい鉄板の上でやりたいところであるが、今回は小さなフライパンの上で。

山にも持って登れるような小振りなガソリンストーブのみを調理火力としたからだろうか、この天幕実習ではシンプルな料理が多かった。まだお互いキャンプにおける料理の姿、というのをよく理解していないので、どこまで気合い入れて調理すれば良いのか図りかねたからだろう。

何度も飯能河原で天幕合宿を重ねていくにつれ、しまいには燻製まで始めるようになっていったが、それは数年後の話。

昼食

12:00
昼食。今までの食事はいつも予定時刻より遅い時間にずれ込んでいたが、今回は素早くいったので良かった。しぶちょおがそば1玉落っことすというアクシデントを除けば、問題なし。

30分で調理完了、お昼ちょうどには昼食・・・

なんという段取りの良さ。驚きだ。

なお、焼きそばはマルチャンの3玉1袋の定番な奴が使われたわけだが、そのうちの1玉分が地面へどすん。総量の1/3を失うという悲劇に見舞われた。連帯責任で一人2/3玉の配給で昼食開始。

泳ぐ二人

↓事件後

メガネを失う

13:00
テントすぐそばのちょっとした川の淀みに「午後の紅茶」がペットボトルごと沈んでいるのを発見。騒然となる。潜れば捕れない深さではないのだが、4月初旬の水はまだちょっと冷たすぎる。
しかし、おかでんとちぇるのぶが敢然と川の流れに身をつけた。おかでんはその寒さに震え上がり、腰までしか水に浸かることができなかったが、ちぇるのぶは何の躊躇いもなくザンブと潜り、見事ボトルをせしめることに成功した。
しかし、何をとちくるったか水に潜るときにめがねを装着したままだったため、水からあがったときにはすでにちぇるのぶの顔には眼鏡なし。

この天幕実習最大のでき事。それ故に、1994年当時のレポートでも詳細に記述がされている。敢えて2008年の今、書き加える事はない。

眼鏡が無くなる直前と無くなった直後の写真が偶然にも残っているのが、哀しい。写真を撮りながらしぶちょおはげらげら陸の上で笑っていた。彼はこのクソ寒い中水の中に入るという愚行には出ず、傍観者の立場を貫いた。

ちなみにおかでんはちゃんと眼鏡を外して川に入っている。

パンツ姿でメガネ捜索中

14:00
ちぇるのぶの眼鏡探しが始まってから早1時間が過ぎ去っていったが、いまだに見つからず。深みに沈んだままなのか、それとも急流に飲まれて流されてしまったのか。

川底に沈む午後の紅茶を発見することはできても、さすがに眼鏡となると難儀だ。何しろ相手は透明だ、レンズ目当てで探しても見つかるわけがない。か細いフレームのみをひたすら探す事になる。・・・見つかるわけあるか!

とはいっても、面白いもので眼鏡が無くなると途端に人間という生き物は弱くなってしまうらしい。ちぇるのぶもしかりで、すっかりしょぼくれ、やる気を失い、「前がみえん」としきりにぼやきまくっていた。可哀想なので、手分けをして川のあちこちを探して回る。視力をほとんど奪われたちぇるのぶは探索能力に期待できないので、おかでんが探すしかない。えーと、どこへ行ったのかな・・・。

ふと気がつくと、パンツ一丁姿の青年2名が川の中をうろうろしている構図。なんとも薄気味悪い。しかも、ちぇるのぶは小学生がはくような白いブリーフ。そのブリーフが水に濡れて肌に密着して、もう。

「卑猥だからちぇるのぶ、服を着ろ!」

しぶちょおから注意を受け、ちぇるのぶ退散。残されたトランクス派のおかでんは一人捜査を続行。とりあえず上着は着たが、下半身はパンツのみという相変わらずの変質者っぷり。

寝袋

15:00
眼鏡捜査を断念。ちぇるのぶは午後の紅茶330円也のために2万円強の眼鏡を失う結果となった。

結局2時間近く捜索を続けたが、全く行方知らずだった。さすがにこれ以上は無理、と眼鏡を断念。午後の紅茶、高くついたな。

夕食準備開始まで暇なのでくつろぐ。写真は、寝袋を着た状態のおかでん。「マミータイプ」と呼ばれる寝袋で、頭まですっぽりとかぶることができる。夏だけの寝袋だったら、「封筒型」と呼ばれるごく一般的な寝袋で十分だし快適だが、4月のようにまだ寒い季節、マミータイプでないと寒い。

・・・いや待て、この寝袋でも夜寒かったぞ。なぜだ。それは写真を見てよく分かった。この寝袋、顔の部分を巾着袋状態に絞り、外気を遮断する仕組みになっている。外に出ているのは顔の部分だけ、というわけだ。しかしこの寝袋、おかでんが中に入ると「顔だけ外に出す」状態になっていない。目が隠れ、その代わりに首の部分がむき出しだ。要するに、おかでんの身長(178cm)と寝袋のサイズがあっていなかった、ということだ。道理で冷えるわけだ・・・。首のところからどんどん冷気が寝袋の中に入っていたわけだ。

飯能河原

16:00
中学生らしいクソガキが13人ほどテントの近くではしゃぎ回っている。女も半分近くいる。とにかくうっとおしい奴らだ。崖をよじ登ってみたり川に枯れ竹を渡して平均台の要領で向こう岸まで渡ってきゃあきゃあいってみたりしている。ただでさえむかつくというのに、よりによってそいつらが、われわれのドリンク冷蔵保管所からお宝の午後の紅茶を引っぱり出して何かしゃべっている。あっ、この野郎とちぇるのぶが止めに入って事情を聞くところによると、どうも先ほど午後の紅茶を誤って川に流してしまったというのだ。それだからここに転がっている午後の紅茶が自分たちのものではないかと思って拾い上げた、という。時系列があわないので偶然の一致による別物だろう。仮に同一のものだとしても、死んでも渡してなるものか。ちぇるのぶが眼鏡をなくしてまでせしめた大切なものなのだから。

われわれが眼鏡の犠牲を伴って確保した午後の紅茶。それを無断でもてあそぶ輩がいたので、ちぇるのぶが本当に血相を変えてテントから飛び出して行った。これほど彼が頼もしいと思ったことは後にも先にもない。

それにしても、「クソガキ」などと不必要に汚い言葉で罵ってるな。当時はあんまり心に余裕が無かったのだろうか。

写真は、飯能河原のメイン会場となっている場所を写したもの。さすがに16時を回っているので随分と閑散としてきたが、さすがにここでテントを張って居住する気にはなれない。向かって右側が飯能駅方面で、駐車スペースもあって一番の好立地。そして狭い川を挟んだ左側は、丸太橋で対岸とつながっていて容易に行き来ができる。左側にトイレあり。

テント方面

そして、われわれが陣取っているのがこの二つの河原の下流に位置する場所。

写真は、トイレがある河原から撮影したもので、中央奥に緑色のテントが見える。この位置関係でわれわれは今回陣地を敷いた。

キャンプ地のある河原と、上記2つの河原とは直接行き来ができない。丸太橋も無いし、徒渉しようにも川が深くて流れが速いために無理に等しい。そのため、ちょうど頭上を貫通している橋を渡る事になるのだが、橋にたどり着くために河原から崖を登り、橋を渡ったらまた河原まで下らないといけない面倒さがあった。

水を汲むためにはトイレに行くしかないのだが、重いタンクを抱えて、アップダウンを伴う迂回ルートは結構しんどかった。

夕食準備

17:00
ちぇるのぶが食事の準備にかかる。賄い付き寮に住むため、メンバー3人の中では食事に関していえば一番の素人である。だからどうなるかが心配ではある。

メニューはカレー。残りの二人が頑強にシチューを要求したのであるが、押し切られてしまった。ちなみにちぇるのぶ家ではカレーにタマネギを入れないらしい。全く信じられないカレーだ。

当番制を敷いている今回の食事担当で、ちぇるのぶが初めての調理。

カレーには玉ねぎを入れない、と聞いてしぶちょおとおかでんはあぜん。「溶けて見えなくなっているだけじゃないのか?」と念押ししたが、そうではない、初めから入れないのであると自信満々の回答。家庭によっていろいろなカレーがあるもんだ。

薪を用意

ちぇるのぶがカレーを煮込んでいる間、おかでんはたき火の準備を。

大きな木を集めてきたわけではないので、ナタやノコギリを使う手間が省けた。

ただ、たき火設置場所は注意が必要だ。近くに茂みがあるし、民家だってある。そして重要なのは、たき火の最後に爆破タイムがお待ちかねということだ。爆発炎上したたき火の火の粉で、どこかが火事になってはかなわん。

神島での経験上、さほど火の粉は広く散らないということが分かっていたが、念を入れてできるだけ川の近くに木を積み上げておいた。とはいっても、あまりに川に近すぎると、われわれの食事場所から離れてしまいそれはそれで寂しい。さじ加減が微妙。

夕食

19:30
夕食開始。神島の時はまだ日が暮れないうちに夕食を食べる形であっが、今回のキャンプは意図的に日が暮れてから、ショコラの明かりの下で夕食という形を採った。情緒があってとてもよろしい。空には大きなオリオン座が見えていた。

ティラミス1つでは4合しか米を炊く能力がないので、せっかくのカレーながら、腹いっぱい食べることは不可。少し残念。おかでんは相変わらず一人でビールと日本酒をやっている。

ショコラだのティラミスだの、紛らわしい名前が多い。ショコラはランタンの事だが、ティラミスって何だっけ?と記憶を辿ってみたら、飯ごうのことをこう名付けていた事を思い出した。うわ、時代だねえ。1994年当時、最先端のデザートといえばティラミスだった。あまりの人気で、原材料の一つであるマスカルポーネチーズが不足する、なんて事があったっけな。

キャンプファイヤー

20:30
ひととおり食事が済んだら次はお待ちかねのメインイベント、キャンプファイヤーの始まりである。枝にたくさんの枯れ葉が付いているため、もの凄い勢いで燃える燃える。新聞紙とかがなくても簡単に火がついたのは良かったのであるが、その代わりに薪の消費量がべらぼうに多くなった。そしてみんな適当にお酒も入ったところでいつものなつかしのアニメソング大合唱。

この当時は、ようやく通信カラオケが普及しはじめ、カラオケボックスなるものがあちこちにできた時代だった。それまではレーザーディスクが主流。新曲を逐一サポートすることなんて到底できなかった。そのため、全員で歌う、歌えるような曲というのは案外少なかった。

で、その結果行き着いたのが「アニメソング大合唱」なわけで。オタク的というわけではなく、単に共通で知っている曲が子供の時に見たアニメだった、というだけの話だ。

盛り上がる人達

ひたすら歌う。

政治的なネタから下ネタまでいろいろ。

下ネタ系については、われわれの中では歌に限らず話題に出すことでさえ、一つの暗黙のルールがあった。それは、「露骨にエロな内容にしない」ということだ。寸止め状態を是とする、というわけだ。だから、一概に「下ネタ」といってもませた小学生の替え歌程度。

一例を挙げると・・・うーん、やっぱやめとく。アホらしすぎるんで。

爆発

21:30
最後の一番はやはり大爆発しかない。本当はやるはずではなかったのだが、酔ったおかでんがテントからまだ中身の入っているキンチョールを持ち出し、火に投げ込んだ。「危ないからやめろ」と制止していた面子もその実うれしそうな顔をしている。

例のごとく、みんな20メートル近くさがって様子を窺う。いつ爆発するか、とわくわくさせられる20秒足らずのこの瞬間がたまらない。・・・しばらくして、「ぽん」と小さな、軽い音がした。みんな当てが外れて「なんだー」とか言ったその瞬間、ぼーんと音と共に3メートル以上もの火柱が夜空を焦がした。絶景なり。火柱に遅れること約1秒、今度は火の粉もうわっと舞い上がる。「着火ゾル」の時の比ではない美しさと迫力にしばし全員が感動した。

キャンプファイヤーの締めはいつも通り火の周りをぐるぐる周りながらの踊り(詳細な記述は自主規制します)。こうして破天荒なキャンプファイヤーは幕を閉じた。

22:00
疲れ果てて就寝

「自主規制」と書いてある「締めの踊り」だが、勝手に規制を解除するとだ、まあこれも学生時代ならではの他愛のないものだ。

みんな、自分の乳首をつまみ(もちろん服の上から)、「ちっちっくびー、ちっくびー」と言いながらぐるぐるとたき火の回りを回る、というものだ。踊りのスピード調整をするのはおかでんの特権事項とされ、ゆっくりと「ちっっっちっっっくぅぅぅびぃぃぃぃ、ちっっくぅびぃぃぃ」と歌い踊っていたかと思ったら、突然テンポアップし、「ヘイ!チッチックビ!チックビ!ヘイ!」と乳首をつまんだまま全力疾走で走り回る。このランダムなテンポチェンジをさんざん繰り返し、全員がへとへとになった頃になって何の前触れも無く「もう、いいか。」と終わりになる。

もともとはおかでんが大学時代1年だけ所属していたサークルが宴会の締めにやっていたものだったのだが、それを丸ごと拝借したものだ。だからお下劣なのはおかでんではない、そのサークルだ。と、責任転嫁をしてみるがやっぱりお前もお下劣じゃ。

もちろんこんな踊りでは締めにならんので、最後はシュプレヒコールで終わりとなる。隊長であるおかでんが先陣を切って、「フレー、フレー、ち○こー!」と身振り付きで叫ぶと、全員が「フレー、フレー、ち○こ!フレー、フレー、ち○こ!」と拳を突き上げる。その次に、今度は同様に女性器を意味する三文字でエールを送り、「どうもありがとうっございましたぁぁぁ」で本当に終了。

若気の至りよのぅ。ちなみにこれも、サークルの宴会の締めで行われていたものだ。

さすがに最近(2008年近く)になると、周囲に人がいるオートキャンプ場でのたき火が増えたため、このような事はできなくなった。しかし、人がいなければ隙あらばやりたいと思っている34歳おかでん独身。

1994年04月04日(月) 3日目

撤収準備

05:00
またもや冷気とからすの鳴き声で目を覚ます。昨日にも増してカラスの数が多いようだ。昨日が日曜だったため、バーベキュー客の残飯が多数残っているからだろうか。

07:15
起床。午後から秋葉原に出かける事が決定したため、何とかしてでも午前中に撤収せねばならぬ。食事当番ちぇるのぶは早速料理にとりかかり、しぶちょおとおかでんはテントの中のものを全部外に投げ出し、整理を始める。

09:00
朝食。メニューはなめこ入りみそ汁とご飯、そしてスクランブルエッグであった。なんて素敵な朝飯なんだろう。やっぱりジャガイモだけとか残ったご飯にマヨネーズだけはよくない(筆者注:神島キャンプの時の朝食はこのようなレパードリーのみだった)。料理担当者が食事前に「シェフのお薦め」という形で料理の説明をし、料理の命名を行う。その上で料理担当者が一言「いただきます」。米は2キロ入りを買ったが、これがちょうど最適な量で、12合使って後僅か残った程度。これは後々の参考になる値となるだろう。

09:30
後かたづけの続行。燃えるゴミその他は全部その場で燃やしにかかる。残ったガソリンを全部投入したのでよく燃えた。ちなみにガソリンは2泊3日で2リットルという量がちょうど良い量であった。ホワイトガソリンで2リットルともなると千円以上するが、今回はレギュラーガソリンだったため300円もしていない。安いもんだ。

いろいろ細かく書いてあるので今更書くこと無し。

料理の写真を撮影していないのは、当時それほど食に興味がなかったのだろう。

撤収

11:00
完全撤収。2泊3日の楽しい思い出を胸にしまい、われわれは飯能河原を後にした。

PS。飯能から所沢までの電車のなかにおかでんは大切なカメラを忘れ、紛失。

11時に撤収。行きと比べてワイン1本分程度軽くなった荷物を背負い、飯能河原を後にした。

ここはとても使い勝手の良い場所だ。食材、水、ガソリン、木、交通の便と全て都合が良い。その結果、この後しばらくはアワレみ隊の天幕合宿といえば飯能河原が定位置となった。

なお、紛失したカメラだが、当時結構な値段がしたミノルタの一眼レフ(α-7)だった。このカメラを買ったことにより、おかでんは山へと足を踏み入れるようになっており、とても愛着があったのだが・・・惜しまれる。

これ以降、おかでんは完璧にカメラ運に見放され、毎年カメラを買い換えるカメラ輪廻を繰り返す人生を歩むようになる。

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