ちぇるのぶの朝食。たっぷりのマンゴー。
しぶちょおの朝食。なんだかわからんがぐりぐりと箸でこねくり回していた。
[38番札所 金剛福寺(こんごうふくじ) 高知県土佐清水市]
まったくどえらい距離だ。遍路中最長距離をドライブして、アワレみ隊は足摺岬の先端までやってきた。本当に先端にあるのだな。もう少し手加減せい、と思うがやっぱり宗教施設は自然の要害にあってこそ、なのだろう。
境内には当然お遍路さんの格好をした巡礼者がそれなりにいたが、一体前日夜はどこに居たんですか?って一人一人にインタビューしてみたくなる。
甘茶のサービスがあったので、ありがたく頂戴する。お花まつりの時期から1カ月ほどずれているが、「これでも飲んで元気つけて次の札所を目指しなさい」という思し召しだろうか。
お寺のすぐそばなので、足摺岬の展望台に行ってみた。さらに先の岬の突端に灯台が見えた。
岬の突端にある灯台まで行くかどうか、ちと悩んだ。しかし、ここまで来て「先端まで行きませんでした」というのは悔しいので、てくてく歩いて灯台まで全員で移動。灯台の中には入ることができなかったが、「四国の端まで来たぜ」と満足。これから先79km進まないと次の札所にたどり着かないんだ、ここで気分転換を図ろう。
[39番札所 延光寺(えんこうじ) 高知県宿毛市平田町]
ようやく、という感じで39番札所延光寺に到着。金剛福寺を挟んで、既に今日は160km近く走っているわけであり、すなわち5時間近くドライブしているわけであり、正直乗り物に食傷気味なんである。
あと、難所である金剛福寺をお参りして、気が抜けてしまったというか、緊張感が抜けてしまった。そのため、このあとしばらく続く札所についてはあまり記憶が残っていない。どの札所も微妙に距離が離れており(30km前後)、車で1時間近くの移動が続くことも記憶があいまいになってしまった原因の一つ。
車の中では、ゲームのサウンドトラックCD一枚を延々とかけ続けるという拷問に近い行為が、助手席に座を構えるばばろあによってなされていた。
「やめてくれ!頭にもうこびりついてしまったよ。いい加減勘弁してくれ」
「いや、この曲こそアワレみ隊のテーマといってもええじゃろ。CDかけ続けるで」
なんでこんなことになっているんだ・・・。
[40番札所 観自在寺(かんじざいじ) 愛媛県御荘町]
30km進んで観自在寺。おっと、ここからは愛媛県だ。「菩薩の愛媛」。菩薩の境地に至ることが果たしてできるのだろうか。
札所40番にして、一番札所霊山寺からもっとも遠く離れた場所に到達。これで四国を半周したということか。札所はまだ折り返し地点に来ていないけど、感慨深いものがある。
車中暇なので、おかでんは自分で作った「お遍路ガイド」を眺めているのだが、「愛媛の名所は『萬翠荘(松山)』『白壁の街並み(内子)』『闘牛(宇和島)』なんてのがあるよー」とアナウンス。しかし、きっとどれともいかない・いけないんだろうな。
長距離移動を既にしてきたので、打った札所の数は少ないもののもうお昼だ。
駐車場の片隅に、おにぎり弁当を売る出店があった。
ばばろあがそれに目を付け、
「おお、ちょうどええじゃん。昼メシはあれにしよう」
と言う。
せめて今日はちゃんと「地元の名物」を食べたかったおかでんなので、この提案には抵抗。・・・形だけ。もう諦めた。どうにでもして、っていう感じ。あと、今日は既に昼にもかかわらず札所を3カ所しか巡っていないという状況も断念せざるを得ない理由としてあった。
昨日はまだお店の中で食べることができたが、今日は移動中の車内でお食事。
もうこうなったらおかでんとしても拘っていられない。開き直って、「よし分かった!もうここで議論してもはじまらない。見地を変えて、『巡礼地グルメの旅』としよう。四国の各地の名物を食べるんじゃなくて、札所すぐ近くでうまいものを探せばいいんだろ?」と宣言。
そう思えば、今膝の上にあるこのおにぎり弁当だって「本当は地元の名産を食べるつもりがこんなおにぎりになっちゃって・・・」という悲しい目で眺めなくて済む。積極的にこのシチュエーションを楽しむべきだ。
48km進んで龍光寺の駐車場に滑り込んだアワレみカー。相変わらずの遠距離だ。でもあともう少しの辛抱、瀬戸内海に近づくと札所が集中しているゾーンがある。
駐車場からお寺を目指すと、石段が待ちかまえていた。石段を見上げると、その先には赤い鳥居が・・・。あれ?神社?仁王門じゃなくて鳥居というのは変わってるな。
[41番札所 龍光寺(りゅうこうじ) 愛媛県三間町]
と思ったら、鳥居の手前に本堂などの「お寺一式」がそろっていた。神社の参道途中に軒を借りました、という風情。
かつては稲荷神社がある場所が本堂とされていたが、明治の廃仏毀釈で本堂を現在の位置に移し今日にいたる。
んだそうで・・・。神社の方が居残って、お寺が立ち退きしたというわけか。
ただ、このお寺の開基が「弘法大師がこの地で出逢った老人こそ五穀大明神の化身であると悟り、稲荷大明神を刻み四国の総鎮守として本尊としたのが始まり」という謂われだ。弘法大師は、仏様だけでなく神様にも造詣があったのね。・・・まあ、言い伝えなので話半分にして聞いておかないといけないけど。
おかでん作成「お遍路ガイド」には、龍光寺の近くに「大黒屋」というお菓子処があり、そこの「やぶれまんぢう」が名物だと記されてあった。
「次の札所への道とほぼイコールだし、遍路グルメを目指す以上は立ち寄りたい。ぜひ車を大黒屋に向けたまえ」
と厳かに通告。これにはばばろあも納得した。ばばろあが甘党であるということが最大の理由だとは思うが、道を大幅に外れるわけではない事、まんじゅうなら車中でも食べられる事が好感されたようだ。
で、わざわざ立ち寄って購入したやぶれまんぢう。売り切れご免の人気商品らしいが、幸い今日は売り切れていなかった。これで売り切れていたらおかでんの面目丸つぶれだった。
まんじゅうは至ってシンプルな蒸し饅頭。あんこがたっぷり入っていて、血糖値を心地よく高めてくれるのが大変によろしい。
[42番札所 仏木寺(ぶつもくじ) 愛媛県三間町]
3kmという至近距離がうれしい、42番札所仏木寺。まだやぶれまんぢうを食べきっていないんですけど。
仏木寺の本堂と大師堂は共にこじんまりしている。
ここには境内に「家畜堂」というのがあり、牛馬家畜の守護仏が祀られている。今ではペット供養のため訪れる人も結構多いんだとか。
[43番札所 明石寺(めいせきじ) 愛媛県宇和町]
11km進んで明石寺。200台停めることができるという大駐車場にアワレみカーを停車させ、一同はいそいそと輪袈裟、菅笠、金剛杖などを装備して出陣。金剛杖は1m程度あるので、車中での取り回しがたいへん。
明石寺本堂と大師堂。
さて、われわれはこの後愛媛の山中深く潜り込み、44、45と二つの札所をお参りしないといけない。・・・佐田岬はもうはなから諦めました。行ける状態ではない。44番大寶寺まで72km。遍路全体を通じても有数の距離の長さだ。45番岩屋寺とは10kmの距離間隔。
ここでばばろあが「先に45番に行こう」と言い出した。そちらの方が効率がええじゃろ、と地図を見ながら言う。しかし、せっかく一番一番順番通りに札打ちしてきた立場から言わせてもらうと、ここで順番が入れ替わるのはなんとも悔しい。「それはまかりならん」と抵抗。ばばろあと議論は平行線を辿った。
そのとき、しぶちょおが「次は44番で行こう。45番が先なら俺この企画から降りさせてもらう」とはっきりと言った。「順番通り札打ちしてこそこの企画の意味がある」と。
ふだんはおかでんとばばろあの意見の食い違いに口を挟んでこなかったしぶちょおだが、ここではきっぱりと主張をしてきた。その一言はとても重く、結局ばばろあが折れる形で44番大寶寺を目指すこととなった。
[44番札所 大寶寺(だいほうじ) 愛媛県久万町]
ここが八十八箇所の札所の折り返し地点、大寶寺。2時間かけて明石寺からやってまいりましたよ、と。
既に「夕方」といって良い時間になりつつある。今日は本当に移動が多いなあ。
参道には樹齢何百年かわからないような杉の大木が並んでいた。
本堂には「お花まつり」という看板が。あれっ、じゃあ金剛福寺で頂いた甘茶はやっぱりお花まつりの期間だったからということか。よく読むと、「5月1日(旧4月8日)」と書かれていた。なるほど、そういうことか。お花まつりはお釈迦様が産まれた日にちなんで開かれるものだが、てっきり4月にやるものだとばかり思っていた。新暦と旧暦の解釈によって違うんだな。
ちょうど今日は5月1日。運良くお花まつりの甘茶を頂戴できたというわけだ。縁起が大変によろしい。
[45番札所 岩屋寺(いわやじ) 愛媛県美川村]
山門前の駐車場は有料。200円払って駐車する。
山門から先、なにやら階段がずっと伸びているのが見える。山岳ステージならではの、石段歩きが待ちかまえているわけだな。
266段の狭い階段を登っていく。
以前333段を体験しているので、これくらいで弱音を吐いてはいかん。何しろ、ここは「菩薩の愛媛」。菩薩の心で目の前の困難に挑め。
といっても、菩薩の心ってのがどんなものなのかは皆目見当がつかないのだが。
266段登りきると、目の前には大きな絶壁が待ちかまえていた。
その絶壁はあちこちに穴が空いている。いや、穴、と形容すると貫通しているようなのでこの表現は正しくないな。正確にいうと「窪み」があちこちにある。まるで、大砲を撃ち込まれて壁面が削れたかのようだ。
この岩屋寺は不動明王を本尊としているが、山全体も本尊扱いにしている。それは、弘法大師が木と石で不動明王を彫り、木は本堂に安置し、石は山に封じ込めたからだという。真偽はともかくとして、この岩肌を見て昔の人は神秘的なものを感じたのだろう。こういうところには神社がありそうなものだが、さすが四国だけあってお寺だ。
なぜか境内には万国旗がはためいていた。久しぶりに見たぞ、こんな旗。小学校の運動会以来じゃないか?
なぜ万国旗を掲げているのか、理由はさっぱり不明。この山の縁起とも何も関係がなさそうだ。単に住職の趣味・・・なのかなあ?
岩肌の窪みの一つに、はしご段がかけられてあった。どうやら一般人でもよじ登って良いようだ。さっそくおかでんが挑戦してみる。
結構な高さだ、お堂の屋根と同じくらいの高さがある。梯子を上り下りする際、あまり下を見てはいけない。高所恐怖症でなくても、これは結構なスリルだ。ただ、幸いなことに梯子はしっかりとしているのでそれほど不安感は感じなかった。これがギシギシいったり、たわんだりしていると相当ビビったに違いない。
窪みに入り込んでも、特に何かがあるわけではない。板張りになっているだけだ。アワレみ隊メンバーが下から見上げているので、何か一発芸でも。。。と思ったがあいにくそのような芸は持ち合わせていない。ここは真摯な気持ちで「南無大師遍上金剛」を3回唱えてはしごをおりた。
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