2001年11月03日(土) 2日目
朝6時過ぎ起床。
明るくなってみて分かったが、こんなところに車を停めて、こんなところにテントを張っていたんだな。
なまこ壁の和風な洗面所の、軒先が突き出たところにテントが押し込まれている。ちょうどぴったりのサイズだった。
幸い、夜中にこのトイレで用を足そうとやってくる人はいなかった。
11月初旬とはいえ、高遠の朝は冷え込む。
あまりに寒いので、朝だけどガスランタンに火を灯した。
これだけで、洗面所内が随分と暖かくなる。ストーブ代わりだ。
こんな感じで、テントは軒先に収まっていた。用を足そうと思えば徒歩数歩で便器という利便性。1Kマンションよりも便所が近い。
ただ、若干テントの方が大きかったようで、柱を踏んづけるような状態でテントは立地していた。寝るときはここを避けつつ、自分のベストポジションを探した。
なぜこんな狭いところにテントを押し込んだのかというと、地面に直にテントを張ると、下から冷気と湿気が上がってくるからだ。あわただしい朝、湿気を帯びたテントを乾かすのは面倒。というわけで、強引にコンクリート床の洗面所の軒下に押し込んだのだった。
そういうわけで、テントの接地面は湿気を防ぐことができた。しかし、フライシートはどうしてもテント内での食事や人の体温のせいで結露が発生する。特に昨晩は冷え込んだこともあり、しっとり、どころかべっとりと水滴がついた。
ばばろあが朝食の準備に取りかかっている間、残りの2名は広い駐車場・・・じゃないな、これはどうやらグラウンドらしい・・・を走り回った。二人してフライシートを手に。走ることで風を当て、少しでもフライシートを乾かそうという算段だ。
結論。労力の割にあまり効果は出なかった。
乾いたタオルで拭いた方がよろし。
大の大人二人が「わー」とか「きゃー」と言いながら広場を走り回っている間、ばばろあは昨晩の鍋の残りに未使用の野菜類と投入し、なおかつほうとう麺を投入。煮込むことしばし、ほうとう鍋の完成。
「やっぱ高遠といったらほうとうだよな」
と言いながら食べる。
しかし、よく考えたらほうとうといえば甲斐の国の名物だ。高遠は甲斐ではない。微妙に、かつ確実に間違えた。
ほうとうは食いでがある麺だが、それが鍋いっぱいにある。大人三人がかりでもなかなかなボリューム。
「残さず食えよ」
残すと、残飯をどうするんだという問題が出てきてしまう。まさか投棄するわけにもいかないので、全て胃袋にお引き取り願わないといけない。
ふと遠くを見ると、赤や黄色に色づいた木々。秋だなあ。
こういう景色を見ながら、熱いほうとうを食べるというのは良いもんだ。
ただし、便所すぐ脇で食べているというシチュエーションがいまいち冴えないのだが。
鍋食器類、テント類全て撤収完了。さあ、2日目も国道152号線をひたすら南下するぞ。
もう既にフォッサマグナの谷筋に入っている。寄り道したくてもするような場所はこれから先の道には、存在しない。谷に沿って、ただただ南下だ。
2日目、スタート。
左手に南アルプスを眺めながら、国道152号線を南下する。
あいにく、南アルプスの山々は雲に覆われていて臨むことができず。
地図上には今まさに走っている国道152号線を指して「キレイに南北に走るフォッサマグナ沿いの道」と記述している。
おお、今まさに日本の地理学的境界線の上を走っているのだな。
・・・とはいっても、実感は全然感じられない。何か分かりやすい溝があるとか、常に地震が起きているとか、崖崩れが起きてるとか、そんなのはないのか?
いや、実際そんなありさまだったらここに国道なんて作ってられないけど。というか、人が住めない。
「キレイに南北に走る」道だったのが、いきなり峠道になった。
「なんだよ、フォッサマグナっぽくないじゃん、峠道って」
なんて愚痴をたれる。だってほら、日本を東西に分断するスゲー場所なんでしょ、フォッサマグナって。すぱーんと、どすーんと分断されているような気がしてたわけですよ。せめて、「走れども走れども、ただひたすら谷間の道」くらいのものをイメージしていたんだけど。でも、峠ときましたかそうですか。
でもここまで愚痴っておいてようやく気がついた。今回この旅を企画した発端が「日本のトンネル技術が敗退した」という「青崩『峠』」じゃないか。なんだ、はじめっから峠があることはわかっていたんだ。「ただひたすら谷間の道」なんてのは一体いつの時点から発生した妄想だ?
分杭峠、標高1,420m。
「従是北 高遠領」という石碑が建っている。ここが国境だったのだな。
ちなみに、分杭峠の手前には中沢峠1,317mというのがある。その間の道に、ロードマップには注釈がつけられていて「地崩れ多く通行できないことも多い 道路情報に注意」となっていた。
おおお、フォッサマグナっぽいな。
たとえ峠道であってもフォッサマグナのフォッサマグナたるゆえんを忘れていないあたりが素晴らしい。
とはいっても、この道路を生活道として使っている地元民からするとたまったものじゃないと思うが。
「路面に気をつけろよ?石が落ちてるかもしれないぞ」
「おう」
「空に気をつけろよ?石が落ちてくるかもしれないぞ」
「それはよけきれん」
しょうもない会話を車中でする。
分杭峠を下っていくと、道路脇に「中央構造線北川露頭」なる場所があった。
中央構造線、これフォッサマグナのこと。「露頭」ということは、その姿を隠しきれずいよいよわれわれの眼前に出てくるぞおい、ということか。
解説看板を読んでみる。
中央構造線北側露頭
中央構造線は、関東から九州へ日本列島を東西に縦断する大断層です。日本列島が大陸の一部だったころから現在まで、1億年以上の活動史があります。
中央構造線を境に、でき方がちがう岩石が接しています。遠くはなれ深さもちがう場所にあった岩石が、ずれ動いて並びました。
断層で弱くなった岩盤を川が掘り下げて、まっすぐな谷が九州までつづいています。
ビンゴ。さあ、ようやく「日本列島分断」と題された今回の旅の神髄発揮、だな。
どうやら中央構造線の正体は谷を降りたところで見えるらしい。少し坂を下り、川べりに向かう。
それにしてものどかな谷だ。こんな谷が日本を分断しているとは思えない。もっと、荒々しい、断崖絶壁のような、地獄絵図のような風景を想像していたのだが。
おー。
これを目にしたとき、一同がそろいもそろって「おー」と声をあげた。
全く違う二種類の岩。これが日本を分断している正体というわけか。
今まで、「地層」という形で種類の違う岩がバウムクーヘン状に並んでいるのを見る機会はあった。でも、あくまでも「層」というだけあって、ほぼ水平に岩の種類が積み上がっている光景だった。
しかしこれはどうだ。縦に、しかものこぎりの刃のようにがっちりと、お互いがまさにがっぷり四つに組んでせめぎ合っているではないか。この岩同士の食い込みっぷりたるや、相当なモンだ。当然、寸分の隙間もない。
日本列島ケンカ生中継、だな。ここで西と東とがぶつかり合って、押し合って、勝った方が相手を僅かに動かす。負けた方は後ろに下がる。そんな営みを何万年と繰り返してきたわけだな。
どっちが強いんだろう。黒い岩と茶色い岩。黒い方が強そうに見えるけど、気のせいだろうか。
こんなのが、日本海の糸魚川から太平洋までずっと続いているのか。驚いた、呆れた。
で、件の青崩峠は、こんなヤヤコシイことになっているところにトンネルを掘ろうとして、敗退したと。いや、それは敗北じゃないよ。ナイスファイトとたたえたい。
なんのことはない平凡な、平和な道を南下していく。身の危険にうちふるえる必要などはどこにもない。安心してお進みください。途中、「農村生活体験館」なんて施設もあったし。
農村生活体験かぁ。のどかでいいなあ。
「フォッサマグナ体験館」があって、フォッサマグナ上にあるこの寝泊まりする建物は日々引き裂かれて行っているのですよキミィ!聞こえるかね、このミシミシという建物が引き裂かれる音をぉ!
なんてのがあればすごいが、さすがに大地の時間の流れってのは秒単位じゃないもんね。数万年、数百万年かけての動きだから、「体験」しようにも無理だ。
そんな過度な期待と失望の狭間のわれわれの前に、「中央構造線博物館」なるものが現れた。当然、立ち寄る。
博物館の中には入っていない。なぜだったか記憶が残っていないのだが、恐らくまだ開館時間前だったのではないか。
そのかわり、敷地内には珍妙なものを発見した。
そのものずばり「中央構造線」とかかれた、レール状の棒。
こ、これが日本を分断している中央構造線そのものなのか。
あまりにピースフルだったので拍子抜けしてしまった。さっきの崖は、異なる岩と岩がぶつかり合って「てめえ!この野郎!」とやりあっている勇ましい様子がはっきりと見えた。しかし、ここは何だ?単なる砂利が敷き詰められている庭じゃん。中央構造線の右と左とで砂利の質が違うわけでも無し、なにやら足下がゴゴゴゴと揺れるわけでもなし。
「見た目だけではわからんもんよのぅ」
しみじみと語る。いかん、何でこんなところでしみじみしてるんだ僕たちは。
車はさらに南下をし、到着したのは「地蔵峠」1,314m。
何のことはない普通の峠道だが、ロードマップを見ると「あれっ」と気付く。ここで国道が断絶しているのだ。2kmほど南下したところで何事もなかったかのように国道が復活している。
では、目の前を走る道路は一体何なんだ?
地図上では「蛇洞林道」と記されている。
意識しないと、そのまま国道152号線のつもりで素通りしてしまうが、急に国道はその役割を放棄したのだった。
峠から少し進んだところに、簡易なゲートがあった。そこには青看板で「村道4号線」という記述が。ああ、あくまでも村道なのね。
いっそのこと、この村道を摂取して国道152号に格上げすればいいのに、と思う。道はつながっているわけだし。しかし、そうしないで、地図上にぽつんと「空白地帯」を残し続けるところをみると、まだ国道としての直通開通を目論んでいるのかもしれない。
蛇洞林道は道がうねりヘアピンカーブだらけの道。転じて国道空白地帯は川筋沿いにすとーんと降りればそれですぐに直結できそうな気がする。
でも、「気がする。」だけであって、実際は難しいのだろう。というか、今まで手つかずのままということは「無理」だったのだろう。
山道となっている古い峠道にちょっと足を踏み入れてみたら、そこには「国道一五二」と書かれた杭が打ち込まれてあった。
その杭が見下ろすのは、「村道4号線:蛇洞林道」。
まだ国は国道建設計画を諦めていないのか・・・?
「きっとここには強固な地盤を持つ道路族政治家がいるんだ」
なんてひそひそ話をするが、もしそうだとしても既に「村道」で代用できている国道152号線を敢えて新しく作る必然性というのはあるのだろうかしら。
地図上には「よく通行止めになるので注意」と書かれている蛇洞林道を走る。うねうねと山の形に沿って進んで下っていくと、三遠南信自動車道の矢はず(やはず)トンネル入口に出てきた。
そのまま何事もなく国道152号線と合流、南下を続行・・・
というわけにはいくまい。なぜなら、まだここから北にも国道152号線は走っているわけだから。完全縦走しないと今回の企画の意味がない。
それにしても中途半端なところまで国道を延ばしたなあ当時の建設省は。「あっ、地蔵峠貫通は難しそう」と気付いた時点で、別の迂回道路と合流する場所でいったん国道をストップさせればいいのに。「行けるところまで行くぞぉー」と気合い空回り、ひたすら突撃しちゃってるの。
その気合いの入りっぷりに敬意を表しつつ、今まで「南下」してきた国道152号線を「北上」する。
しばらく北上していくと、道が悪くなってきた。どこで国道認定終了となったのか、さっぱりわからん。まあいい、行けるところまで行くぞ。なぜ、地蔵峠に国道が走らなかったのか、峠の下から見極めちゃる。
道路のどん詰まりは、広い河原だった。
心地よい空間だ。
「バーベキューやるにはいいなあ」
肉を焼いている光景が目に浮かぶ。うまそうだ。
水の問題さえ解決できれば、キャンプだってできる。地面は平らだし、ここまで車を突っ込んでくる酔狂な人はいないので騒音雑音は皆無。きっと素敵な一晩を約束してくれることだろう。
「で・・・なぜここで行き止まり?」
さっぱりわからない。せめて、行き止まりになるには、「もうこれ以上進めません」という絶望的な岩とか谷が待ちかまえていると思っていた。それに比べてなんたるのどかさよ。
水平距離で言えばここから地蔵峠まで1km程度だ。河原の最奥までは行かなかったのでよく分からないが、恐らくここからぐぐぐーっと峠に向けて急な登りになるのだろう。だってあまりに不自然だもの、このなだらかさは。ここがなだらかな分、あとでちゃんと借金返済はしなくちゃいかん。それに、もうお昼近い時間だというのにこの河原には日が差し込んでいなかった。谷が相当深い事を意味している。川沿いに国道を上らせていき、地蔵峠を越える・・・というプランは立地条件として難しかったようだ。
・・・ってことは最初から分かるよな。計画時点でそんなの、知ってるよな。何で?何でそれでも「ブツ切れ国道」を作っちゃったんだろう?不思議だ。
ばばろあが「お、こんなところに階段があるで」と、河原の対岸に木の階段を発見した。
これはひょっとして階段国道・・・?
この道を進めば地蔵峠に至る?
よくわからない。もし地蔵峠に至るんだとしても、歩いて確認するガッツは三人とも誰一人として持ち合わせていなかったので、辞退。
コメント