[No.24-1 宇喜多秀家公と豪姫の碑 2005年04月30日 16:53]
千畳敷のすぐ隣に、もう一つ観光スポットがあった。宇喜多秀家公と豪姫の碑、だそうで。
宇喜多秀家?備前国の武将で、関ヶ原の戦いで西軍の副大将だった、あの人か。名前くらいはよく知っているが、なぜここに?
こういう「なぜ?」があるから、行き当たりばったりの観光名所ツアーは楽しい。
碑文はとても長いので、転載は割愛。
要するに、関ヶ原の戦いで負けちゃったので宇喜多秀家34歳の時に八丈島に島流しになったんだそうな。それは知らなかった。
で、この御仁、結構長生きして八丈島に50年暮らし、84歳で死去したんだそうな。
その宇喜多秀家の石像。隣には、妻の豪姫もいる。まるでおひな様だ。
この豪姫は宇喜多秀家と共に八丈島に行くことが認められず、二人は離ればなれだったそうだ。そんなこともあって、せめて石像くらいは一緒にしてあげようという心配りで、「八丈島には一度も足を踏み入れたことがない」豪姫も一緒にいる。
その割にはちょっと二人の距離感があるような気がするんですが。
豪姫にかわって、慣れ慣れしくする男。
背景の八丈富士の雄大さと、何だか男色っぽい光景がミスマッチだ。
岡山まで552km。
この石像は、見果てぬ思いを託し、岡山方面を向いているんだという。
岡山城築400年記念に作られたんだそうな。
羽田空港からやってきた第四便が着陸態勢に入っていた。
今日は良い天気だったので、合計8便、無事離発着できたようだ。
もう時刻は17時。そろそろ宿に向かわないと、宿の人が心配する。今日はこの辺でやめておこう。
途中、「直線を銘記」しなくちゃいけない永郷道路を通ってみた。
ん・・・?直線じゃないぞ。カーブが存在する。空港の滑走路が出っ張っていて、そのせいでそこだけ道がねじ曲げられているのであった。直線じゃないじゃん。
後で民宿のおばちゃんに聞いてみたところ、「滑走路が延長された時に道路が改修された」んだそうな。おい!「直線4km改め直線3.8km」はどこへ行った!
驚くやら、呆れるやら。
宿に向かう途中、スーパーでお酒やお菓子の買い出し。
八丈島にある数少ないスーパーで買い物だ。
スーパーで買い物をするのは、キャンプやっている人や宿に泊まる観光客が多いらしい。値段もちょっと高いという。地元民は、もっとひっそりしているお店で買い物をするらしいのだが、そのお店の存在がよくわからないのでまぁいいや。
スーパーには、島酒がたくさん並んでいた。八丈島といえば島焼酎。僕も早速一本購入してみた。
これからお世話になる「小崎荘」にチェックイン。
おばちゃん、というかおばあちゃんが出てきた。この人一人で基本的には切り盛りしているらしい。
外観からは普通の民家っぽく見えたが、客室がある2階はちゃんとした宿の作りだった。きれいだし、恐らく最近改修したものだろう。ペンションっぽい廊下と、客室のドアだ。
「久しぶりに民宿泊まるけど、こんな感じだったんだ。ちょっと意外」
部屋の中。
お手洗いは共同なので、シンプルな六畳一間だ。隅っこにテレビがあって、ちゃぶ台がある。それだけ。
クーラーは100円を入れて使う時間式のものだった。
結構快適な空間だ。窓から外を見ると、神湊港、抜船の場あたりがよく見える。
談話室もあった。
が、宿泊していた3泊のうち、使っている人を見たことはなかった。
しばらく部屋でうだうだしていると、館内放送で「早く食事に来るように」という督促の連絡が入った。慌てて階下に降りる。夕食時間、そういえば聞いていなかったんですけどそうですか。
食堂、といっても民宿なので居間みたいなもんだ。そこに大きなテーブルを据え、宿泊者全員が一同に会しての食事会だった。離島ということもあってか、一人旅の人も何人かいた。女性一人旅も2名。そのうち一名は白人さんだった。片言の日本語をしゃべる留学生。いろいろ変化に富んでいて面白い。
夕食の食卓には島寿司が出ていた。おっ、島寿司!お昼に続いて夜もだ。ご飯の代わりということだが、ちょっと豪勢。
あとは、魚の照り焼きと茄子。それにお吸い物、漬物。島寿司に目が奪われがちだが、ヤドメシとしてはすごくシンプルだ。
テーブルにはなにやら赤い唐辛子の容器が。聞いてみると、八丈島名物島唐辛子だという。相当辛いので気を付けて、と言われたので、うれしくなって活用してみた。うん、辛い。これはぜひお土産に買って帰ろう。
家族で宿泊している人が「本日の釣果」を全員に振る舞ってくれた。名前はよくわからん魚だが、でかい。こんな魚が釣れるとは、さすが八丈島だ。有り難く頂戴する。
この家族、明日は朝4時起きでまた釣りに出かけるそうだ。すごくパワフルだ。そのパパの気合いに付き合う奥さん、子供も凄い。
おばあちゃんだけの宿かと思ったが、GW中で宿泊客が多いということもあってお手伝いの女の子がいた。親戚だそうで、聞くと高校生だという。この女の子が凄く純粋で、親切で、感心してしまった。「八丈島で育つと性格が良くなるのかねえ」と聞いてみたら、昨年まで東京に居たんだという。親が実家のくさや工場を継ぐために八丈島に戻ってきたんだと。くさや工場を継ぐ、というストーリーがいかにも八丈島っぽくて良い。それにしても、東京育ちでこんなに素直な子が育つのか、とますます感心してしまった。せっかくの休みの日だというのに、わざわざおばあちゃんの民宿をイヤな顔一つせず手伝っている。すごいの一言だ。
食後、食堂に居残っていろいろな話を宿泊者同士でする。
きりのいいところで風呂へ。
部屋に戻って、買ってきた島酒を頂く。
「情け嶋」。良い名前だ。
なんでも、この島民は犯罪者である流人であっても親切に扱ったということで、「情けのある島」=「情け嶋」になったんだそうな。
江戸文化から取り残されていた八丈島島民にとって、流人は文人などが多く、高度な知能を持っている人ということで重宝されたという。
お酒を飲もうとしていると、先ほどの女の子が「宿帳書いてくださいー」と言って部屋にやってきた。しばらく、女の子といろいろ話をした。宿のお手伝いが無いときは、くさや工場でお手伝いをしているんだという。ますます感心だ。
この女の子、ちょっと面白い話をこちらがすると「にゃはは。チョーうける」と言う口癖があった。彼女がおばあちゃんの館内放送「早く戻ってきなさい!」に急かされて部屋を後にしたあと、しぶちょおと二人でいろいろ議論する。
「あのチョー受ける、という今風な口振りと、素直な性格とのギャップが不思議だな」
とにかく何も分からずにやってきた八丈島。どうでも良いような会話をぼそぼそと交わしつつ、お酒を飲みつつ、まったりと時間を過ごしていった。
「あ、そうだ、わかったぞ。あの女の子の純真さ、あれこそ情け嶋だ」
「そうか?そうなのか?」
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