島流し御赦免ツアー

2005年05月01日(日曜日) 2日目

二日目朝

夜が明けた。

眠れない夜だった。いや、正確に言うと、かゆい夜だった。

深夜1時過ぎ、あちこちの痒さに目が覚めた。蚊だ!

5月の声を聞いたばかりだというのに、八丈島には既に蚊が発生していたのだった。さすがは南の島だ。

とはいっても感心していられない。隣ではしぶちょおも「うーん」と唸りながらあちこちを叩いていた。

起床してから、疑わしき侵入ルートである網戸をチェックしてみたが、特に隙間は見られなかった。まさか畳から沸いて出てきたとでもいうのだろうか?

「今晩からは窓は開けないでおこう」

二人で固く誓う。

そんな不愉快な朝ではあったが、窓からみるとまあまあな天気。ちょっと全体的にガスっぽい。

正面に、昨日抜船の場で見かけた変なデザインのホテルが見えた。プリシアリゾート、という名前のホテルらしい。これも廃墟みたいだが、昨日宿のおばあちゃんから聞いた話だと、「TRICK」の撮影のため阿部寛などが泊まったらしい。へぇ、ほぉ。

宿の朝食

館内放送でまた督促された。朝ご飯だそうだ。夕食に引き続き急かされちゃったよ。そういえば、夕食時間どころか、朝食時間がいつなのかも聞いていなかったっけ。というか、教えてもらってないぞ。

あわてて階下に降り、昨晩のメンバーマイナス釣りに出かけた家族連れ、という面子で朝食の膳を囲んだ。

食後。二人で部屋に戻って会話する。

「いやー、驚いたねこの宿の食事は」

「質素だな」

「ああ、質素だ。あんなに質素なヤドメシ、見たことがない」

「同じく」

「あんまりゴテゴテと料理を並べる必要は無いと思うけど、だからといってあそこまでそぎ落とされてしまうと、なんだか違和感感じるな」

「そういえば昨晩もそうだったぞ。釣り家族の魚があったからそれっぽくなってたけど、あれが無ければえらく質素だった」

「確か一泊7,140円だったよな。まあ、そんなもん・・・なのかな?」

今までずっと、「宿に泊まる」=「皿数がやけに多い料理」に飼い慣らされてしまっていた。だから、ここの朝ご飯のように「塩鮭でどうだ!」とおかず一品勝負をかけてくる潔い朝食には動揺が隠せない。

「こりゃあしぶちょおよ、昼ご飯で離島グルメを満喫しないと、朝晩は期待できんぞ?」

「そうだな、お昼はちゃんと食べよう」

お客様へ

朝ご飯が7時半からと結構早めだったので、朝8時過ぎには宿を出発できる。観光地巡りをしている立場としては非常にありがたい。

宿を出発しようと玄関にやってきたら、いろいろな告知が貼られているボードの一角に「お客様へ」という毛筆文書を発見した。

「あ、これが食事時間だったのか・・・」

一泊二食したあとになって、ようやく食事時間を知った。ここのおばあちゃん、全く接客という観点ではざっくばらんだもんなあ。

なるほど、夕食は6時から8時、ね。覚えておこう。それまでに宿に戻ってこないと。

さあ今日も観光地を巡りまくるぞ。

[No.4 底土海岸(底土接岸港) 2005年05月01日 08:33]

底土海岸

今日は10:30から八丈島ビジターセンター主催のバードウォッチングに参加する予定だ。それまでの時間、島中央部の観光地を中心に巡っていくことにした。

まずは、抜船の場よりもう少し海岸線を南に下ったところにある、底土海岸を目指した。ここは、竹芝桟橋からやってくる夜行フェリー「さるびあ丸」が着岸する場所だ。できるだけ安く島に渡って来ようとするワカモノたちの玄関口となる。

ちなみに竹芝を22時に出航して、八丈島到着が翌日9時半。深夜バスや寝台特急のノリで、朝目が覚めたら現地到着という効率の良さだ。ただし、帰りの便は昼行便となるのであまり効率が良くない。このため、行きはフェリー、帰りは飛行機という組み合わせをするツアーも結構あるようだ。

ターミナル内部

フェリーターミナル、といえば聞こえが良いが、それほど大げさな作りではない。平屋建てのレストハウスのような建物が一軒建っているだけだ。

中に入ってみると、帰りの便を待っている人たちだろうか、テント装備を抱えた学生諸君がたくさんいた。この底土港のすぐ隣が、島唯一のキャンプ場となっている。キャンパーにとっては、「フェリー下船即キャンプ場」ということで大変に便利が良い。・・・ただし、スーパーまでは徒歩で行くのは無理だが。

屋内に掲げられた横断幕には「おじゃりやろうか八丈島へ」と書かれていた。「おじゃりやれ」が五段活用だかなんだかしらんが、「おじゃりやろうか」に変化するらしい。疑問形っぽくて、何だか不思議だ。思わず、「ええ、おじゃりやってくださいませ」と答えてしまった。

貨物船

まださるびあ丸は到着していない。あと1時間くらいはかかりそうだ。

港内では、貨物船が作業をしているだけだった。のんびりした空気が朝から流れている。

「なるほどねぇ」

特に意味はないが、とりあえず感心してみる。だって、せっかく訪れた観光地なんだから。

港の正面の道路

港の正面の道路は、他の島内道路よりもちょっとトロピカルな感じだった。南国の玄関、ということでちょっぴり気合いを入れたんだろう。

[No.9 忠次郎祠 2005年05月01日 08:47]

忠次郎祠の入り口

底土港から内陸に入ったところに、「忠次郎祠」という観光名所があるようだ。引き続いてわれわれは現場に向かった。

「・・・で?忠次郎なる人物は何をやったというのかねキミィ」

さっぱりわからないんである。

「さあ?恐らく島流しにあった人とか、そんなところだと思うけど」

「忠次郎なる人物はわからん、祠といってもデカいのか小さいのかもわからん、地図は不明確で分かりにくい、こりゃオリエンテーリングやってるようなもんだな」

「それだ。八丈島観光名所オリエンテーリングだ」

なるほど、今回の企画を壮大なオリエンテーリングと考えれば、ものすごく腹落ちする。これは観光ではない、ゲームなのだ。娯楽なのだ。

さてその忠次郎祠だが、これがまた見つからねーこと見つからねーこと。観光地図を参考にしながら、「確かにこの道路のはずなのだが・・・」と徐行して周囲を見渡す。昨日の西山ナントカみたいに、頭上にあった!ということもありえるので360度全方位チェックだ。何往復しても、どうしても見つからない。例の観光協会や東京都教育委員会の看板があれば、絶対に目立つはずなのだが・・・。

「みつからん!」

目標とおぼしき場所を3往復くらいしたところでギブアップしてしまった。あるのは、畑と、民家と、「八郎神社」という標識だけだ。

「ええい、八郎神社を忠次郎祠と見なしてしまおうか」

とりあえず、八郎神社なるところに行ってみる事にした。

八郎神社に向かう

林の中を歩くこと少々、正面に何かお墓のようなものが建っている。

これが忠次郎祠

あ!

「忠次郎様」と書かれているぞ。その前には風が吹いたら倒れそうな鳥居が。

「えっ、ひょっとしてこれが忠次郎祠!?」

周囲を見たが、何にも解説看板が無いし、ましてや道路に面したところには全然違う「八郎神社」の標識だ。これはわからない。とんでもないトラップだ。

「これは気づかなかったなあ。良かった、見つかって」

忠次郎様にごあいさつ

「で、忠次郎様って何をやった人なんだ?」

「さあ?」

「忠次郎様と八郎様の関係は?」

「さあ?」

さっぱりわからないままだ。

「きっと、忠次郎の別名が八郎なんだよ。幼名とかなんとか」

勝手にそう決めて、勝手に納得することにした。

[No.3 尾端観音/八丈八景3 尾端夜雨 2005年05月01日 08:59]

尾端観音

生煮え状態で、次の目的地である「尾端観音」に向かう。

細い道を登っていった先の丘の中腹に、それらしき赤いお堂を発見。

尾端夜雨

尾端観音堂の創建年代は不明だが、今も昔も島民の深い信仰を集めている。
昭和50年の台風で、近藤富蔵が建立したお堂が全壊したことが惜しまれる。
昔は老松の濃緑に覆われた景勝地で、殊に雨の夜の風情が美しく、八丈八景の一つに選ばれていた。

立ち古りし 松も尾端に 打ちもれて おぼろ月夜に そそぐ春雨
釈 堯海

「近藤富蔵って誰だ?江戸時代、蝦夷を探検した人がここにも来ていたのか?」

あとで思い返してみると、それは近藤重蔵。全然別人だ。

※さらに後になって調べてみると、近藤重蔵の息子が富蔵だった。死傷事件を起こしたため、八丈島に流罪となって、以降八丈島の文化の発展に寄与したという。

馬頭観音

祀られているのは馬頭観音なのだが、八丈島には馬が居ないので「牛の神様」として祭られているらしい。一風変わった風習だ。

尾端夜雨を満喫できず

夜でもないし、雨も降っていないので八丈八景の「尾端夜雨」は満喫できなかったが、まあ良しとしよう。そこまで完璧にコンプリートしようとしたら、いったい何日この島に滞在しなくちゃいけないのやら。

[No.3-2 不動の滝 2005年05月01日 09:11]

不動の滝

いったん山中の尾端観音から里に下り、もう一度別の道から山に入り直す。次は「不動の滝」という滝らしい。

「豪快に落ちてくるのかね、水が」

「だったら良いんだけど」

滝、といってもいろいろある。「観光名所に指定されているんだから、さぞや凄い滝なんだろう」と変に期待しちゃいけないことはこれまでの「自称観光名所」から伺えた。

「見落とすかもしれないぞ、滝」

「ははは、見落とされる滝っていうのもかわいそうだな」

車は浄水場のそばに駐車し、そこからは山道歩きとなった。

「まさか二日連続で山歩きになるとは思わなかった」

まさに八丈島を隅々までしゃぶりつくす、といった感じだ。

歩くこと1分、なにやら石碑が建っていた。

御幸の滝 三原山→

と書かれている。

「あれ?御幸の滝?」

これから僕らが目指すのは不動の滝だ。名前が違う。

「不動の滝、別名御幸の滝ってことでよいのじゃないか?」

「えー。安直な」

「でもここで間違いないはずなんだが・・・」

「ふどう、という男性的な名前が、みゆき、という女性的な名前に変わっちゃったよ。性転換的な大きなことだぞ、これは」

山道を歩く

疑心暗鬼にとらわれながら、山道を歩く。

山道とはいえ、このあたりはまだ里山の様相。全然険しくはないので体に負担がかかるわけではないのが救い。

石碑発見

石碑発見。

「なに?ここが不動の滝か?」

違った。

「ヘゴ自生北限地(国の天然記念物)」と書かれている。見ると、周囲にはシダが覆い繁っている。どうやら、ヘゴとはシダの一種らしい。

「すごいじゃないか、天然記念物だなんて」

「不動の滝よりもこっちの方が観光名所じゃないのか?」

よくわからない。

不動の滝とみなし

しばらく進んだが、大きな岩がごろごろしている涸れ沢のところで立ち往生してしまった。「三原山→」という標識はあるのだが、ちょっとここから先に行くのは難しいし、得られるものは少なさそうだ。

「これを不動の滝とみなして良いんじゃないか?」

しぶちょおから大胆な提案。

「うは、この岩をか。ここから水がじゃーっと流れたって、滝にはならんと思うのだが」

「でも、ここから先って岩をよじのぼったりしないと先に進めないぞ。これ以上やるか?」

「うーん」

先ほどの案内表示に、はっきりと「不動の滝→」と書かれていたならばもう少し頑張ったのだが、「御幸の滝→」という別名が書かれているのがひっかかった。この後奥に進んだとしても、見つかったのが不動の滝じゃなくて御幸の滝だったらひどくがっかりだ。

「・・・まあ、いいか。どっちにせよ正体不明なんだし。じゃ、ここを今日から不動の滝と呼ぶ、ということで。不動の滝とーちゃーく」

「わー」

適当に決めた。ええんか、そんなので。

次行くぞ、次

「はい不動の滝終了。次行くぞ、次」

非常にやましい気持ちがあるので、そそくさと退散する。

帰りながらも、道の分岐がさりげなくあって、「→不動の滝」という標識が無いかどうかくまなく探したが、それらしきものは発見できず。何だったんだろう、これ。

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