42度で十分体を慣らしてから、そろりそろりと御殿湯の方に浸かってみる。
う、うーむ。冷たい。これ、どう考えても26度じゃないぞ。もっと低く感じる。
しぶちょおが言う。
「これ、恐らく東の湯からの引き湯だろ。こっちにお湯を流している間に、ますます冷めたんじゃないか」
「それか!」
道理で冷たいわけだ。スーパー銭湯で水風呂に入っている感覚。
「うう、僕もうダメ。42度の天然水に戻る」
ざばー、と立ち上がると、しぶちょおも
「わっ、わっ、水面を揺らすな!寒い!ああああ!」
と叫んで飛び出してきた。
結局、体を暖めては御殿湯にチャレンジ(チャレンジ、という表現が相応しい)しては2-3分で逃げ帰る、ということを何度か繰り返しギブアップ。
「こりゃあ、自律神経が活性化されて精神病にはいいかもしれんが、体には悪いぞ」
「僕、鼻水が止まらなくなってきたんスけど」
温泉に行って体調を壊す馬鹿ども。
壁に飾ってあった、昔の渋御殿湯全景。「大正五年」と記されている。
今でも相当な山奥なわけだが、当時こんな僻地にこれだけの立派な湯宿があったのには驚かされる。恐らく、温泉の効能を頼りに多くの人が湯治に訪れていたのだろう。三階建てで立派だ。
こちらの白黒写真はいつのものかは不明だが、こちらも大きい。今の建物よりも大きいんじゃないか、ってなくらいだ。
歴史のある宿なんじゃねえ、と二人して感心。42度のお湯で十分に暖まってからお風呂を後にしたので、こういう写真を愛でる精神的ゆとりができた。
東の湯の正面は洗顔や歯磨きをする洗面所になっていて、夜歯を磨きに行ってみたら東の湯の入口にこんな張り紙が張ってあった。
「洗い場の板がもちあがっている所がありますので入浴の時は足もとに十分注意してください」
最初にわれわれが入浴したときはこんな張り紙は無かった。今日の夜に張ったばかりのものなのだろう。
ってことは、あの板を張り替えたのはついつい最近、ということか。施工失敗発覚で、オーナーとしても今時分は相当ご立腹なことだろう。
とにかく夜が長い宿だった。
5時半には食事をはじめ、6時半には既に終了。
それから西の湯でゆっくり時間を過ごしたといっても、まだ20時前という状態。普通だったら、6時過ぎから始まった食事で、イイカンジに酔っぱらってきてさてもう一本いこうかしら、それともシメのご飯に行こうかしら、な時間帯なわけだが。
でも、多忙をかいくぐっての一泊温泉旅行なので、この余裕のある時間は大変に良かった。しぶちょおと大いに今後の二人の友情について語り合ったのだった。この時語った内容は一生の思い出になるだろう。
・・・って、何しゃべったっけ?写真を見る限り、「日帰り温泉ガイド」を手にして何かしゃべっているようなんですが。
2006年04月09日(日) 2日目
朝ご飯は「7時から8時に食堂」ということだった。夕食同様、よくわからない時間設定だ。ええと、まあいいや、夕食同様、間をとって7時半に食堂に行けばいいか。
7時に起床して、東の湯に行く。
やっぱり東の湯は良い。加温42度の湯も御殿湯だし。あと、床下湧出のぷくぷく泡立つ感じが、とても心地よい。思わずおしっこをしたくなってしまうが、よい子のみんなは絶対にそんなことをやっちゃダメだぞ。
朝食。
「おお。ハムがメインディッシュでござい、とででーんとお皿の真ん中に盛られているのは久しぶりに見た気がする」
「懐かしいね、『この宿は板前がいて調理しているところなので、急なお客さんは受け入れられない』なんていう前宣伝で泊まった宿で、朝飯のメインがハムだったときはズッコけたもんなあ」
「草津の時だな。あったな、そんなのも」
「で、そのご飯の盛りっぷりはどういうことだしぶちょお。宿の朝飯はおかずの量が多すぎる、ってことでついついご飯量が増えるというのが今までの公式だったハズだが、このおかずの量でこのてんこ盛りはちょっと待て」
お返しに、心をこめてしぶちょおにもご飯を盛りつけて差し上げた。
何かの球技に使う球のようだ。
ちなみに、何事も無かったかのように二人とも食べました。おいしゅうございました。
「さーあ、朝8時前に食事食べ終わっちゃってもねえ」
「すぐにチェックアウトするのも何だかつまらんし」
コタツもあるし、ストーブもぬくぬくするし、ダラダラと部屋で時間を過ごす。
外を見ると、ありゃー、もうカッチンコッチンだわ。ノーマルタイヤの限界に挑め!っていうイベントをもしやったとしたら、まずあの正面の橋のところでゲームオーバーだ。
それでもバスはやってくる。すごいぞ、バス。茅野行きのバスだそうで。
しばらく停車していたが、乗客が誰も乗らないまま出発していった。今日の泊まり客は全て自家用車で訪れていたようだ。
さあ、そろそろわれわれもおいとましよう。
チェックアウト時間が9時半、とやや早めの設定になっている。この宿、全体的に時間の概念が普通の宿より30分から1時間くらい早い。
「うう、寒いけど太陽に当たるとまあ4月の陽気・・・ってところかな」
二人で相談した結果、高遠城のさくら祭り見物+高遠界隈の蕎麦屋2軒行脚、というプランで本日を過ごす事に決めた。
車はまたもや900mだけ進んで、そこでチェーンを外して、ノーマルタイヤで走行。
国道152号線を走って高遠に近づくにつれて、「さくら祭り」の看板があちこちで見られるようになった。駐車場こっち、だとかこっちは通れません、とかそういうのがいっぱい。さすが城を覆い尽くす桜ということで有名な高遠のさくら祭り、遠方からたくさんのお客さんが訪れるのだろう。
その割には、誘導員が暇そうにしている。ん?今日は日曜日だし、どうしたことか。
あっけなくお城近くまで侵入でき、がらんとした駐車場に車を停めてみたら・・・
あー。まだ1分咲き、2分咲きだ。
そうかぁ。千鳥が淵はもう満開だったけど、伊那高遠はまだ春が完全に訪れていなかったのか。
「もう季節感メチャクチャ。桜咲いてたり、アイスバーンだったり、26度の源泉だったり、桜まだ咲いてなかったり」
執拗に桜の写真を撮影するしぶちょお。
日当たりの良いところに伸びている枝の花は、中には5分咲きくらいまできているのがあるんだよなあ。
ほら。
この後、蕎麦屋に行って、戻ってみたら、さっきよりも花がより大きく開いていた。目の前でみるみる開花していく桜たち。
犬の散歩をしていた地元のオバチャンに
「あんたたちあと一週間遅けりゃ、満開だったのにねー。惜しかったねー」
と声をかけられた。
高遠には電車の駅はないのだが、バスターミナルのことを「高遠駅」と言う。なんとなくここで記念撮影。
このあと、「壱刻」と「兜庵」という2軒の蕎麦屋をハシゴした。そのときの様子は「蕎麦喰い人種行動観察」コーナーのほうで。
高遠駅の待合いスペースで発見した広告。
「平家の里」という飲食店のお店だ。高遠から152号線をさらに南下していかなければならず、ちょっとここからは距離がある。
しかし、惹かれたのは「名物 激辛火消し[署長]」という、何やら梅干しでも漬けるかのようなカメに入ったラーメン。「署長」という名前がついているところをみると、恐らく辛さ控えめの「消防副士長」「消防士」なんてのがあるのかもしれない。
辛い物大好きなおかでんにとってはそれだけでも垂涎なのだが、「10分間で食べたら無料!」という表示にさらに惹かれてしまった。蕎麦食べるのやめて、こっちにしようかと真剣にしぶちょおと話し合ったくらいだ。
しぶちょおにとっては、「麺類・定食ご注文の方ご飯食べ放題!」の言葉に激しく惹かれた模様。
ただ、うっかり「あっ、そろそろ壱刻の開店時間だ。並ばなくちゃ」なんて気を散らしてしまったので、このお店の存在は忘れ去られてしまった。惜しい。
最後、しぶちょおと伊那で別れることにした。名古屋に戻るしぶちょおは伊那から高速バスに乗って帰るという。
「まだちょっと小腹が空いてるね」
という話になったので、伊那名物ローメンを食べようということになった。しかし、日曜日ということもあってか、全然ローメン屋がない。定休日だったり、怪しい感じでどうみても旨そうな印象が無かったり。
仕上げに、「ローメン」というのぼりをたてて、営業していたお店が
「信州信濃の蕎麦よりも あなたのそばがいい!」
という激しく脱力してしまう張り紙を掲示していたので、何だか食べる気力がうせてしまい、ローメン中止。「ま、いいか」と勝手に話を締めくくり、二人はそれぞれ別方向に別れていったのであった。
コメント