小笠原遠征

父島港近辺の地図

11:41

写真が小さくてちょっとわかりにくくて恐縮ですが・・・。

上端に、これから目指すビジターセンターがある。

左下の大きな岸壁が、おがさわら丸及びははじま丸が着岸する場所。

父島の「中心地」と呼べる場所はだいたいこの地図の範囲内ということになる。

おがさわら丸が停泊する岸壁の東側にある「大神山」は、先ほど怪しいトンネルを見つけた場所だ。

ばばろあ曰く、「この山にはいくつも砲台跡や壕跡があるんよ。ぜひ探検せにゃならん」と鼻息が荒い。歩くスピードも自然と速くなる。彼からすると、ビジターセンターなんかでのんびりしてられっか、ということらしい。それよりも何よりも、戦跡を見たい、というわけだ。

ビジターセンター

11:44

ビジターセンターってもっと派手なものかと思ったら、表通りから一本奥に入ったところにあり、なおかつ入口もやや判りにくい地味ーなつくりだった。

凝った施設ではなかったが、ここで最低限の小笠原の歴史についてお勉強。

もともと、170年ほど前にハワイからの移住者が定着したのが小笠原の歴史の始まりだそうで、捕鯨船への補給場として栄えたらしい。以降日本領になり、鰹節の生産なども行っていたが、第二次大戦勃発によって島民のほとんどは強制疎開してしまった。戦後、帰島が許されたのはアメリカ系住民のみであり、日本人の帰島が許されたのは1968年のことだった。その間はアメリカの占領地として、アメリカ国土となっていたわけだ。

そんなこともあって、ところどころアングロサクソンな人が散歩していたりするから面白い。こんなところになぜ白人さんが、という不思議さがある。あと、日本人の帰島が随分遅れたこともあってか、島独自の文化というのはあまり残っていないようだった。父島・母島を旅した限りでは、言葉は標準語だし、何か特殊な神様を祭ってあったり建築様式が独特、ということは全く見受けられなかった。

八丈島だったら、空港についたらまず「おじゃりやれ」の言葉が出迎えるし、沖縄だと「めんそーれ」だ。そういう「ああ、旅をしているなあ」という文化はあまり感じられない島だった。それが物足りないといえば物足りない。小笠原独自の文化がもっともっと新たにさかえると良いのだが。

・・・あ、カメ食文化がそれか。いや、カメじゃちょっとキツいぞ。あれは僕は悪くないと思ったが、女性などからすると「キワモノ」の部類に入る。

砂浜

12:02

海岸があまりに美しかったので、砂浜に出てみることにする。

戦跡が見たくてうずうずしているばばろあは、「ええじゃんそんなんどこでも見られるで。わし先行っとくけえ」と言い残し、ははじま丸乗り場に急いで行ってしまった。

いや、でもやっぱりこれは見ておかなくちゃ。

白い砂浜、青い海。

南国だなあ。

東京都、ですぜ、これ。

さすがに、八丈島とは全然違う。八丈島も「南国だなあ」とは思ったが、それはアロエ林だったり「山方面」の景色に対してだったが、ここだと、海がもう全然違う。

貝殻とかサンゴが砕けて打ち上げられたもの

12:04

あ、なるほど。

砂浜かと思ったら、砂じゃないんだな。

白いのは、貝殻とかサンゴが砕けて打ち上げられたものだった。歩くとシャキシャキと音がして気持ちいい。

ピンクドルフィン

12:08

海沿いを歩きながら、岸壁を目指す。

おがさわら丸が優雅に停泊中。

その手前に、ピンクドルフィンと書かれたレジャーボートが停泊していた。どうやらダイビングツアーの船らしい。ここでは年中イルカを見ることができるので、イルカと一緒に泳ぐ「ドルフィンスイム」ができるんだとか。あと、暖かい気候なのでダイビング、体験ダイビングもお手の物だ。

あと、小笠原ではホエールウォッチングもできることが売りの一つとなっている。冬の間はザトウクジラ、夏の間はマッコウクジラが小笠原諸島周辺までやってきて、潮を吹いたりブリーチングしたりするらしい。

うー、魅力的。見に行きたいが、日程的には無理なんだよなあ。やはり、せっかく小笠原に来たからには、2航海分の期間+ダイビングライセンスは欲しいところだ。

共勝丸 貨物取扱所

12:10

岸壁の片隅に、「共勝丸 貨物取扱所」と書かれたコンテナを発見。

そうそう、忘れてはいけない。小笠原には、おが丸とは別に「共勝丸」という貨物専門運搬船の存在があるのだった。

共勝丸は東京月島桟橋から父島を経由して母島までを往復する貨物船で、行きは資材や食料運搬、帰りは廃棄物運搬などを担当している。おが丸と比べてはるかに小さな船なので、片道40時間以上かかるという(天候状況によって停滞したりするため、運行スケジュールはまちまち)。このため、1日目お昼頃に月島を出航して、父島に到着するのは3日目の朝10時頃となる。小笠原諸島の人達にとって、おが丸と並ぶ重要なパイプラインだ。

貨物船とはいえ、一応9名の客を乗船させることができるようになっている。1日3食付き、もし停滞したとしても到着までの期間は食事保証でお一人様18,000円。移動時間にいくら時間をかけても良い人であれば、おが丸よりも安く現地入りすることができる。ただし、いつ到着するか時間が全く読めないし、天候が悪くなったら小型船故に恐ろしく揺れるらしい。快適か、と言われるとそこは貨物船、ある程度の覚悟が必要。

一時、通な旅人はこの共勝丸に乗って小笠原を行き来することもあったようだ。三食、船員さんと同じ料理が食べられるし、貴重な体験ができるとあって隠れた人気があったと聞いている。しかし、現在では「乗船のみのお客さんはお断り」というスタンスに変わってしまった。資材運搬の付き添いなど、事情がある人に限り乗船可能なんだと。

真偽のほどは確かではないが、風の噂によると「利用した乗客が、ちゃんとシャワーの栓を閉めなかったために貴重な水がだだ漏れ、その結果水不足で悩まされたという事件」があったため、もう使わせないぞということにしたとかしないとか。惜しいなあ。

ちなみに、東京・月島から父島まで乗用車1台運搬するのにかかるお金は小型車で37,000円。この手の物価ってのがよくわからないので何とも言えないが、あら意外と安いのね、というのが実感。だって、おが丸で人一人2等客室で運ぶので、2万円オーバーですぜ。

クジラのオブジェ

12:11

おが丸の乗船待合室前にあったクジラのオブジェ。ちょうどブリーチングしようとしている格好。

つられてこちらもブリーチング状態で記念撮影。

待合室

12:12

さすがにこの日、父島発竹芝桟橋行きの船に乗る人は大変に少ないようだ。行列が圧倒的に短い。

これだったら二等客室に乗っても快適だろうなあ・・・。

でも、ゴールデンウィークまっただ中の今日、さすがに旅を切り上げて帰るという勇気はなかなか起きない。あえてピークシーズンを外した、時間に余裕があった学生さん達なのだろうか。

戦跡ツアー

12:15

「おっ、これこれ」

ばばろあが、いろいろなツアー案内を表示している掲示板の一角を指さす。

「戦後60年、兵(つわもの)どもの夢の後を追って」

と書かれてあり、車輪付きで移動可能な朽ちた砲台の写真があった。

「この『板長』ってところに最終日、戦跡ツアーをお願いしてあるんよ」

「へえ」

「他にも戦跡ツアーってのはあったんじゃけどね、どれもやれ平和がどうだの、戦争の悲惨さがどうだのってそんなのばっかりで。そうじゃなくて、純粋に戦跡はこれだ!って見せてくれるところじゃないと信用できんかったんよ。そうしたら必然的にここになった。だってそうじゃろ?なんか戦争はイケマセン的な話されたり宗教的な話されてもイヤじゃろ?」

「そりゃそうだ」

「ここは間違いないと思うんだよなあ。どうかなあ」

さて、どういう結果になるかは数日後になってわかることだ。

小笠原の陸・海・空の足跡を追って常夏のジャングルの中に残る戦跡を歩いてみませんか。旧小笠原陸・海軍の生存者の証言を元に小笠原の山を歩いて30年、戦跡ガイド「板長」。

ははじま丸の乗船手続きカウンター

12:16

乗船手続きを行う。出航まで1時間以上あるのだが、おが丸のあの人の多さにビビったわれわれは、「早めに乗船手続きをしておかないと、ははじま丸の乗船定員をオーバーして『乗れません』って言われるんじゃないか」と心配になったのだった。

乗船券に住所氏名を書く

12:16

ここでも乗船券に住所氏名を書く。

父島からさらに2時間先の島が、母島だ。まだまだ遠い。結局まだ目的地までは遠い。ああ、相変わらず丘揺れするよ・・・。くらくら。

「釣り人各位殿」と書かれた警告表示

12:17

「釣り人各位殿」と書かれた警告表示。

5kg以下はすべてリリース、というのが何とも豪快だ。アジとかイワシみたいな小魚が釣れたら、「よーし今晩のおかずにしちゃうぞー」としちゃダメで、リリースしなければならないということなのか!?

えらいこっちゃ、と思いよーく読んでみると、イシガキダイとイシダイ保護のため、この2種類のみ限定の施策であり、なおかつ東京に持ち帰る場合に限り、ということらしい。アジ釣って一夜干し作って食べちゃいかん、というわけではない。

「1航海1人1尾のみキープをみとめる」というのだから結構厳しいルールだ。まるでカナダでのサーモンフィッシングのようだ。

ははじま丸乗船券

12:18

乗船券ゲット。定員オーバーなんて全然心配する必要はなかったようだ。あとで母島の住民さんに話を聞いてみたら、

「いやー、乗客が多かった時は人数カウントするのやめちゃうんだよ。見なかったことにしちゃう」

なんて笑いながら言っていた。

ま、それは冗談だと思うが、荷物運搬量を調整するなどして、乗客を載せるほうを優先させているとのこと。

父島~母島の航海、片道3,780円。交通費高く付くなあ。帰りの便も考えたらこの倍かかるってことだ。・・・あれ、ちょっと待て。片道の値段が値上がりしてる。3,780円改め、4,230円になっていた。なぜだ。

聞くと、原油高ってことなので燃料サーチャージ代金が別途かかっているんだという。飛行機だけじゃないんだな、燃料サーチャージって。

・・・まあ、そもそもこの小笠原まで燃料を運んでくる事自体が相当に大変な事なので、少々の値上げは致し方ないところだ。

ドクターペッパー的なもの

12:24

出航までの間、ばばろあは勢いこんで「ちょっくら大神山攻めてくる。その間これでも飲んどいて」とわれわれを置いて、早歩きで山の方に向かっていった。本当に戦跡が好きなヤツだ。

渡されたのは、お酒が入っていたクーラーボックスから取り出された怪しいドリンク。ドクターペッパーのジェネリック品だった。アメリカ製?一体どこで仕入れたんだ、こんなもの。

「ぬおお。この独特の薬くささが、何とも」

といいつつ、暇を持て余した二人は言われるままに怪しいドリンクを頂戴した。

島全体が戦跡

12:30

いやーそれにしても。

島全体が戦跡、というのはあながちうそじゃないなあ、ってのがここからでもよく判るんですわ。

写真だとちょっと判りにくいが、われわれがいる待合い所正面の、湾内の崖に、不自然な四角い穴が何カ所か開いているわけですわ。要するに、壕。あの中に日本兵が機銃を持って潜んでいて、敵船が上陸しようとしてきたら銃撃するという仕組みだ。

「必ず十字放射するように作られているはずだから、大神山方面にもいろいろあるはずだ」

とばばろあは1/25,000の地図と「小笠原戦跡案内」の本を手に言う。

よーく岩肌を見てると、結構あちこちにこの手の「人工的に作られた、不自然な長方形の穴」ってのがあった。この湾内だけで一体いくつ壕があるんだよ。当然この壕に入るために、この穴の背後にはトンネルが掘られてどこか地上に出られるようになっているわけで、こうなってくると戦争をしようとしているんだか、土木事業をしようとしているんだかわからなくなってくる。

ちなみに、小笠原諸島では空爆はあったものの、連合国の揚陸作戦は行われなかった。硫黄島陥落以降、小笠原は素通りされてそのままB29は本土爆撃に向かってしまった。

小笠原水産センター

12:32

まだしばらく暇なので、荷物の番をしぶちょおにお願いしておかでんも歩いてみることにした。

港の近くに「小笠原水産センター」という施設があったので、そこに入ってみる。

ウミガメ発見

12:36

水槽にウミガメ発見。でかいなあ。

これ一匹シメたら、一体どれだけの肉が採れるんだろう・・・。

さっき、カメ肉を食べたばっかりなので、そんなことしか思い浮かばなかった。

でも、優雅にふーわふーわと泳いでいるその光景は可愛い。海の中でダイビング中に出会ったら、きっと感動することだろう。

カメ、といったら、昔縁日で売られていたくっさいミドリガメの印象しかなかったので、ちょっと目から鱗状態ですわ。

父島の中心地
父島の中心地のお店

12:46

父島の中心地の方も散歩してみる。

お店としても、GW期間中はかきいれ時なので気合いが入っているに違いない・・・のだけど、静かなものだ。あんまり歩いている人もいない。

ちなみに、父島、母島に共通していることだが、お店の定休日は「おがさわら丸出航翌日」というところが多い。おがさわら丸が出ていくと、急に人の数が減るからなのだろう。GWなどのハイシーズンは別として、おが丸は父島に3泊停泊したのち、竹芝に向けて出航する。だから、必然的に父島・母島の宿は「3泊する人」が多いわけであり、船が出航すると次の入港までは暇になる、というわけだ。

軒先でわんこが寝ていた

12:47

お土産屋の軒先でわんこが寝ていた。

暖かい風が気持ちよいのだろう。

定食屋がある

12:48

この時間になるとランチ営業をしているお店が多いので、いろいろ物色してみたのだがどこのお店もさすがに物価が高いし、あまり惹かれるものがない。ちょっとたじろぐ。われわれは父島で2泊する予定だが、運悪く素泊まり宿になっている。だから、外食飯事情というのはちょっと重要だったりする。

ふらふら散歩していたら、「肉ニラ炒め定食」など普通の定食を許容範囲内の値段でやっているっぽいお店を発見。ちょっと安心する。覚えておこう。

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