小笠原遠征

ははじま丸

13:06

乗船手続きを済ませてから外に出てみたら、先ほどまでは見かけなかった小さな船が停泊していた。これがははじま丸。

うわ、ちっちゃい。

おが丸とて、新日本海フェリーのようなカーフェリーと比べれば相当小さい部類に入る船だが、どうしてもおが丸と見比べてしまう。「えっ、漁船?」なんて失礼な感想を抱いてしまった。

ただ、決して小さいわけではなく、すぐ隣に停泊しているおが丸がデカいだけだ。とはいっても、これで2時間、太平洋の荒波の中を突っ走るというのはなかなかに揺れそうだ。酔い止め薬、もう一錠追加で飲んでおいた方が良さそうな予感。

コンテナの積み替え

13:09

ははじま丸は、13:30の出航に向けて急ピッチで荷物の積み込み作業を行っていた。おが丸から積みおろしたコンテナを、フォークリフトで全力疾走でははじま丸まで運び、そこからははじま丸内蔵のクレーンでつり上げて船首部分に格納、これを繰り返していた。

なるほど、おが丸が予定を繰り上げて父島に到着した意味がよく分かった。ちんたらしていたら、ははじま丸の出航までに荷物が積み込めなくなるというわけだ。

今まさに積み込んでいるコンテナには、「平成17年度小笠原村漁業振興ナントカ」と書かれており、コンテナには冷却ファンが取り付けられていた。恐らく、冷蔵品もしくは冷凍品を運搬するためのコンテナなのだろう。

乗船開始

13:18

とか言っているうちに乗船開始。荷物の積み込み、間に合うんかいなと心配していたが、どうやら無事に間に合ったようだ。

ばばろあも、怪我無く戻ってきた。ただし、激しく興奮しながら。

「いや、凄いで。もう山中いたるところが戦跡、って感じで。あの階段を登ったところには(以下略)」

どうやらすごかったらしい。

のびのびシート

13:20

この船、2時間の旅とはいえ、一等客室と二等客室の二種類が用意されている。一等だと、個室になりベッドまで備え付けられている。二等はカーペットの「のびのびシート」と、座席の二種類。

「たかが二時間で一等なんて高い金払って乗る必然性なんてないよな」

なんて三人で話していたが、既にもう時間の感覚が麻痺している。これまで、24時間以上の船旅をしてきたからだ。二時間あれば、新潟から佐渡島までフェリーで移動できる時間であり、決してバカにはできない長時間だ。

おが丸の横を通り過ぎて行く

13:31

カーペット席でのびのびしているのもなんだか悔しいので、小雨が降っているとはいえ外の席で風景を眺めることにした。

13:30定刻通り出航。

14時出航予定でまだ停泊中のおが丸の横を通り過ぎて行く。やっぱデカいなあ、というかははじま丸、小さいなあ。

まあ、既に24時間「鍛錬」されており、揺れには耐性ができているはずだから恐らく大丈夫だとは思うが。

父島の崖を気にしている

13:32

ばばろあがひたすら父島の崖を気にしている。

「ほら、あそこにも壕」「こっちもそうじゃねー」

指さす方向を見ると、確かに至る所に人工的な四角い穴が崖に開けられている。

2カ所ほど壕が見える

13:36

ちょっと写真ではわかりにくいが、ウェザーステーション直下の、垂直にキレ落ちた断崖のところにも2カ所ほど壕が見える。

「一体どうなってるんだこの島は」

昭和19年頃から陸軍は方針転換し、空襲にも耐えられるように施設は全て地下に作るように、という指令を出したのだという。だから、父島の軍事施設は地下に全て移すべく、長大なトンネルが掘られたらしい。そして、硫黄島決戦があったこともあり、穴蔵戦法が比較的有効であったことからますます壕などを数多く作ったのだと。

それにしても壕が多い

13:39

それにしても壕が多い。「ウォーリーを探せ」ではないが、崖を見たら壕を探せ状態。三人とも、「あっ、あそこに壕が」「こっちにも」と発見すべく、じーっと崖を凝視していた。

ちなみにこの崖には壕は無かった。

「どこにでも作ればええんと違うんよ。敵が揚陸してくるであろう湾の入口なんかに作って、揚陸を阻止することに意味があるんじゃけえ」

なるほど。

クジラ探し

13:48

父島が遠ざかっていったので、今度はクジラ探しに方針転換。

雨が降っているので視界がすごく悪かったが、しぶちょおが

「あっ、あれ違うか!?」

とめざとく発見した。

写真だと「単なる雨模様の海」にしか見えないが、実際は潮をブローしているクジラが写っているのであった。

「すげーすげー、今日一日でイルカも見たしクジラも見た。もう何も思い残すことはない」

「やめてくれ。まだ戦跡全然見とらん」

「あと、帰ろうと思ってもおが丸、次来るの相当先よ」

「そうかー。飛行機もJRも何もないもんな。急病になって自衛隊機で運ばれない限りは、途中脱走不可な島なのだな」

さようなら父島

13:51

さようなら父島。

せっかく固い地面に上陸したのになあ、なんだか惜しい。

それにしても恐るべきは母島よ。24時間以上かけてようやく父島に到着したのに、さらにそこから2時間の船旅を要するとは。なんたる僻地。

でも、硫黄島なんてのはここからさらに先なわけで、昔の人達はよくぞまあこんなところまで遠征して生活していたものだ、と感心する。

じーっと海を凝視しつづける二人

13:56

クジラが次、いつ出現しても良いようにじーっと海を凝視しつづける二人。

母島が見えてきた

14:43

はるか彼方に、母島が見えてきた。

父島以上にごつごつした島だ。上陸地点ってちゃんとあるのか?と心配になってしまう。

あまりに風雨が強い

15:20

クジラ探しを続行していたのだが、あまりに風雨が強いために物陰に隠れてしまった三人。それでも風は強く、しぶちょおが耐風姿勢でこらえている。

結局、クジラを見ることができたのは先ほどの1回限りで、以降の旅で見られる事はなかった。さすがにそんなに頻繁に出現する生き物ではないらしい。

たくさん居るんだったら、勝手に調査捕鯨しちゃって、小笠原名物カメ料理と並んでクジラ料理も名物になってたんだけどなー。残念。

母島に接近してきました

15:36

さあ母島に接近してきましたよと。

天気が悪いこともあって、何だか陰気な島に来ちゃったなあ、という印象をうける。岩礁や絶壁で構成されている島だからだろう。

沖港
沖港

15:38

おや。でも島の一角に、奇跡的になだらかな場所があった。ここがわれわれ入港ポイント、沖港になる。

ちなみに今写真で写っている範囲が、集落のほぼ全て。ここ以外の島内は、畑とか工場とかあるものの、ほぼ無人だ。いかにこぢんまりした島であるかがよくわかる。島民の数は400人ちょっと、というから非常に少ない。ほぼ1日1回就航しているははじま丸だが、ちゃんと収益が出ているのか、他人事ながさ心配になる。

母島観光協会

15:39

船着き場が見えてきた。

ピンク色の建物は、ははじま丸乗船受付所兼母島観光協会。

母島到着

15:50

とーちゃーく。もうこれで本日の船旅はお終い。いやぁ、昨日朝10時からの船旅を振り返ると、遠かったこと遠かったこと。もうこれでしばらくは揺れから解放だ。

・・・とはいっても、母島には1泊の予定なので、明日の今頃にはまたははじま丸に乗っているわけだが。もう船だらけな毎日っすな。

下船用のタラップのところには、お巡りさんが乗客の様子を監視していた。い、いや、僕たち何も悪いことやってないッスよ、とお巡りさんを見ると無意識のうちに緊張する。

確かに、漁船チャーターを除けば、この島で悪さをするヤツってのは(そんなヤツはなかなか居ないと思うが)母島丸を利用せざるをえないわけで、乗下船の際に人物品定めをしておけば狙った犯人は逃がさないぞ、ということができるわけだ。効率的だ。

沖港施設案内図

15:51

沖港施設案内図、というより、母島集落前部の案内図といった感じ。

さすが400名の島だけあって、集落の範囲も狭い。

とはいっても宿泊施設が15軒もあるということだし、観光ガイド業を営んでいる人もいるだろうから、圧倒的に第三次産業、しかも観光業で生計を立てている人が多い島なのだろう。

こぶの木★号

15:52

われわれが泊まる宿は「ビラこぶの木」という民宿だった。

「こぶの木★号」と書かれたワンボックス車がお出迎えに来てくれていて、それに乗車して宿まで連れて行ってもらう。

ビラこぶの木

15:53

連れて行ってもらう、といっても港からすぐだった。歩いても3~4分の距離しかない。

本日のお宿に到着。

ふー、今日は二等客室で息苦しい一時を過ごさずに済むぞ。有難い。

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