関ヶ原ウォーランドに入る前に、まずは「麗守都関ヶ原」でお手洗いを済ませておく。うっかりウォーランドに入ると、そのインパクトにおしっこをちびってしまうかもしれないから。
この「麗守都関ヶ原」は、食堂、売店を兼ねている。売店には、さすがに戦国関係のものが多い。グッズ化は至って簡単な話で、戦国武将の紋を饅頭や煎餅に刻印するだけでそれっぽいものはできる。
「関ヶ原で戦ってきました」なんていうクッキーなんかがあるかと思ったが、無かったはず。関ヶ原ご当地キティちゃんも居なかったと思う。あまり若い人向けのお土産は扱っていなかった。高齢者中心の来場なのだろうか。そういえば、漬物類がよく売られていたな。
「あっ、何だあれは」
誰だったか、素っ頓狂な声を上げる。いざウォーランドに入ろうと移動していたところ、なにやら観音様のような像がわれわれを出迎えてくれたのだった。それだけなら、まだいい。その脇には石碑があり、なんと「祈 ノーモア関ヶ原合戦」とかかれていたのだった。
「ノーモア」って・・・・。ふざけてんのか?これ。
しばらくアワレみ隊一同で議論になった。真面目なのか、ふざけているのか。それとも、これを作った人の頭が常人の想像の範囲外なのか。
関ヶ原の合戦を「戦争って悲惨ですよ」と教えられた人は、日本人では一人もいないと思う。単に歴史上のでき事としか認識しておらず、今更「関ヶ原合戦!ノーモア!」と叫ばれても困惑する。しかも英語だし。なぜ英語。
「悪ふざけ」。
一応、われわれのこの時点での結論。
その結論を裏付けするかのように、もう一つの石碑を発見しちゃった。
「ああ関ヶ原」
3番からなる歌が刻まれている。これを悪ふざけと言わずして何という。まあ、面白いからいいけど。別に戦没者にバチがあたるとか、そういうのはないだろうし。
歌詞はそこまでふざけてはいないのだが・・・でもやっぱり、わざわざ歌を作って、しかもそれを「どうだ」とばかりに石碑にするセンスが凄い。凄い、というか一歩間違えればイタい。でもそれがいい。
歌詞を全文掲載したいところだが、著作権が絡むのでやめとく。抜粋すると、一番の歌詞は「慶長五年の九月のなかば・・・」から始まる。そして最後は「天下分け目のああ関ヶ原」で締めくくる。二番の最後は、「夢と意地とのああ関ヶ原」で、三番の最後は「祈るノーモアああ関ヶ原」。これで曲が終わる。また「ノーモア」だ!何なんだ、もう。
歌詞は平成8年に作られたらしいので、最近だ。
関ヶ原合戦戦没者慰霊碑、だって。
いまいちピンとこないんだよなあ。江戸時代の頃からある慰霊碑なら分かるんだが、つい最近建立されたものだもん。とうの昔に、戦死者は輪廻転生しているか、神の国に導かれてるかどっちかだ。今更慰霊しても、肝心の御霊が存在しなけりゃ意味無いと思うんだが。
入口で相当ひるんでしまったが、気を取り直してウォーランドへと入る。
入口からして、何だかレトロ感というかチープ感が漂っていて、大変にB級で素晴らしい施設だと思う。
中にはいると、早速あるのが観光地のお約束、「顔の部分がくりぬいてある人物像パネル」。さあこれでレッツ記念撮影。
「これで本当にノーモア関ヶ原なんだろうか」
「何だか違う気がする」
広島市出身のわれわれは、「ノーモアヒロシマ」を間近で見てきているので、「ノーモア」の言葉の重さと、厳かさは嫌と言うほど知っている。学校教育でもさんざん習うし。
そんなわけで、既に入口の段階で「ノーモア?あれ?」という感じありありなんでござんす。
遠方になにやら人影が見えているぞ。
おお、あれがウォーランド名物のコンクリートによる戦国武将バトルか。
近づいてみると、カラフルに彩色されたお武家さん達が戦ってらっしゃる。いやいやどうも、ちょっくらお邪魔させてもらってます。すんません、天下分け目の合戦の最中に。
コンクリート製なので、言うまでもなくチープだ。とはいえ、もっとでくの坊なできかと思っていたら、案外細かく作られていて感心させられる。コンクリート彫刻家ってあんまり居ないと思うんだが、この人なかなかやるな。
ただ、コンクリート故に、塗装は風雨とともに剥げるはずだ。定期的に塗り直さないといけないので、これは結構な手間になりそうだ。像の原材料費は安くても、その後の維持運用が面倒な像。
敷地内の端っこに、毛利輝元さんがどっしりと座っていらっしゃった。
ほら、早く戦わないと戦局が決してしまいますよ。早く出撃しなくちゃ。
・・・え?既に東軍と密約ができていて、動く気が無いって?黙ってろって?はい、分かりました。そーっとこの場を去ります。お邪魔しました。
吉川広家。
毛利輝元のいとこ。
吉川ー!うしろ、うしろ!
腕組んで偉そうにしている場合ではないよ!
・・・と思ったら、後ろにいるのは長宗我部盛親。なんだ、味方だ。
この辺りは、関ヶ原の合戦で毛利軍3万人を擁した、南宮山を再現しているらしい。無造作に武将人形を並べているわけではないようだ。
池に龍の像がある。あれも関ヶ原関係なのか。そんな逸話、あったっけなあ、とみんなで話をしていたら、看板には「この大蛇は関ヶ原合戦に関係ありません」と書かれていた。おい!
激戦は続く。敷地内至る所が戦場だ。あ、そうか、そりゃ当たり前だ。
「ノーモア関ヶ原!」の精神に則って、われわれアワレみ隊も必死で戦いの仲裁を行う。しかし、荒ぶる魂はなかなか収まらず、戦いを止める気配は見せてくれなかった。
そこで、公平にジャンケンによる仲裁を行ったりもし、一定の成果を得た。
しかし、仲裁の努力むなしく、無念の戦死を遂げるものも。
結構躍動感がある人形も多い。
こちらでは、相手にマウントポジションをとって、今まさにリストラをしようと・・・違った、首をかき切ろうとしているところ。
すいませんねえ、ちょっとそのままのポーズで、お写真をぱちりと一枚頂戴させていただきますよ、と。首を切られそうな、絶対絶命の人。恐怖で顔が歪む。
これから首を掻ききる人。これはどうみても殺人鬼です。戦いの時代に生まれていなかったら、猟奇的殺人をしていたに違いない。
鉄砲隊もいます。
狙っている先には・・・あれ?女性がいる。しかも、若い女性が、二人。何だ何だ?こんなところに女二人旅なんて、相当違和感を感じるのだが。
「ありゃ歴女(れきじょ)だな」
とばばろあが言う。
「なぜこんなところに歴女が?」
この問いに対しては、しぶちょおが答えた。
「最近、戦国時代ブームなんよ。大河ドラマにイケメン俳優が起用されたり、戦国BASARAがあったり」
要するに、戦国時代=むっさい男どもの組んずほぐれつ、というイメージが変わり、最近のメディアではイケメン武将が主流になりつつある、ということらしい。その影響で、戦国時代に興味を持つ女性が増えたんだと。何事もきっかけが大事だな。何にせよ、歴史に興味を持つことは良いことだ。うむ。
われわれの時代だったら、コーエーのPCゲーム「信長の野望」で戦国武将や領土を覚えた人が多かったものだが、時代は変わったな。
まだまだ戦いは続く。落馬している像なんて、ダイナミックで良い。
首検分のためにはこばれる生首。
カメラを向けたら、自動顔認識機能で生首をロックオンしたのはちょっと嫌だった。
ひととおり見終わって、施設を後にしようとしたところにあったのは「記念メダル販売機」。昔はよくあちこちの観光地にあったよねえ、最近は見なくなったよねえ、なんて話をしているうちに、「よし、せっかくだから作ってしまおう」なんて話になった。
「アワレみ隊が行くところごとに、この記念メダルを作って集めていくんだ」
それは何ですか、ドラゴンボールのように全部集めたら何か願いが叶ったりするんですか。面白いからやってみよう。
メダル1個400円。これを買って、隣にある刻印機にセットし日付等を刻印することになる。刻印代金は30円。まさか一文字ごとに30円かかるんじゃないだろうな、と焦ったが、そういうことではなかった。
ダイヤル式の電話機のような円盤があり、お目当ての文字を選んでから時計回りにぐるーっと回すと、途中でガチャンと刻印される。それを繰り返していく。
結局、「AWAREMI-TAI 2009.3.21」という刻印が完成した。ただし、刻印失敗してMの字が重複してしまったが。「アワレッミ隊」って何だ。まあいいや。
「歴史と遊ぶ 関ヶ原ウォーランド」というメダルで、これはそれなりに良い記念だ。ただ、「ノーモア」じゃなかったのか。遊んでしまっていいのか。
これはこれで大変に結構なのだが、裸状態なので管理に不向きだ。無くしてしまう可能性が高いので、キーホルダーも買っておくことにした。200円。
関が原ウォーランドキーホルダー完成。
さて、アワレみ隊が解散するか、全滅するまでの間にこれが何個溜まることか。
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