長崎の過去と今-13

朽ちていく建物、護られる建物(その13)

岩山の上に建つ建物

15:38
ドルフィン桟橋からみた、3号棟職員住宅。

おや?よーく見ると窓にサッシが入っていることがわかる。他の鉱員住宅は木製の窓枠だったりするのに、職員住宅はこういうところでも扱いが違っていたのだな。

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しかもベランダまである。ベランダから、貯炭場を見下ろす生活を送っていたというわけか。

廃墟

15:38
海にせり出したドルフィン桟橋に繋がっている、軍艦島本体の岸壁は石積み。まるでレンガのように組んである。このあたりは軍艦島の中でも特に古いエリアなのだろう。ガイドさんに聞くと、明治期のものだという。

廃墟

貯炭場があったあたりを眺める。橋げたのような柱が残っているくらいで、元々何があったのかもうよくわからないレベルになっている。

トンネル

ドルフィン桟橋から島に上陸するには、トンネルを経由しないといけない。これは昔と一緒。

さすがに崩落したらまずいので、トンネルは補強されている。それにしても、狭い。昔もこの程度の広さしかなかったのだとしたら、大きな荷物を運ぼうとしたらどうしていたのだろう?ソファとか。

・・・ああそうか、ソファなんてものは昔はなかったか。ちゃぶ台と座布団の時代だもんな。

トンネル

トンネルの途中には分岐があって、左側に向かっていく穴は立ち入り禁止になっていた。

本来、この立ち入り禁止側のトンネルが昔から使われきたものだ。鉱山エリアの地下を通り、住居エリア(30号棟脇)に抜けていく。

しかし現在は住居エリアに立ち入ることはできないので、わざわざ新しいトンネルを掘り、貯炭場のところに出られるようにしてある。

廃墟

15:39
地上に出た。

いきなり目の前に、コンクリートの建物がお出迎え。なんだろう、これは。窓がないので倉庫だろうか?

場所からして、炭を選別するための施設だったと思われる。

先ほど見た軍艦島ミニチュア模型だと、このあたりの建物には三角屋根がついている筈なのだけど、今や残っていない。コンクリートの箱だけが残っている。

廃墟

建物の中。さすがに機材は持ち出したらしい。建物だけが取り残されている。

廃墟

鉄道の高架橋の橋脚みたいなものがまっすぐ並んでいる。

これは、船に炭を積み込むためのベルトコンベアが走っていた場所。

ツアー客集合

15:40
第一見学広場と呼ばれる整地された広場にて一旦全員集合。ここでガイドさんからの説明を受ける。

学校

第一見学広場から見た、70号棟端島小中学校。手前に71号棟体育館があるはずだけど、ここからだとよくわからない。第四竪坑や変電所が70号棟の手前にあって、その廃墟が視界を妨げているからだ。

1階から4階までが小学校、5階~7階が中学校、そのうち6階は図書館などがあったらしい。屋上にはアーチ状の天井があったようだが、今や半分潰れてしまって、無残な姿になっている。

岩山

15:40
貯炭場から崖上。このあたりは石垣を組んで、崖崩れを防いでいる。

建物は残っておらず、コンクリートの基礎だけ残っている。炭車修理工場などがあったらしい。

アワレみ隊3名

アワレみ隊、軍艦島上陸。

蛋白質が「どこかで既視感があると思ったら、原爆ドームを見ているようだな」と言う。

なるほど、広島出身の我々からすると、廃墟の建物といえば真っ先に思い浮かべるのが原爆ドームだ。

蛋白質が浮かない顔をしている。

「どうした?」
「昔はここも栄華を極めたんだと思うと・・・」

いや、そこで神妙な顔にならなくてもいいだろ。別に戦争の激戦区だったわけでもないし。

(つづく)

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