長崎の過去と今-27

朽ちていく建物、護られる建物(その27)

浦上天主堂

10:09
カトリック浦上教会。浦上天主堂ともいう。「うらがみ」と呼ぶのかとおもったら、「うらかみ」なんだな。気がつかないで、旅行中ずっと「うらがみ」と呼んでいた。

それ以前に、「大浦天主堂」と「浦上天主堂」、どっちがどっちか混乱してしまい、しばしば間違えた。両方とも「浦」が付く名前なので、間違えやすい。

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教会はとても巨大で、ちょっとした丘の上に建っている。浦上教会へ通じる道はこの教会の正面からまっすぐ突き当たるのだけど、建物を目の当たりにした時は思わず3人とも「うおっ!」と声を上げてしまったくらいだ。それくらい、インパクトがある荘厳な建物。そして驚いたあとに笑ってしまい、「すげえなあ」と嘆息する。

原爆が投下された場所から近いのだけど、我々は原爆関連施設には立ち寄らなかった。

司教座聖堂

教会の入口に、「長崎大司教区 司教座聖堂」という表札が出ている。つまりこの界隈を管轄する中心地だ、ということだ。いわゆる「カテドラル」にあたる。

以前は大浦天主堂がその役割を果たしてたそうだが、戦後こちらに移っている。そういえばこの建物周辺には、大きな「カトリックセンター」や「大司教館」といった建物が並んでいる。地図を確認すると、さらに周囲には神学院が複数あり、周辺施設を含めるとかなり大規模なキリスト教村を構成していることがわかる。

さすが、「信徒発見」の15信徒の出身地だ。ある意味、日本における近代キリスト教の総本山的な位置づけなのかもしれない。

マナーについて説明

10:10
教会見学のマナーについて、という掲示がある。

教会内では静粛にしないといけないのは当然として、写真撮影も禁止されている。

マリア様

10:11
イエス・キリストを抱いたマリア様がお出迎え。

目の前にある建物は信徒会館だろうか?

浦上天主堂

浦上教会。

こんな巨大な教会が日本にもあるのか!と驚かずにはいられない規模感。聞くと、信徒数7,000人を誇り日本最大規模なのだという。7,000人!?どうするんだ、日曜日のミサはいくら教会が大きくても人が溢れてしまうぞ。

いやご安心ください、ミサは土曜日19:00、日曜6:00、7:30、9:30、18:30の計5回やっとりますので。

へえー。

ミサというのは「日曜日の朝、一回だけ」だと思っていた。蛋白質は、「午後に外国人向けの英語ミサがあって、それにも出ることがあるので一日2回ミサに出ることもあるよ」と言っていたけど、この教会は日曜日だけで4回も開催されるのか。これだったら、「土日は旅行や所要でミサに出られなくって」という人でも安心だ。

信徒発見の絵

10:13
昨日の軍艦島に引き続き、神妙な顔付きになっている蛋白質。

僕とばばろあは「観光地に来ました」というスタンスだけど、彼は自分の信仰に基づいてこの地に足を踏み入れている。真剣だ。

アワレみ隊と浦上天主堂

10:24
中に入らせてもらう。

ここは観光地として有名ということもあり、聖堂入り口には受付の人がいた。

一般の観光客は、参列者席の最後尾からしか見学ができないのだけど、信徒であれば中に入ることができるという。蛋白質は、受付の人に「○○教会から来ました、蛋白質です!」と元気よく告げ、キリスト教徒の証?らしいペンダントのようなものを見せ、中に入らせてもらっていた。

観光客向けのところには、神社のお賽銭箱のようなものが置いてあり、拝観料のかわりに献金をすることになっている。圧倒的規模感の建物に驚きつつ、少額ながら献金をした。

この建物は、原爆投下時に廃墟となってしまったのだが、その後再建され今に至っている。総レンガ造りで再建するわけにはいかないので、鉄筋コンクリートで作り、レンガパネルを表面に貼った作りになっているそうだ。

廃墟をそのまま保存していれば、広島の原爆ドーム同様に原爆投下のシンボルとして平和教育や観光資源の素材になったのに・・・と惜しむ声もあるそうだが、この地に「活きた」教会を建てることは過去の歴史からみても必須、という教会側の意向も踏まえ、瓦礫を撤去して再建の道を選んだそうだ。

(つづく)

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