長崎の過去と今-31

朽ちていく建物、護られる建物(その31)

出津文化村

14:38
遠藤周作文学館がある丘から北側を見ると、山の中腹に教会の鐘楼が見える。その近くには老人ホームにしてはやけに洋風な建物も見える(あとで調べたら、「聖マルコ園」というキリスト教系老人ホームだった)。どうやらあの界隈が「出津文化村」と呼ばれるエリアらしい。

今日、どれくらい時間の余裕があるかわからなかったのでここに立ち寄ることは想定していなかった。でもこうやって間近にあるのを見てしまうと、俄然気になる。洗濯洗剤のCMに出てくるかのような、真っ白な色をした教会もとても気になる。

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ちょっとだけ、ちょーっとだけ立ち寄ってみようか?

ほら、遠藤周作文学館とは目と鼻の先。車で数分の距離だ。

遠藤周作「沈黙」の碑もあるらしい。それだったら、「沈黙」好きな蛋白質にとってもぜひ立ち寄りたいだろう。

「船の時間、大丈夫かね?」

ばばろあが気にする。

「まあ、なんとかなるでしょ。もしダメなら瀬戸港ではなく神浦港という手もあるし」
「ほんまに大丈夫なんか?今日は神浦から行けても、明日池島から戻ってくるときに瀬戸港行きの船だったら面倒で?瀬戸からタクシーかバスかで神浦港に戻ってこんといかん」
「たぶん大丈夫だと思うんだよな、一応、便はある」

島に渡るとなると、薄いダイヤを常に意識しないといけない。タイミングがあわないと、ひたすら島に閉じ込められることになる。池島は今でこそ島民が激減してしまったけど、まだ2つの港から船はやってくるし便数もそれなりにある。

明日は池島から戻ってきたら、その足ですぐに嬉野温泉に移動する予定になっている。諫早湾の反対側なので、 ぐるっと湾を回り込むために移動時間は長い。なので、港の選択を誤ってモタモタしたくない、というのはばばろあも僕も共通認識だった。

「でもまあ、なんとかなるでしょ」

結局結論は、そういう曖昧な表現で片付いた。

蛋白質ベストショット

14:39
一方の蛋白質はというと、カメラを抱えて物憂げな表情。小説「沈黙」はキリスト教弾圧の実話をベースとした話であり、まさにこの界隈での数百年前の出来事だ。「当時の隠れキリシタンは何を思ってこの景色を眺めていたのだろう」ということに思いを馳せていたのだろう。

この写真を見た蛋白質いわく、「久々に自分のベストショットだ」という。「ありがとう、こういう写真を撮ってくれて」と感謝までされた。

そういえば、彼から「ベストショットだ」と誉められたことは過去にも1回あってとても印象に残っている。アワレみ隊の第一回天幕合宿として神島に行ったときのものだ。

大垣夜行にて

第一回夏季強化天幕合宿in神島
アワレみ隊、始動。 日 時:1993年(平成5年) 07月26日~30日(4泊5日) 場 所:三重県鳥羽市神島 古里ヶ浜 参 加:...

あれから24年。もう四半世紀も経つのか!!

24年前は三重県の離島を目指し、そして今回は長崎県の離島を目指す。相変わらず同じ事を続けていて、むしろうれしい。

出津の眺め

14:50
結局出津文化村にやってきた。

出津は小さな漁港がある小さな集落だ。地図でざっと見ると、先ほど見えた白い教会のほかにもうひとつ別の教会があるらしい。しかも修道会が2つもある。

こんな田舎なのに!と驚いてしまう。田舎だからこそ、なのだろうか。

キリスト教という異文化が、こんな純・日本な田舎風景の中に溶け込んでいる、というのが信じられない。お寺のほうが似合っている光景だ。しかもキリシタンは長年弾圧を受けてきたのに。

「弾圧なんてぜんぜんザルで、運悪く見つかった人だけがひどい目にあったけど殆どノーチェックだったんじゃないか?」

なんて、当時のクリスチャンに大変失礼なことを考えてしまうくらい、平凡な光景がここにはあった。平和だ、今はとても平和だ。しかし昔は信仰を守るためにかなりの苦労があったのだろう。だからこそ、未だにここに「祈り」があり、先祖から引き継がれている。

気が付いたら僕も先ほどの蛋白質みたいな顔つきになっていた。

写真は、出津文化村の駐車場から遠藤周作文学館がある岬を見たところ。

沈黙の碑

駐車場の脇に、遠藤周作の「沈黙の碑」があった。

石碑にはこう書かれている。

人間が
こんなに
哀しいのに
主よ
海があまりに
碧いのです

遠藤周作

その「あまりに碧い海」というのを実際目の当たりにし、思わず全員「沈黙」してしまう。さすが遠藤周作、端的ですごい言葉を紡ぐなあ、と唸ってしまった。

蛋白質はいよいよ悲痛な面持ちにまでなってきている。まるでお葬式の参列者だ。

「おい蛋白質、お前が気に病むことはないんだぞ」
「当時の人たちの想いがいかほどだったか、と想像すると・・・(絶句)」

あんまり昔に思いを馳せすぎると、現代に生きる蛋白質自身が心労で倒れてしまいそうだ。それくらい、なんだか悲壮感が漂っている。昨日の軍艦島のときからそうだ。もっとも、軍艦島とこの外海とでは全く時代背景もできごとも違うのだけど。

何を思うか蛋白質

まるでお墓に対面しているかのように、少し石碑と距離を取って物思いに浸る蛋白質。

出津文化村へ向かう

14:54
出津文化村の駐車場(外海歴史民俗資料館の敷地)から、出津教会までの間は結構距離がある。

地図を予め見ていたので、「おや、ちょっと距離があるのだな」ということは分かっていた。だけど、折角だから教会に行きたいじゃないですか。間近で見たいじゃないですか。ということで、「距離がある」という事実のは見て見ぬ振りをしておいた。

で、改めて出津教会に向かおうとしたら、案内標識に「400m」と書いてある。ありゃ、予想以上に遠い。しかも、アップダウンも結構ある道のようだ。1分で80m歩くのが普通なのだから、往復で10分かかるな。

「さすがに15:34の便にはもう間に合わんな、開き直って一本後の便でええか?」

ばばろあが時計を見ながら確認してくる。

「いいんじゃないか?次は1時間くらい後だろ?その分ここでゆっくりできる、っていうわけだ」

次の瀬戸発の船は16:27だった。15:34の便は高速船で、わずか10分で池島まで渡る事ができる。一方16:27の便はフェリーで30分かかる。宿に到着できるのは17時を大幅に回る時間になりそうだ。

「どうせ明日は炭鉱ツアーが朝遅い時間からでしょ?だったら島内観光はそれまでにできるんだし、今日はもう池島に到着して、銭湯にでも行ければ御の字ってことで」

池島は炭鉱の島だったこともあり、銭湯がまだ現存しているという。炭鉱マンが、そして島に住んだ家族たちが愛した湯船に浸かってみたいものだ。

「いや、でも案外銭湯は早く閉まるかもしれんで?なにせもうあんまり人がおらん島じゃけえ」

確かにそれはそうだ。とはいえ、目の前の出津教会を見ないわけにはいくまい。

「蛋白質、どうする?」
「そうねぇ、折角ここまで来たんだし教会には行ってみたい・・・かな」

当たり前過ぎる回答を当たり前のように引き出し、これにて出津教会に行くということが決定された。さあて、片道400m、歩いていこう。

【注意】出津教会をはじめとする長崎の教会群は、見学を希望する際は事前に連絡を求めています(長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンターを参照のこと)。今回我々は運良く見学することができましたが、ルールに則るようにしてください。

あずまや

14:56
400mもの先の教会に行ってみようという気になったのは、遠藤周作文学館から見えた真っ白な建物が印象的だったからだ。しかし、それだけでなく、駐車場から教会までの道中、「ド・ロ神父記念館」「旧出津救助院」といった施設があるからだ。それが200m先だということなので、ちょうど中間地点。「うわ、面倒だ!」となったらそこで折り返せばいいや、という気持ちがある。

教会への道は「ド・ロ神父の里道」と名付けられていて、遊歩道のような小径になっている。

途中、トンガリ屋根のあずまやがある。「憩いのパビリオン」というらしい。その中には先ほどから頻繁に出てくる「ド・ロ神父」なる人物の紹介がされていた。フランス人神父で、まだキリスト教が解禁されていない明治元年に来日し、それ以降この地でキリスト教の布教と住民の授産に多大なる功績をもたらした偉人だという。

「ド・ロってことは、名字はロなのか?」

どうでもいい次元の低いことが気になる自分が恥ずかしいです。

ド・ロ神父のフルネームは「マルコ・マリー・ド・ロ」という。名前がマルコで、ミドルネームがマリーで、名字がド・ロということになるのかな?

独特の建物

14:57
ド・ロ神父の里道を歩いていると、道の脇になにやら意味深な建物が建っていた。敷地の中に何棟か古い建物が並ぶ。瓦屋根なんだけど、なんだか白い。なんとなく沖縄の家を見るような印象を受ける。

ここが「旧出津救助院」という施設らしい。

瓦にに十字

あ、瓦屋根の先に十字架がある。やはりここもキリスト教関連施設なのだな。

一般的にキリスト教のイメージというのは洋風だ。そりゃそうだ、西洋の宗教だもの。だから、瓦屋根に十字架、というのはちょっとした驚きを感じる。

でもこれで驚いてちゃいけない。この近くに「サン・ジワン枯松神社」という神社があって、そこでは宣教師サン・ジワン神父を祀ってあるんだぞ。もう何がなんだか状態だ。そんな不思議な神社があることをあらかじめ知っていれば、絶対に訪れていただろう。しかし知ったのは東京に戻った後で、後の祭り。

(つづく)

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