長崎の過去と今-49

朽ちていく建物、護られる建物(その49)

脇道にそれる

09:59
港へ向かって一直線、というわけではない。敢えて脇道に逸れてみる。

昨日、港から車で中央会館に送ってもらった最中、ハンドルを握っていた島の人がここを通り過ぎる際に

「この谷間に、昔は飲み屋がいっぱいあったんだよ」

と教えてくれたからだ。

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えっ、こんな谷間に?

それはなんの変哲もない、狭い谷だった。谷、というのも大げさなくらい、里山でよくありがちな「尾根と尾根の間の、くぼみ」。

車で通り過ぎる際にチラっとみただけでも「嘘でしょう!?」とびっくりしてしまうくらいの、狭くて急な場所だった。そんなご冗談を。

これだけ島を開拓し、平らに土地をならし、造成したというのに。飲み屋街が谷間?そんな馬鹿な。

Googleマップで見ても、この谷間の飲み屋街は道路として描かれていない。衛星写真で見ると、ようやく発見できる程度だ。つまり、Googleさんが道として認めていないくらいの、狭い道。

そんな道にこれから分け入ろうと思う。

8階建てアパートを見たとき以上にワクワクする。

狭い急な坂

10:00
「いやいやいや、こりゃ結構急な坂だぞ。酒を飲んで酔っ払っていたらここを登るの、かなりキツいぞ」

思わず声を上げてしまうくらいの坂を下っていく。軽自動車でギリギリ通れるかどうか。いや、無理だな。徒歩限定だ。

なんでこんなところに?と昨日島の人に聞いたら、「炭鉱ができる前から人が住んでいたエリアだった」ということだ。

しかし、よりによってこんな狭くて急な谷に住まなくても・・・と思うが、大規模開発される前の池島は住める場所がほとんどなかったのだろう。

谷沿いの集落

折り重なるように立ち並ぶ住宅が見えてきた。

ドミノ倒しをしたら、海まで倒れていくんじゃないかというくらい、立体的かつ密集して建物が建っている気配。

「へえーーーー。こんなところにねえ。。。」
「しかし、飲み屋って感じではないぞ?」
「そうだな、普通の民家っぽい」

民家だとしても飲み屋だとしても、いずれにせよここに作らなくってもいいじゃないか、と思う。その疑問を口にしたら、ばばろあがこんな予想を立てた。

「丘の上は炭鉱の土地じゃけえ、営業できんかったんじゃろ。もともとここに住んでいた人が店をやろうとすると、その周囲でやらざるを得ないんじゃろう」

なるほど。米軍基地の周囲に飲み屋街ができるのと一緒か。それなら納得だ。

集落

「うわあ!」

思わず声が出た。というのも、最初に出迎えてくれた家・・・建物?は、倒れる寸前だったからだ。木造の家ということもあり、ぐにゃりと歪んで後ろに倒れ掛かっている。そして背後からは植物が迫っている。

昔のここは何だったんだろう?飲み屋という気配ではない。地元住民の家だろうか。

このあたり、まだ住んでいる人がいるようなので発言には気をつけないと。廃墟だ廃墟だと言っていると、怒られる。実際、このあと地元の人とすれ違った。

飲み屋とは明らかに違う、でも民家とも違うシャッターが連なる建物もあった。おそらくパチンコ屋だろう。この谷には、飲み屋だけでなくパチンコ屋もあったそうだ。

集落

10:01
狭い路地。急な坂。なんでこんなところに、と驚きながら下っていく。

草に覆われた家、崩れかかった家、そうでもなさそうな家。

「おっ、この家は生け垣をきれいに刈っているぞ。ということはまだ人が住んでいるんだろう」

と思ったら、単にツタが家の壁にびっしりと張り付いているだけだった。

集落

いま来た道を振り返ったところ。

ごらんの急坂。

いくら肉体勝負の炭鉱マンとはいえ、酒を飲めばただの人だ。この坂を登って帰るのは面倒だっただろうな。非番のときにここまでやってきて、普段は家で飲んだりしていたのだろうか?

そもそも、3交代制の仕事場だ。「日が暮れたから飲む時間」という、「9時6時のサラリーマン」の感覚とは違うだろう。どういう飲み屋の営業スタイルだったのか、そしてどういう客の飲みっぷりだったのか、当時の文化を知りたいものだ。

この写真の奥に、「多分パチンコ屋だろう」と推測した、シャッターが並ぶ建物が見える。青い屋根の建物だ。もしパチンコ屋だとしても、規模はとても小さい。というか、民家に毛が生えた程度だ。

集落

「あー、これはだめじゃね、もう完全に壊れてる」

一人どんどん先へと進んでいくばばろあが立ち止まり、写真を撮りながら何やら喋っている。

追いついてみると、そこには「旅館」と書かれたガラス戸の建物があった。ガラスは割れ、ひさしは崩れかかっている。もう片方のガラス戸には「美松」と書かれている。それが宿の名前だろうか。

こんな谷間に、旅館があったとは。どういう客が泊まったのだろうか?周囲はネオン街だっただろうに。釣り客?それとも、鉱山に用があるビジネス客?さっぱりわからない。

いずれにせよ、「旅館」といっても非常に小さな建物だ。たいして客は泊まれない。そんな土地なんて、この谷にはない。

集落

旅館界隈が一番の「繁華街」ということになるのだろう。

いかにもスナック、クラブといった雰囲気の扉をもつ建物が並んでいる。

扉には「長崎県公安委員会 届出済」と書かれたシールが貼ってある。

奥の建物は「千代」という看板が出ていた。マダムの名前だったのだろうか。そんな千代さんは今いずこ。もう閉山して長いし、まだご健在だろうか?

集落

「千代」の脇から先を見たところ。道は地形にあわせてうねっている。

この集落の栄華をまだ知る人というのは現存するわけだから、聞き取り調査などして記録に残してもらえないだろうか?こういう谷間に飲み屋街があるという事自体がすごく貴重で興味深いし、炭鉱の島における飲み屋界隈の文化というのは、もう日本では存在しない。今後忘れ去られるものなので、記録に残すなら今しかないのだけど・・・。

坑道とかトロッコとか残すのは、観光資源として派手で目立つから集客になるけど、もっと地味な、日常生活の記録ってなんとか残せないものだろうか。

集落

10:02
スナックマキ。

島内で最後まで営業していたスナックだという。2014年2月閉店。ただしこのお店は、閉山後元いたお店が退去したところを、居抜きで借りたものらしい。なので、閉山後に開店し、そしていまはもう営業していない。

「最後まで残っていただけあって、他と比べるとちょっとは老朽化が抑えられているかな?」

少なくとも植物に侵食はされていない。閉店から丸3年。

(つづく)

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