10:47
荷物をフロントで預かってもらい、身軽になった我々は町歩きを開始した。
歩き始めてまもなく、病院が見えてきた。何の変哲もない病院なのだけど、なんだかちょっと違和感を感じる。気のせいだろうか。
蛋白質が、
「これ。ほら、『十』の字がちょっとヘンだと思わん?」
と言う。言われてみれば確かにそうだ、なんだかバランスが悪い。横棒の位置が上にずり上がっている感じ。
「あ!そうか、これって十字架なのかな」
「ここの病院、キリスト教系なのかもしれんねえ」
なるほど、面白いな。
10:48
「やや!ここにも十字架が!これもキリスト教系か?」
「違う違う、十八銀行っていったら明治時代からある銀行だぞ。さすがにこれはキリスト教ではないぞ」
「紛らわしいな」
「どこも紛らわしくないだろ」
「グンニーモ?」
「んぶんぶ」
折角だから、「営業中」と縦書きされた札も、「中業営」としてほしかった。
「自動車の車体に、逆向きで会社名を書くってのは今でも時々みかけるけど、喫茶店でこれって意味があるのか?」
「レトロ感があるんだろ」
「んぶんぶ、が?」
「グンニーモ、いいじゃないか」
10:52
「蛋白質、これは教会か?」
歩いている途中で見つけた、重厚な建物。
「いや・・・さすがにこれは違うと思う。教会らしさがない」
「じゃあなんだろう?こんな大げさな建物、教会くらいしか思いつかないんだが」
遠巻きに眺めていたら、蛋白質が「あっ!」と叫んだ。
「あのシャッターの上に赤いランプがある!これ、消防署だ」
「えええ?これが消防署?なんでこんなに大げさなんだ」
あとで知ったが、正確にいうとここは新地用水ポンプ場、という場所だった。
さすがに長崎とはいえども、ちょっと歩いただけで教会に行き着く、というほどではない。
10:58
オランダ坂にやってきた。
石畳の風情がある、長崎を代表する観光地のひとつ。急な坂だけど、歩くのに難儀するというほどではない。
「高校時代ここを歩いたはずなんじゃけど、全く覚えとらんねえ」
うん、確かにオランダ坂を訪れたのは全員共通の認識なんだけど、たぶんいろいろな観光地巡りの途中の「通過点」扱いで、大して思いいれもなかったのだろう。
確かに、「風情」なんて言葉を臆面なく言えるようになったのって、30歳を過ぎてからだと思う。10代の洟垂れ小僧の分際で、この坂のよさは理解できなくて当然だ。「単なる坂」にしか思っていなかったと思う、当時は。
オランダ坂を上ったところに、洋館が建っていた。「東山手十二番館」というらしい。「ほほう」と唸りながら遠巻きに眺めていたが、入場無料ということだったので中に入ってみることにした。
これから3泊4日の長丁場だ。初日午前の今から、あちこちの観光地で入場料・入館料を払っていたら、いくらお金があっても足りない。最初はどうしても慎重になる。
11:00
十二番館からオランダ坂の先を見たところ。
正面左の丘にある白い建物に、聖火台のようなものが見える。避雷針にしては変な形だ。
「なんだかあの塔、途中で折れているように見えるな」
「白いし、観音様かな?ナントカ大観音って名前の像が日本のあちこちにあるよな」
「ああ!マリア様だ!あれはマリア像だ」
蛋白質がぽんと手を打つ。えっ、あんなところにマリア様?
確かによーく見ると、それがうつむき加減のマリア様だということがわかった。いや、でもまだ観音様という可能性も捨てきれないぞ。
その疑問に白黒はっきりつけたのが、この建物が「海星学園」という学校であったということ。蛋白質はそれを知りにっこりと微笑み、「ほらみてみぃ」と言う。
「海星、ってマリア様のことなんよ」
えええ?そうなの?どういうことだ。
「航海中における海の星のように、我々を導いて下さるマリア様、という意味でね」
ということはあの学校は女子高なのだろうか、と思ったが、男女共学だった。あれっ、そういうものか。でも、運営母体は「マリア会」で、まさに学校の名前どおりだった。
11:03
長崎はアップダウンが激しい町だ。山が迫っていて平野部が狭く、しかも発達した尾根が長く伸びている。お陰で道路が複雑に入り組み、町がややこしいことになっている。
地図をみただけでは直感的によくわからない。だからこそ、町歩き好きにはたまらないエリアだと思う。歩けば歩くほど、いろいろな発見があるだろう。
今いる東山手十二番館やこれから訪れるグラバー邸といった洋館は、見晴らしの良い丘の上にある。
「武器を売って儲けた人たちはこうやって人々を見下ろしていたんだよ」
と言いながらここからの景色を眺めていたら、自分も悪人になった気になる。
一方蛋白質はというと、現在地が把握出来ず四苦八苦していた。手元のスマホで地図を表示させ、「ええと、南があっち・・・」
ばばろあが即座に「ちゃう。こっち」と違う方向を指さす。蛋白質は、「ええと、あれがコレだから」と言いながら、スマホをぐるぐると回し始めた。
「えっ、蛋白質って地図を読むとき、地図を回す人だったの?」
「そう。最近特にわかりにくくなってきて」
「まだボケる歳じゃあるまいに。東西南北の絶対感覚がないのか」
「それがないんよ~」
と苦笑しながら、スマホの向きを変えながら確認していた。結構大変そうだ。端から見ていて「スマート」、ではない。
この後我々はグラバー邸を目指し、その後山を下って大浦天主堂に行く段取りになっていた。見晴らしの良いこの地から、場所を目視確認しておく。
「案外距離あるな?どうしたもんかな」
この後の時間が気になるばばろあが、やきもきする。
「大浦天主堂、行ってる暇がないかもしれんで?ここからグラバー邸までここを下って谷に下りて、そこから向こうの山の上までいかにゃならんのよ」
確かに遠い気がするけど、ここからタクるわけにもいかない。
「まあいいか、最悪大浦天主堂からタクシー捕まえれば軍艦島ツアーの乗り場にはすぐ行けるだろ」
ばばろあは頭の中で素早くシミュレーションをする。一方の蛋白質は、相変わらず場所の特定に苦戦中。
「おい蛋白質見えるか正面の建物が。どうもトンガリ屋根が2つ見えるんだが、あのどっちかが大浦天主堂だと思うんだよ」
「どれが?」
「ほら、正面に」
「えーと」
「いや、スマホ見るんじゃなくて、まず目の前の光景をだな」
ばばろあが蛋白質を熱血指導中。
「それにしても不思議だな、なんでトンガリ屋根が二つもあるんだ?」
しかも、そのうち一つは、なにやら巨大な入母屋造りの和風建築にくっついているように見える。なんだあれ。和洋折衷か。
そこでようやく蛋白質のスマホが役に立ったのだが、どうやら正面に見えるトンガリが大浦天主堂で、その手前にたまたまお寺があるのだった。重なって見えるだけで、場所はちょっと離れていた。さすがに「一階はお寺、二階は教会」なんて建物は長崎とはいえ存在しないだろう。
そしてもう一つのトンガリは、大浦天主堂すぐ近くにある「大浦教会」なんだという。え?教会って隣接するような場所にあるものなのか?宗派が違うのだろうか。
11:14
なにやらオランダ坂は若い女性の往来が多い。インスタ映えするので撮影に来た観光客です、というわけではなさそうだ。見ると、オランダ坂の脇に女子大学があった。そこの学生さんたちだった。
「活水女子大学」という名前で、なんだか不思議なネーミングだ。それもそのはず、「活水」とはヨハネによる福音書4章10節にある
イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」。
を由来としているからだ。へええ、ここにもキリスト教。長崎にいると、本当にいたるところがキリスト教だ。キリスト教のテーマパークのようだ。
洋館を見ながら、先に進んでいく。このあたりは洋館が多い。