長崎の過去と今【軍艦島・池島】

吉野ヶ里遺跡

環濠集落の中に入る。

大きなやぐらがお出迎え。

そして集落の周囲は、まるで西部劇にでも出てきそうな柵で囲われている。

昔はよっぽど戦いが耐えない、デンジェラスな時代だったのだろうか?

部族同士の戦争だけじゃなく、集落に属することができなかった人が落ちぶれて、山賊として夜な夜な襲撃に来たとか?あと、野犬などの野生動物が襲来したかもしれない。

そういえば僕らって、弥生時代の生活っていうのはほとんど学校で習っていない。「稲作をはじめとする農耕文化が伝わったんですよォ」っていうくらいで。あと弥生式土器か。「縄文人=髭を生やした狩猟民族でワイルド、野蛮」「弥生人=髪の毛を耳の脇でひょうたん型にくくっていて、おっとりした顔立ち」というステレオタイプで覚えてしまっているけど、実際どうだったんだろう。

まあ、知ったところでだからどうした、というのが正直なところだ。自分のルーツを知ることは大事かもしれないけど、正直言ってあまりに時代が離れすぎて、全然実感がわかない。明治、江戸時代のご先祖様でさえ親近感がないというのに。「えーッ?チョンマゲをマジで結ってたんですかァ!?」といったノリだ。

吉野ヶ里遺跡

解説看板。

「王」や「大人(だいじん)」の館や物見櫓があり、政治を執り行っていた場所だと推測されるんだって。へー。民主主義国家じゃないから、シンプルだわ。議員定数もへったくれもないから、偉い人一人で「お前ちょっと死刑」とか言えちゃう。

吉野ヶ里遺跡

で、その「南内廓(みなみないかく)」。

広い。

吉野ヶ里遺跡

「もっと密集させてもいいのに。お隣さんに行くのに面倒だろうに」と思うが、この広場で農作物を干したり選別したり、いろいろ作業をやっていたのだろう。

あと、うっかり火事になっても、これだけ隣と離れていれば類焼しなくて済む。

吉野ヶ里遺跡

竪穴式住居。

こういうのを見ると、「今のゲリラ豪雨に耐えられるのだろうか?」と心配になる。入口からザブザブ水が入ってきそうなのだけど。いったん室内に浸水したら、日陰だわ風通しが悪いわで、ぬかるみが解消されるまでかなり時間がかかりそうだ。

でも、昔の人だってバカじゃないから、そうならないように水はけのよい場所を選んで建物を建てていたんだろう。

看板を見ると、「大人(だいじん)の妻の家」と書いてある。軍事や土木を司る「大人」の妻が住んでいたという。「そういうことにした」のか、物的証拠があって、「ここは大人の妻の家だ!」と断定できたのか、よくわからない。

そもそも、木造の家なので発掘当時はほとんど建物の痕跡なんて残っていない。家を立てた場所に残された穴ぼこと、僅かな木片、そして火を炊いた跡といった程度だろう。なので、目の前にある建物が、どれだけ「想像力を膨らませたもの」なのか、どれだけ「本物に近い」のか、よくわからない。

未だに恐竜の皮膚の色で論争があるのと一緒だ。茶色だと思ったら、緑色になっている時もある。誰も見ていない・記録が残っていない時代の考証というのは難しい。

吉野ヶ里遺跡

やぐらに登って集落を見下ろしたところ。やあ、眺めがいい。

遥か彼方に、JR長崎本線の線路が見える。吉野ケ里のマップを見ると、線路ギリギリのところまで公園が広がっていることがわかる。「チッ、鉄道さえなければもっと公園を拡幅したかったのに」といわんばかりだ。ここまでデカくしてどうするんだ一体。

それにしても、物見櫓を作ってあるとはいえ、夜にもなれば漆黒の闇だ。悪いことを仕放題ではないか?という気がするのだけど、大丈夫だろうか。

そもそも、こんな家構えだったら、夜這いし放題だよな。夜這いは江戸時代まで日本の文化の一つだったという話を聞いたことがあるけど、あまりに開放的だもの、そりゃあそうなるよね、という気がする。

その点、21世紀に済む僕なんて、おっさん一人住まいなのに玄関の鍵は3重だぞ?何をガードしてるんだよお前。貞操もへったくれもないだろうに。

吉野ヶ里遺跡

倉庫らしきものが集落の隅っこに見える。

あんな建物を作ろうとすると、かなり高度な建築技術が必要だと思うのだけど、あれも弥生時代のものだろうか?

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