2003年09月22日(月) 2日目
夜が明けた。
東北地方の朝は早い。まるで、
・・・・
うーん、ここで何かブンガク的な事を言っちゃってくださいよ、って気分だったのだが、イマイチいいのが思いつかなかったのでパス1。パスは3回までできますって事で。
旅館泊の朝はせわしない。何しろ、朝ご飯の前にひとっ風呂浴びてこないといけないし、朝ご飯を食べた後は最後にもう一回風呂に入らないといけない。ああ貧乏人だとも、根が貧乏人だとも。でも、これが楽しみなんだから悪く言わないでくださいお願いです。って、何で卑屈になってるんだ俺は。
まだ頭がぼーっとしている朝イチで入る風呂は、竜宮の湯だ。昨日入ったアトミック風呂の階下にあるのだが、アトミック風呂と逆でここは普段は婦人風呂だ。朝だけ、男性風呂になる。
その証拠に、ちゃんとこの朝の時点では青色ののれんがかかっていた。
しかし・・・「婦人風呂」という看板のライトが光っている中、のれんをくぐって中に入るのはちょっと面白い体験だった。ひょっとして中に女性がいたら!なんてドキドキしてみたり(うそ)。
えーと。
脱衣場の扉を大解放しても、いっこうに晴れない湯気でございました。一階上にも風呂場があるので、天井を高くすることができなかったからだろう、湯気が溜まりまくり。
「これだったら、混浴でも全然問題ないぞ」
と思ってしまったくらいだ。
いや、アンタは問題ないかもしれないけど、女性は嫌だっつーの。
さて、お風呂に入って体をしゃっきりさせたところで、お食事に参りましょう。さすがに朝ご飯まで部屋食という訳ではなく、大広間にて食事が提供された。
大広間って事なので、「ん?ひょっとしたらバイキング・・・だったら珍しいけど、そんな馬鹿な」と思っていたが、さすがにそんなことは無く普通の旅館の朝食だった。
広い広間に(妙な日本語だ)、まるで宴会をやるかのようにお膳が二列に配列されていて、みんな黙々と食事をしていた。やってきた人順に、奥の席から横に並んで座る事になる。その結果、みんな静かに食事をしているので何やら不思議な空気が漂っていた。
さて、出てきた食事は写真のとおり。うむ、いいねぇ。朝はこれで過不足無し、言うこと無しだ。「朝から陶板焼き?」と不思議に思ったのだが、中を見て納得。スクランブルエッグだった。なるほど、できたての目玉焼きが食べられるのはいいアイディアだ、と感心。
しかし、その目玉焼き、恐れた通り陶板にべったりと張り付いてしまい、総重量の1/5くらいが陶板にこびりついてしまった。ごりごりやったおかげで、至極の半熟黄身を崩してしまうし。あぁぁ。
ちなみに、焼き魚は鯖だったわけだが、焼きたてが提供されてとても幸せでございました。手元におひつがなく、おかわりをするときは仲居さんにお願いをしなければならんのが、大飯ぐらいの僕としてはちょっと無念なところだったが。だって、恥ずかしいじゃないですか、「大盛りでおかわりを」なんて注文するのは。
今日は台風のせいで早池峰に登る事もかなわなかったので、特に予定はない。やばい。いくら鉛温泉で大満足、他人に言いふらしたいくらいの満足感を得たとはいえ、このまま5時間かけて東京に戻るっていうのはもったいない話だ、もう少し何か考えなくては。
とりあえず、白猿の湯に浸かる事にした。
あー。
ますますさっぱりしたところで、出発。お世話になりました、また遠くない将来お邪魔します。ホントいいところだった。
で、苦肉の策で選んだのが高村光太郎が晩年住んでいたという住居の見学だった。花巻に住んでいたというのは全然知らなかった。今年、安達太良山に登った関係で高村光太郎についてはちょっとだけ調べた経緯がある、ならば訪れる価値があるだろう。
到着した「高村山荘」は、周囲が田んぼと雑木林しかない場所だった。大丈夫か、ここ。
順路に従って、奥へと進む。
いやぁ、のどかですなぁ。
・・・
楽しいか、アンタ。
これが高村山荘。高村光太郎がここで隠居生活を送っていたという。現在でも相当辺鄙なところなので、当時はもっともっと辺鄙だったはずだ。
しかしえらくきれいな建物だぞ、復刻したのだろうか。
中に入って納得。要するに、中尊寺金色堂方式を採っていたのだった。外にあるのは、中のホンモノを風雨からかばうための外装だった。中に、もう一回り小さい・・・あれ、これまた見学用の外枠か。ってことは、そのさらに中にさらにもう一回り小さい・・・うわぁ、小さい上にボロいぞ、これは・・・建物があった。これが、高村山荘の正体。
うむ。なるほど。
しばらく雑木林の中を歩いた先に、「高村記念館」という小さな博物館があった。中には、高村光太郎ゆかりの品などが陳列されていた。
なるほど。
駄目だぁ、思い入れが全然ないまま、「とりあえず何やら観光地っぽいから」って来てしまったので、「ふーん、そうなのォ」の一言で終わってしまうではないか。思い出せ、高村光太郎の偉業を。そして、このシチュエーションを楽しめ。
ええと。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
コラァ、それは石川啄木だっつーの。しつこい。
イマイチ盛り上がりに欠けつつ、順路を進んでいくと今度は高村記念館よりも立派な博物館が出てきた。花巻市歴史民俗資料館だという。
「ふーん、ま、時間があるから寄ってみようか」
正直言えば、興味なんてこれっぽっちも無かったのだが、
「いや待て、自分の興味があることばかりやっていても知識は膨らまない。敢えて興味がないジャンルにも手を出してこそ意味がある」
なんて自分を説得し、入館してみることにした。ま、どっちにせよ暇だけはもてあましていたので、特に急ぐことはないし。
中には、この地元の人たちが稲刈りやら何やらで使ってきた、古物がずらり。整理しきれない奴は、ロッカールームみたいな部屋の棚に並べられているだけという状態。これはこれで一個一個見ていくと面白かったが、いかんせん地味だ。友達と一緒に行ったのだとすれば「これは一体何に使っていた道具だ?」なんて言いながらわぁわぁおしゃべりできたのだろうが、たった一人なので
「・・・。」
至って無口なんである。間が持たない。同行者を気にせず、じっくり見たいだけ見ることができるじゃないか、という言い方もできるが、まさか花巻までやってきて民族資料館を見学するなんて考えてもいなかったので、ココロの準備ってモノがですね、できちゃあいないわけですよコレが。
何やら煮え切らないまま見学を終えて、やることが無くなった。盛岡まで出て冷麺やわんこそばを満喫するか、それとも遠野に行くか。
「・・・遠野にすっか」
盛岡はいつでも行くことができそうだが、遠野はそう簡単には行けない。ならば今行っとけ、という判断だ。カーナビで行き先を指定したら、花巻から1時間かかる事が判明しやや腰が引けたが、今更引っ込みがつかないので突撃することにした。
遠野。数多くの昔話が残され、それを編纂した「遠野物語」は日本の民俗学が発展するのに大きな意味を持った。その遠野物語をまとめたのは・・・ええと、誰だっけ。国木田独歩、じゃなかった、ええと、国という字がついた人だったような。
その程度の認識しか無かった。柳田国男くらい一般常識だろ、と思うが、名前が出てこなくて詰まってしまうくらいのものだ。柳田某氏に対してさえこの程度の認識なのだから、昔話なんて全然知らないし、知らない故に興味がわかない。
でも、遠野に行く。なぜならば、そこが観光地だからだ。
うわー、書いててすげぇ恥ずかしくなってきたぞ。馬鹿じゃん、俺の発想って。
ちなみに、柳田国男の名前が、この文章を書いている時点でも(即ち、遠野を訪れた後にもかかわらず)思い出せなかったのは内緒だ。あわててネットで調べた。
さて、まずはカッパ渕で有名な・・・いや、僕は知らないんですが、どうやら有名らしい・・・常堅寺にお邪魔してみた。
なるほど、狛犬ならぬ狛カッパが飾られているぞ。でも、犬だったら「守護している」という雰囲気があるけど、カッパだったらどうも怖さがない。
しかもこのカッパ、口をあんぐりと開けていて、「あら?それホンマですか?」って顔をしている。おい、ちゃんとお寺を守れるんだろうな。
でも、その口がみる人によってはキュートで愛しいらしく、かぱっと開いた口の中に小銭やらなんやら、詰め込んであった。御利益、あるんだろうか。
21世紀に生きる自分としては、「カッパ」の印象といえば「尻子玉を抜く生き物」か「黄桜を飲んで酔っぱらってる」という二つしかない。一体、いつ日本からカッパという生き物は(ココロの中から)居なくなってしまったのだろう。
ここで、黄桜の歌を歌おうとしてみた。
かっぱっぱー、るっぱっぱ・・・
ええと、覚えてないもんだなあ。
さて、カッパ渕とは何か?と首を捻っている無知なるお前らに説明をしてやるぜ。
いや、すいません、僕もここに来るまでは全然知らなかったんですけどね。怒られれる前に謝っておきます。(だったらエラそうにすんなって)
その渕にはかっぱが住み着いていて、いろいろ悪さをしていたらしい。で、ある日カッパが馬を渕に引きずり込んでやろうとしたところ、逆に馬に引きずられてそのまま厩まで来てしまった。そこを人間に見つけられて、さんざん叱られたって話だ。しかし、捕まえてカッパ汁にしなかった人間に恩義を感じ、常堅寺に火災があった時は頭のお皿の水を蒔いて消化を手伝ったそうじゃ。
最後だけ、まんが日本昔話風の語尾にしてみた。
さて、そのかっぱに守られたという常堅寺の脇を通って、カッパ渕に向かう。道の片隅に、行き先表示板があった。
「ゆったりコース」と「お急ぎコース」があるらしい。
「もちろん、お急ぎコースだ」
別に急いでいるわけでもないのだが、たった今カッパ渕の昔話を聞いたばかりで思い入れが無いもんだから、お急ぎコースで十分だと思った訳だ。
これが、カッパ渕。
きれいな小川だ。
護岸工事されていない川を見ると、ココロが和む。
しばらく、小川のせせらぎに耳を澄ます。
・・・というメロウな事はせず、「ここにカッパが棲んでいたというのか?何処だ?どの辺りに棲んでいたんだ?」とワニ目になって川面を探しまくるおかでん。
ファイヤーマンのカッパが祀られているほこらを発見。カッパが祀られているというのに、その手前に二匹のカッパが参拝者を出迎えている。おや、アナタは祀られ無かったんですか?
これを神社に置き換えると、神様にお参りにいく途中、肝心の神様が入口で待ちかまえていた、って事になる。恐らく、この二匹のカッパは祀られているカッパよりも格下なのだろう。パシリがいつでもできるように、控えているのかもしれない。
先ほどの看板によると、なぜかここは、乳首信仰の場にもなっているらしい。ひょっとすると、ボインボインのナオンチャンのグラビアなんかが奉納されとるんじゃないか、そんなのがほこらの中にあったらどうしよう、なんて柄にもなく(?)ドキドキしていた。ひょい、とほこらの中を覗く。・・・なんじゃこりゃ。手まりみたいなものがいくつも奉納されている。これが、乳を意味しているとでも?ヌムゥ、やはり日本人は奥ゆかしいぜ。
ほこらから見たカッパ渕。一体この浅い川のどこにカッパが棲むことができたというのだろう。
きっと、南米ジャブローの地球防衛軍基地のように、どこかの地面がゴウンゴウンと開いて、その中にカッパが潜んでいるに違いない。
潜んでいるのはカッパじゃなくて、ゾックかもしれないが。
うわぁ、マニアックな文章だな、おい。
遠野を紹介する際、大抵この倒れかかった木の構造物が出てくるらしい。そういえば、遠野に疎い僕もこれは見たことがある。
昔、早池峰信仰が盛んだったころ、この遠野に参道があったらしい。その参道にあった、鳥居の跡だという。なるほど、言われてみれば鳥居だ。
歴史を感じさせ、非常に風情があっていいのだが、すぐ目の前をけっこう大きな車道があって車がバンバン走っているのと、脇に資料館があって周囲が人口建造物だらけなので、カメラアングルに相当苦労した。
遠野の町の中心部に 「遠野昔話村」というのがある、とガイドブックには書いてあった。そうだ、遠野の昔話に何の免疫も知識も無いから、かくも淡泊に接してしまっているからに違いない。やっぱり物事には順序ってのがある、まずは事前学習しておかないと。
昔話資料館で、いろいろな昔話の知識を仕入れた。
一例を挙げると・・・
いや、全部忘れてしまった。すまん。
無理だってば、いくら一人旅の自由きままな旅だからって、ちょっとせわしない旅の途中に昔話を覚えようなんて。とてもじゃないが、じっくりと昔話を一つ一つ読んで、なるほどと感心している気分じゃなかった。
そんなに急いでいるわけじゃないのだが、このあと5時間の単独ドライブで東京に戻らないといけないって事を思い返すと、どうしても気分が急いてくる。
柳田国男が住んでいた家。
中に入ろうとしたが、料金がかかることがわかり、入場するのをやめた。柳田国男について全然事前学習していなかったので、「そのオッサンの家を見てどうするんよ」程度の認識しか持てなかったのだ。
ここで、「でも遠野に来ることなんて滅多にないんだから、せっかくだから」と「せっかく」理論をふりかざして中に入るのが勝ち組なのか、それとも「いや、興味ないんだからカネ払って見るこたぁないでしょ」と割り切るのが勝ち組なのか、悩む。
でも、この旅行をしてかれこれ数カ月経過するが(文章執筆時)、全然後悔しとらんところをみると、とりあえずこの選択は勝ち組だったらしい。
こちらの建物では、一日に何回か、語り部の人が遠野の昔話を語ってくれるらしい。やっぱり有料。
・・・パス。
こうもつれない態度を取ったり、観光対象をスルーしていると「何のために遠野までやってきたのか」というそもそも論に至ってしまう。しかし、イマイチ乗り切れないのだから仕方がない。これが、行き当たりばったりの旅のダークサイドだ。
よくテレビ東京あたりでやってる旅番組では、「地元の人とのふれあい」「穴場を紹介して貰う」みたいなストーリーになっていて、さも行き当たりばったりはスバラシイという感じになっている。しかし、そのベクトルが自分の趣味・興味と合致していればいいのだけど、合致していなけりゃ途方にくれる事になる。今回が、まさしくそう。
お昼ご飯は、遠野の郷土料理を食べるか太平洋まで出て釜石あたりで食べようと思っていた。しかし、なんとなく高村記念館-遠野と、気分が空振りしてしまっていたため、景気づけのために花巻でわんこそばにチャレンジすることにした。ここでわんこをぐいぐい食べれば、全ての「イマイチ感」は帳消しになるのではないか・・・そんな気がした。
で、ガイドブックに載っていた「やぶ屋総本店」に行ってみた。しかし・・・「わんこそばは二人様以上で受け付けます」の無情の文字。嗚呼、最後の牙城も崩れた。
結局、ふつうのざるそばと、悔し紛れのすいとんを食べて花巻を離脱。また5時間かけて東京への帰路についたのであった。
今回の旅を総括すると、まさに「うしし」と「うへぇ」だった。鉛温泉は「うしし」の連続、それ以外が「うへぇ」の連続。両極端だったというわけだ。
「うしし」というのは、「ガハハ」とは違う。「しめしめ」というヒソカにほくそ笑む、という意味あいがあり、ある意味最上級のヨロコビを表していると言える。鉛温泉は、まさにそういう宿だった。外観から、部屋から、温泉から、料理まで。これは、狙い通り。
しかし、旅行を急に決めたせいもあり、鉛温泉以外に対してあまりに情報量が足りなかった。おかげで、行くだけ行ったけど、イマイチ面白く感じなかった・・・という観光地だらけ。正直、鉛温泉以外は仏頂面でウロウロしていたって感じだ。これは、観光地が悪いのではなく、単に情報武装が足りなかったからに過ぎない。
まあ、一勝一敗で引き分け、ってことで勘弁しておこう。次回は三勝一敗くらいで勝ち越しを狙うぞ。
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