遍路はつづくよどこまでも【倉敷八十八カ所礼状巡り】

現在地点の確認のため、地図を参照しつつ読み進むと一層味わい深くなります。

[25番札所:津寺] 14:33

背中を向けている石堂だったので回り込んでみたら、津寺登場。四国八十八カ所では「津照寺」と一般的に呼称されているお寺だ。

「恥ずかしがってないで、オレ様のお経でも食らえ」

と般若心経を唱える。

津寺からやや山の斜面を下ったところに、もう一つの石堂があった。これ、さっきお詣りした26番西寺。6カ所の札所をお詣りするためにぐるりと大回りしたなあ。

まあ、大回りといってもせいぜい百メートルレベルの程度だけど。

○その道もとへ戻る 二十七番過ぎて20m左手 雑木林の中

ということで今来た道を戻る。下ったり登ったり前へ進んだり後ろへ下がったり、なかなか楽しませてくれるじゃないかこの野郎。まさにオリエンテーリング。

これ、小学生の遠足に最適だと思うんですがどうでしょうか。・・・小学生だと、距離がちょっと長すぎてダメか。離脱者が出たときのフォローも大変だし。あと、お弁当を広げる場所がない。

[34番札所:種間寺] 14:37

下りる

○その道さらに下る20m目印左に入る 雑木林の中

ん・・・?

あ、確かに道から逸れて雑木林の中に石堂発見。

「なぜこんなところに札所が?」というのは山岳ステージを歩いていると常に思うわけだが、ますますわからないのが「道から逸れたところに札所がある」ということだ。

一体どういう基準で作られたんだ。常識的には、道沿いに石堂を作ると思うんだが・・・。

まさか本当に「オリエンテーリングを楽しんで貰おう」と思って、トリッキーな場所を選んだわけはないよな?

[35番札所:清滝寺] 14:41

大きな石の上にちょこんと乗った清滝寺。

ひょっとしたら、山岳ステージにおける札所選定基準って、「そこに大きな平たい岩がある」ということじゃあるまいな?

○その道を目印に従って100mほど下る。二股に分かれた左側下る

100m歩くというのがなんだか新鮮。おお、てくてく歩くなあ。久々に札所間の距離があいている。

確かに二股に道は分かれていた。一体この山道は誰が普段使っているんだ。巡拝専用というわけではあるまい。先ほど見かけた鉄条網といい、ひょっとしてここには何かの秘密基地があるのかもしれない。

妄想はともかく、二股の左手を少し下ったところで石堂が見えてきた。

[36番札所:青龍寺] 14:47

秘密基地の入り口・・・ではなく、青龍寺。

○さらにその細い道を進む50m

このガイド本、なにをもって「太い道」と「細い道」を定義してるのかがよくわからない。どちらにせよ狭い山道だ。

ゆるやかに標高を下げながら進んでいくと、のぼり旗が見えてきた。

[37番札所:岩本寺 仁田五社] 14:52

岩本寺。四国の岩本寺といったら、この次に足摺岬の先っちょにある金剛福寺を控えている。その道のり100km近く。歩き遍路にとっては相当の準備と覚悟をする札所だ。しかし、ミニ遍路の場合そんな覚悟は必要ないので、気楽だ。

「仁田五社」というのがよくわからない。ガイド本にはそう書かれている。別名だろうかと思ってgoogleで検索してみたが、一件もヒットしなかった。なんだろう。

○目印に従って進むと新田共同墓地の上に出る。下へ降りると鐘楼の南にある六地蔵の前を通り坂道上がる。そのまま上まで登りつめた処

ということなので、そのまま歩いていたら雑木林から脱出する気配。ようやく山岳ステージ終了というわけだな。もう蚊の襲来はうんざりだ。

おー、なるほど。

見晴らしが良いところに出てきた。といっても、見えるのはお墓だけど。

山の斜面にずらりとお墓が並ぶ。その最上段に出てきたというわけだ。

上の方にお墓を構えた方はお詣りするのが大変だろうなと思う。下からよいしょよいしょと登ってこないといけない。

写真中央奥に見える「なにやら西洋のお城のような塔」は倉敷市役所。なぜ「蔵の町・倉敷」なのに、西洋風な造りにしたのかさっぱりわからない。周囲に高層建築物がないので、異様に目立つ。

上から見下ろすと、確かに鐘楼がある。墓地なのに鐘突堂があるのは面白い。

鐘楼めがけてぐいぐいと標高を下る。お墓の脇を「すいませんね、ちょっと通りますよ」と言いつつ下る。

下ってみると、確かに鐘楼の近くにお地蔵さんが6体並んでいた。目立たないけど。

「そのまま上まで登りつめた処」と言われて、六地蔵から道をみやると確かにコンクリートの道が墓地の端にある。これのことを言ってるのだろうか。

石堂が見えないのでやや不安になる。

なにしろここは墓所だ。石堂そっくりなものはたくさんあるので、大変に紛らわしい。見逃さないように気をつけないと。

なるほど、ガイド本の言うとおりだ。

お墓の外れまで、コンクリート道を上ってみたらそこに石堂があった。

[38番札所:土佐足摺山(金剛福寺)] 15:02

金剛福寺のことを「土佐足摺山」と呼ぶのね、と感心しながらお経。

○登ってきた道沿い

土佐足摺山に向かう途中、一つ札所を素通りしていたのだった。鐘楼に戻る際に立ち寄って、忘れずに巡拝しないと。

[39番札所:寺山寺(延光寺)] 15:07

上から読んでも下から読んでも寺山寺。ひらがなにすると全然あべこべになるけど。

お墓に紛れるような場所に位置している。なぜここに札所が。

いや、札所の主である薬師如来からしてみると、「なぜ背後に墓地が?」っていう気持ちかもしれない。この新田共同墓地はどの墓石も比較的奇麗で、分譲されてからそれほど期間が経っていないものと思われる。

鐘楼のところまで戻ってきた。さて次はどこだ。

○鐘楼の後ろ一段高いところ

え?鐘楼の後ろ?コンクリートブロックの斜面になっていますが。

おかしい、と思って鐘楼に近づいてみると・・・ああ!コンクリートブロックの崖の上に札所があった!あんなところにあるとは。そのまんまお墓の中じゃん。

[41番札所:稲荷寺(龍光寺)] 15:13

いやあ、至る所に、こちらの想像を上回るように札所ってのはあるもんですなあ。

あらためて「やるな、倉敷八十八カ所」と思った次第。お墓のある山の斜面から鐘楼まで下ってきた時点で、もうこの途中には札所はないものだとばかり勝手に思いこんでいた。

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