客席の紹介に移る前に、まずはデッキのご紹介。
こちらは飲料自動販売機。
「奥利多水」というペットボトルが25元である以外は、全て20元(約64円)。
奥利多水のラベルには「オリゴウォーター」と書かれているので、乳酸菌飲料系の飲み物だと思われる。
缶は、中段と下段が同じ商品。もっと取扱い品数を増やせば良いのに。それにしても偉大なのはポカリスウエット。この数少ないラインナップの中でも、ちゃんと頑張って陣取り合戦を勝ち抜いていた。
なお、2月ということで「冬」ではあるが、「あったか~い」飲み物は存在しない。当たり前だ。この新幹線は、南下していく途中に北回帰線を越え、亜熱帯地方から熱帯地方に入る。そんな列車においてホットドリンクはさすがに売れないだろう。
絵柄が気になった、「健酪」という飲み物。「乳酸飲料」と書いてある。
それはともかく、バンダナを巻いたテニス青年の絵が印象的。絵柄的には日本の20年後ろをひた走っている感じ。誰だこんなださいデザインを許したメーカーは。しかも長袖のセーターを着ている。暑そう。
お手洗い。
何か違うなあと思ったら、洗面台が無いのだった。あれっ、そうなのか。男性は兎も角、女性にとってはちょっと不親切だなと思ったが、お手洗いを覗き込んでみるとそこに洗面台があった。ご用の方はこちらでどうぞ、というわけだ。
故に、男性専用の小用トイレにも洗面台は備え付けられており、ややゆったりとした作り。ちなみに男性用トイレは鍵がかかるようになっていたので感心。
ただし、おかでんは最近の新幹線には疎いので違いがわかってはいない。
自由座の客席。
日本の新幹線と全く一緒。2列-3列の5列構成。シートの色まで東海道新幹線チックだが、全く一緒のものなのかどうかまでは不明。
ただし、2列側も3列側も、ぐりんと180度回転できるという点で構造は一緒。
これが商務車(=グリーン車)になると2列-2列となる。
自由座の乗車率はそれほど高くなかった。ただ、ほぼ全ての席の窓側を取られていたので、「完全に空いている席」を一つだけようやく見つけられた程度の混み方だった。さすがに台灣國語もしくは英語で「お隣、空いてますか?座って良いですか?」と聞く語彙力は持ち合わせていないので、空きがあってほっとした。
そんな客席であったが、一列だけぽっかりと空いているところがある。何かと思ったら、「博愛座」とヘッドレストのところに書かれてあった。なるほど、新幹線にも「ゆずりあいの席」があるのか。徹底しているな。
特徴的なのが、客席の一部を潰して作られた荷物置き場だ。トランクなどを置くために用意されている。東北新幹線や長野新幹線のE2系新幹線にも、スキー板を置くための荷物置き場はあるが、これは客席の外、デッキ部分になる。盗まれやしないかヒヤヒヤさせられるが、その点これは安心だ。
とはいえ、スペースはそれほど大きくないので、途中駅から乗り込んだら空きスペースがなくてがっかり、ということもあるかもしれない。
こういう荷物置き場を置くあたり、飛行機客を奪ってやるぜ感が強く感じられる。
椅子に座ってみる。
シートピッチが広く感じる。随分と足の自由がきく。しかしそれはおかしい。シートピッチが日本のものと違うなら、窓の幅や間隔まで台灣オリジナルにしているはずだ。そこまでやるとは思えない。
帰国後調べてみたら、日本の新幹線と一緒でした。失礼しました。
帰省の際は飛行機が多いからなあ、新幹線の感覚をすっかり忘れてしまっている。
テーブルの裏面に、各車両の説明があるのは日本の新幹線と同じ。
商務車は6号車で、車掌室も6号車となっている。おっと、どうやら「車掌」とは言わないようだ。「列車長」が正しい様子。
そんなわけで、ドアの開閉は6号車にて行われるから面白い。確かに、前後を等しく見ることができるので都合が良いかも知れない。
列車は全席禁煙。これは当然といえば当然。
日本では、JR東日本管轄の新幹線が既に実施しているが、東海道・山陽新幹線はまだ喫煙可のデッキ・車両が残されている。この喫煙車の燻製度合いたるや相当なもので、普通の愛煙家でさえ逃げるくらいだと聞く。
台灣では、公共の場では全面禁煙と法律で決められている。だから、電車はおろかホテル、道ばた、どこでも吸うことはできない。吸いたければ自宅かどこか許可されていることろでひっそり吸いなさい、ということだ。旅行者が一番困るのが、桃園國際機場でのトランジット。数時間もの乗り継ぎ待ちをしている間、空港内にはどこにも喫煙所がないので悶絶するらしい。
座席前のポケットに、「高鐵便當・新品開動」という広告が挟まっていた。
駅弁の車内販売のご案内だ。
「便當」とは、まさに日本語の「弁当」から来ている。発音も、語源も、日本語だ。
写真を見ると4種類あることがわかる。しかし、そのうち2品が「南下供應」であり、残り2品が「北上」となっていた。要するに、一列車に2種類しか積んでいないということになる。しかも、列車に積み込む数は少ないと聞いているので、売り切れという可能性もある。狙って買いたいと思っている人は要注意だ。
確かによく考えれば、空腹なら站の売店で便當を買えば良いし、どうせ各駅停車でも2時間程度で台北-左營を結んでしまう。何も車内ワゴンサービスで売る必然性は無いのだった。高鐵としても、売れ残りリスクを考えて少量ロットで対応しているのだろう。
ちなみに、「南下供應」は「日式猪排丼」と「蒽燒烤雞」。「北上供應」は「蒜香茄汁里肌」と「蠔油香菇雞」。
なんのことかよくわからんが、写真を見る限りどれも肉肉しい茶色で彩られている。基本的に、「ご飯の上に揚げた肉が載ってます」シリーズだ。台灣人だって美的センスが無いわけじゃないので、せめて付け合わせで彩りを出そうとしているのだが、やっぱり圧倒的な揚げた肉の色には勝てぬ。結果、何とも胸焼けしそうなラインナップになっているのであった。台灣人、メチャ肉好きか。
ちなみに「日式猪排丼」だが、これはどうも豚カツをご飯の上に乗せました、というものらしい。
宗教上の理由で肉類を食べない「素食」の人にとっては選択の余地がない。唯一、「蒜香茄汁里肌」が肉っぽくない名前だが、これは豚肉のフライにトマトソースがかかったもの。アウトー。そもそも、「蒜」(にんにくの事)が入っている時点で素食の人は駄目だ。
お値段、各120元(約384円)。安いので、見た目ほど量は多くないのだと思う。そんなに胸焼けをおこすまでもなさそうだ。
気をつけないといけないのが、この便當を売っている便は限定されているということだ。個数限定だけがハードルなのではない。うまいこと、便當販売列車に乗り合わせていないといけないのだった。
時間帯を見ると、お昼頃の便と、夜便に限って売っているようだ。高鐵が非常に慎重に、便當を売っている事が分かる。売れ残すくらいなら売らない覚悟だ。
便當の紹介とともに、この列車における非常時の対応について説明されている紙があった。
消化器の取扱い方とか、煙探知機の事とか、緊急時の脱出方法などが写真入りで説明されている。飛行機のような扱いだ。「300km/h?マジっすか」的な感覚で、何かあっちゃいかんと説明に余念がないのだろう。日本では、じわじわと性能アップして300km/hに至ったので、このような説明書きは一切存在していない。
台北站を出発後、次の板橋站までは間があまりないので大した加速はしない。さすがに後から作った路線だけあって、カーブがきつい。東京の、比較的新しい地下鉄を思い出した。
板橋を出てしばらくすると、地上の高架になる。しばらく、台灣の風景を楽しむ。高層マンションがあったり、無かったり、なんだかバラバラな都市建設だ。
台中まで途中駅をすっ飛ばしていく。新竹を過ぎたあたりで300km/hに到達したと記憶している。
全駅に待避線があるのが立派だ。しかも、通過線とホームがある待避線との間には、必ずどの站においても壁があって仕切られていた。日本の新幹線駅みたいに、列車が通過すると強風が吹いてスカートめくれてイヤ~ン、ということはない。
感心しながら見ていたら、前方からさらに感心する光景が。
車内販売のワゴンサービスだ。日本と同じようにやるんだな。
便が違うので、例の高鐵便當は売っていない。では何を売っているのだろう。今考えれば、呼び止めてワゴンの中を物色し、何か適当に購入すれば良かった。でもこのときはうっかり見過ごしてしまった。後で写真を見ると、ペットボトル/缶の飲み物の他に、ホットコーヒー、おかきなどのスナック類といったところか。
写真まで撮っておきながら、なぜワゴンの中身に目が行かなかったのかというと、ワゴンを押している小姐がとても奇麗だったからだ。こういうのを、「目を奪われた」と言うんだろうな。きれい、と可愛い、のいいとこどりみたいな感じでびっくりだ。
台灣の女性って、ひょいっといきなり飛び抜けた美人が現れるからびっくりするんだよなあ。いまいちな人は当然それなりの数いるわけだが、「飛び抜け方」という点では日本より台灣の方が上のような気がする。
多分、台灣で「高鐵のアテンダント」というのは相当な憧れの職種のはず。レベルが高い人が採用されているのだと思う。
今朝撮影した写真をさっさとネットブックに取り込み、採番したり順番を入れ替えるなどの整理を済ませる。後は、せっかくなので台灣の景色を楽しむことにしようじゃないか。
・・・といっても、大して面白いものではない。というか、はっきりいって、つまらん。
台灣高速鐵路は、土地買収の手間と費用の圧縮からか、台灣西部の主要都市沿いには走らない。もう少し内陸部の、田舎を突っ走る。
この台湾西部だが、島国とは思えないくらい広い平野を誇っている。これは意外だった。もっと海沿いまで山が迫っているような国土なのかと思っていたからだ(台灣東部はその傾向が強い)。
そういう意外な発見があったのは大層結構な事だが、その結果風景が単調で面白くないのでありました。まあ、日本の新幹線も田舎を走るので、風光明媚とは言えないので似たようなものだが。
ただ、日本と台灣の新幹線の決定的な違いは、日本の場合は「できるだけ在来線駅に併設して駅を作る」のに対して、台灣は「在来線(台鐵)お構いなしで站を作っちゃう」事にある。その結果、市街地から相当離れた所に、しれっと高鐵站ができてしまう。街へのアクセスは、バスかタクシーか、自家用車しかない。だから、仮に高鐵で「台南」站で下車したからといって、駅前に古都・台南の街が広がっているわけではない。他の站もそんなのばっかり。日本で喩えるなら、「新尾道」で下車したけど、肝心の「海と坂道とお寺の町・尾道」とは全然違う田舎の山の中だった、みたいなものだ。
日本の場合は新幹線駅が後からできたら、在来線の駅名とは異なる名前にして利用者の混同を防いでいる。しかし、台灣だと、鉄道運行会社が別ということがあってか、後発の高鐵が堂々と離れたところにある市街地在来線站の名前を名乗ってしまっているのであった。はっきり言うが、あんまり賢いやり方だとは思わない。
その結果いびつな事もおきている。高鐵開業時、南端の終着駅として「左營」站が登場した。その際、站の立地がちょうど台鐵とも並行していたため、利便性向上のために台鐵側にも新駅を造ることになった。ただ、台鐵には既に「左營站」が存在する。その結果、高鐵左營站に接続する台鐵の駅名は「新左營」となっている。同じ駅舎なのに、站名が違っている不思議。
高鐵があえて市街地を離れて走るのは、上記コストや期間面だけでなく、都市計画上の思惑もあるそうだ。敢えて町はずれ(というか、外れすぎて全然違う場所)に新站を作ることによって、そこに新しい街を作ろう、という考えがある。
とはいえ、実際おかでんが見た風景と、他webサイトで見かける駅前の写真などを見た限りではこの計画は失敗しているっぽい。駅前には巨大駐車場とバス停とタクシー乗り場、以上。という站ばっかりのような気がする。まわりはがらんどう。
もともと人口が2,300万人しかいない台灣という国で、そこまで地方都市部の土地が逼迫しているとは思えないし、これからは人口減少に向かっていく。そんな中で、高鐵站ができたとはいえ日常生活に支障がでるような田舎に新しい街ができていくとはとても思えない。できたとしても、せいぜい日本のJUSCOみたいな郊外型ショッピングモールがドカンとできる程度で、街全体の賑わいに繋がるとは思えない。
まあ、このやり方が失策だったのかどうなのかは数十年後になってみないと分からないが、今のところ言えるのは「高鐵は速い。ただし市街地へのアクセスが悪いのでそこでのタイムロスが惜しい。」ということだ。その結果、台北から台灣西部~南部への航空便はほぼ絶滅に追いやったが、台鐵の特急自強號や高速バスはまだまだ生き延びている。台鐵やバスだと、市街地中心部へ直接乗り入れてくれるので便利だからだ。
そんなことを考えながら、風景を眺めていたのだが、思ったより田んぼが少ない気がする。台灣人の主食は米だと思っていたし、日本人が台灣の風土に合わせて改良された「蓬莱米」が広く栽培されているものだと思っていたが、それにしては田んぼがない。畑は結構見かけるし、なにやら養魚しているらしい池もあちこちにある。台灣人は米、食べないのか?そういえば、士林夜市では、魯肉飯などの米料理はどこにでも存在していたが、どれも小ぶりのお椀。がっつり米を食べるという雰囲気ではなかった。
高鐵の乗り心地はとても良い。新しい路線だけあって、揺れが少ない。さすがに数十年が経過した東海道新幹線とは大違いだ。
・・・と思っていたら、場所によってはえらく揺れるところがあって、品質にばらつきがある気がする。
そんな違いを気にしながら、電車は途中停車站である台中に入っていった。全列車停車站である台中でも、追い越し線とホームに繋がる待避線があるのが面白い。高鐵は全ての途中駅で追い越し線が設けられていて、拡張性に富んでいる。
ただ、追い越し線から分岐してホーム側に進路を変える際、非常に慎重に、ゆっくりと曲がっていったのが印象的だった。あまり分岐(ドイツ製)に信頼が置かれていないのか、それともそんなにスピード出してホームに突っ込む必然性がないから余裕なのか、どっちだろうか。
日本だと、過密ダイヤのせいもあってか、一気にホームに飛び込んでいく。それに慣れているので、この高鐵の動きの緩慢さは気になった。
站での停車時間は比較的ゆっくり。日本の新幹線のように、1分程度ですぐに出発というのがいかに離れ業というか、素晴らしいというのがよくわかる。
ここから先、30枚写真が紛失しているので、左營站の模様はばっさり割愛。
写真を頻繁にPCに移し整理していたので、何かの誤操作で左營界隈の写真だけが消えてしまったらしい。
左營站到着後、まずは人の流れに逆らい、ホーム先端に行き700Tと記念撮影をした。三脚をたて、セルフタイマーで撮影・・・していたら、駅員さんに激しく笛を吹かれて静止された。写真撮影したらいけないのか。スパイと思われたか。
駅員さんのジェスチャーを見ると、どうやら黄色い線を越えてホーム外側に体を出すな、ということらしい。電車が停まっていようがなんだろうが、黄色線は不可侵領域ということだ。なるほど。
站のコンコースに出ると、そこは高い天井と開放的なガラスで作られた立派な建物だった。さすがに新しい路線であるだけあって、站の作りがとても新しくてユニークだ。関空の出発ロビーを思い出した。
站の構内には、「誰やねんお前」という人の写真がデカデカと写っているポスターが貼ってあり、新春のお祝いらしきものを述べている。どうやら、地元の政治家らしい。この站に限らず、街角などあちこちで同類のものを見かけたので、台灣の政治家というのはこうやって自己PRをするのが定番らしい。
台鐵への乗り継ぎにはまだ時間があったので、コンコース内にあるコンビニを覗いてみた。本が売られているのだが、中には日本人の著書もあって興味深い。というか、売れ筋が紹介されている本棚に大前研一氏の著書が置いてあったのが激しく謎。台灣でもこの人、人気があったとは。
高鐵左營站からそのまま台鐵新左營站へと歩いていく。コンコースで繋がっているのですぐだ。しかし、台鐵の構内の方が薄暗い。この辺りに、運営会社の方針の違いがあるのだろう。
屏東までの普通乗車券を自動券売機で購入し、入場。しばらく待って、やってきた区間快速列車に乗車。
区間快速なので、左營站を飛ばして次の站である高雄に向かう。列車のアナウンスで、そろそろ高雄に着くよーということを言っている事が分かるのだが、窓から見える景色はとてもそうとは思えず、信じられなかった。
高雄。台灣第二の都市。港湾の街、商業の街として昔から栄えてきている。・・・その割には、站が近づいているのに、なんだか建物がとてもボロい。もう少し商業ビルが林立していても良さそうなものだが、見えるのは民家ばかりだ。平屋建てなんかもあるし。ボロく見えるのは、実際年月を経ているせいもあるが、コンクリート打ちっ放しの建物が多いせいもある。
それにしても、保安上の観点から線路内に立ち入りできないように柵を作るという発想が全くないあたり、おおらかというか日本とは違う。これが田舎站近くならまだしも、高雄站近くでの光景。
さっきのアナウンスは聞き間違えではないか、と疑心暗鬼になりながら様子をうかがっていたら、先ほどの写真撮影から1分もしないうちにホームに電車が滑り込んでいった。ありゃー、本当に高雄站だ。
しかもこの高雄站、何度も言うが「台灣第二の都市の站」とは思えない、何だか古くさい站だった。鉄道好きには「だからこそ、良いのだ。」という「味わい」なのだろうが、鉄分が薄いおかでんにとっては「えっ、こんな站なの?」と拍子抜けだった。
でもよく考えてみれば、あんまり不思議ではないのだよな。日本の「地方中核都市」の多くは、その駅から放射状に路線が延びる。そのため、ホーム数が多く、スケールが大きい。しかし、台灣の場合、「基本的に島一周の線路で台鐵は構成されていますす。はい。」というわけであり、高雄站も当然その一部だ。だから、ダイナミックにホームが並ぶ必然性がないのだった。
高雄站を出発し、しばらく走ると周辺はまた田舎へと変遷していった。その途中、大きな川を渡っていったのだが、隣にある鉄橋が途中で途切れているのがとても印象的だった。台風被害にでも遭って、寸断されているのだろうか。ちなみに川の対岸にも、途切れた鉄橋が残されている。
この川は、高雄と屏東の境界線にあるので「高屏渓」と呼ばれているそうだ。台灣で二番目に長い川というだけあって、川幅が広い。
写真に写っている「途中で途切れた鉄橋」は、何の気無しに撮影したものだが、後でFishの指摘により国から二級古蹟に指定さている有名な橋らしい。その名を「下淡水渓鉄橋」という。
高雄と屏東の交通が盛んだったことから、1913年に日本統治下の台灣総督府が作ったものだ。日本の名残りがこんなところにも残っていたとは。なお、鋼材などは全て日本で作って運び込んだものなので、メイドイン・ジャパンだ。竣工当時は東洋一の大鉄橋だった。
ただし、さすがに電化された火車には対応できないため、隣に新しい橋を造り今に至る。下淡水渓鉄橋は撤去される計画だったが、史跡的価値があるということから保存運動がおこり、結局今ではこのように「途中で途切れた風変わりな橋」として原型を留めている次第だ。
屏東縣に入った頃から、背高のっぽの木が車窓から見えるようになってきた。
ヤシの木のようだが、よく見ると違う。
これが、「檳榔」の木だ。日本では「びんろう」と呼ぶが、現地では「ビンラン」に近い発音をする。
檳榔。見た目の通りヤシ科の植物であり、種子にはタバコのニコチンに似た興奮作用をもたらす成分が含まれている。アジア全般でよく使われる、一種のライトドラッグだ。ドラッグ、というと違法のようだが、酒やタバコが合法であるのと同じように、檳榔も合法とされている。日本に持ち込もうとしたら検疫で引っかかるのでアウトだが。
依存性がある上に、常用していると口腔がんになる恐れがあるという。
檳榔文化がある国の中でも、特に台灣では広く嗜好されており、檳榔を売る店が多いと聞く。しかし、過去台北に滞在していたときは、活動範囲が狭かったこともあり一軒も見かける事はなかった。もちろん、檳榔の木すら見ることは無かった。だから、いざ檳榔の木を見ると「おおお」と感動すら覚えるのだった。単なる木なんだけど。
写真を見ると、未開拓の林のように見えるが、これはれっきとした「檳榔畑」だ。広大な敷地で檳榔が育成されており、そのニーズの大きさを伺い知ることができる。
檳榔はタバコ同様覚醒効果があるので、長距離ドライバーなどの眠気覚ましに愛用されている。そのため、ロードサイドで檳榔屋台を見かける事が多いらしい。今回、恆春に車で長時間移動があるので、途中で見かける事ができそうだ。ちょっと楽しみだ。
火車は程なく、終着站である屏東に到着した。
地図で見ると左營から結構距離があるように感じるが、思ったよりも早く着いた。もちろん、事前に時刻表はチェックしていたので所用時間は知っていたのだが、それでも「あれ?もう着いたの?」という感覚だ。
北海道の地図を見ながら旅のプランを立てていると、失敗することがある。それは、北海道のデカさを過小評価してしまい、広範囲の観光地を巡る計画を立てて、当日「移動地獄」に陥ることだ。地図の縮尺が、北海道は違う。
その逆で、台灣はそれほど大きな国ではないので、地図で見たのと実際とのスケール感に違いがでてくる。その結果、「もっと遠いと思ったのに案外近い」という事になる。やはり知らない土地は、うろうろして地理感を養う必要があるな。
火車は屏東站改札に面したホームに入線した。そして、浮き足だってしまいすぐに改札を出てしまったため、ホームがいくつあるのかとか、站の構造まで見ることができなかった。慣れない国、慣れない土地、通じない言葉。ついつい歩みが速くなってしまっているらしい。落ち着け、自分。
この屏東站は、入口改札と出口改札が別のところにあった。一緒でも良いのにどうして分けたのか、謎だ。ただ、ふと思い出してみるとおかでんの故郷の駅である広島も、このスタイルだったっけ。決して珍しい形態ではないのかもしれない。
建物はコンクリートによる重苦しい作り。建造年は知らないが、コンクリートのせいで年季が入っているような印象を受ける。
そのため、出口に自動改札機が設置されているのにはちょっと驚いた、というか感心した。そりゃそうだ、今のご時世、自動改札があったって何ら不思議ではない。
屏東站を出てみる。Fishからは、先ほど「渋滞につかまったので10分ほど遅れる」という連絡を受けていた。10分とは微妙だな。30分くらい遅れてくれれば、屏東站前をうろうろすることもできたのだが。
でも、10分でも時間に余裕ができたことはうれしい誤算だ。有り難くその間、站の様子を見学させてもらうことにした。
そもそも、この時間に屏東站に立っているスケジュールは、汽車や火車を乗り継ぎまくり、屏東→萬巒→潮州→枋寮→恆春、と進んでいく事が前提だった。しかし、急きょFish一族のご厚意により車でのお迎えが決まったので、時間にゆとりができたのだった。だから少々遅刻してくれても、全然構わない。
屏東站。台湾最南端の屏東縣の中核都市である屏東市に位置する。いわゆる「県庁所在地の駅」だ。屏東縣全体では約90万人の人口。台灣の行政区分としては、まず台灣全体が「台灣省」であり、その下に「縣」→「市」→「鎮」または「郷」、となる。今日目指す恆春は「屏東縣恆春鎮」であるし、これから向かう豚足の町萬巒は「屏東縣萬巒郷」となる。「郷」は日本の村くらいのイメージだが、「鎮」の下に「郷」がくるわけではなく、このあたりの肩書きルールについてはよくわからない。
いずれにせよ、屏東縣屏東市の屏東站前だ、きっと様々な建物が建っているに違いない・・・と、当初は思っていた。しかし、改札を出てみて若干拍子抜け。空が広い。要するに、駅前一等地からして、高層ビルが建っていないのだった。
のどかだ。
日本が必死すぎるんだろうな、駅前開発に。
恐らく、「屏東から高雄まで火車通勤しています」なんて人はあまり居ないのだろう。だから、できるだけ站に近いところにマンションを建てたり、駅前にスーパーやコンビニを乱立させるようなことがない。これはこれで健全な駅前なのかもしれない。
とはいえ、さすがに中核都市だけあって、街の規模はそれなりにありそうだ。駅を離れるととたんに寂れるような田舎ではない。道路も、広い。そういえば、台灣は全般的に道路が広く造られているのが印象的だ。民家や商店がある路地裏は途端に狭くなり雑な道路になるのだが、主立った道路は全て立派なスケールだった。これには感心させられた。
站前も広々としている。せっかくだから、このロータリーにバスターミナルを作ってくれよ・・・とつくづく思う。バスターミナルへは、ここから向かって左手の道路を進んだところにある。一見さんでこの站に降り立つと、バス乗り場が見あたらなくて戸惑う。まあ、台灣の人はみんな気さくに道を尋ねたり尋ねられたりしているので、実際には困ることはないのだろう。
しかし、日本だと自己解決こそ正義であり、自己解決手段を提供する(分かりやすい場所にバス乗り場を作るだとか、駅前地図を改札出口のところに設置するなど)事に力を注ぐ。国民性の違いだろう。だから、日本人的感覚だけでこの屏東站前を表するなら、「不親切」ということになる。
改札出口には、タクシーが多数停車して客待ちをしていた。台灣のタクシーは黄色で統一されているらしく、大変に目立ってわかりやすい。改札出口で立ちつくしていると、運転手さんから「先生!」と客引きを何度もされた。
中国語で「先生」とは、学校の教師の事ではなく、「~さん」や「~様」といった敬称にあたる。教師の事は「老師」という。何だか魔法使いの親分みたいだ。
站前の看板に「地球村美日語」というのがあり、日本語をはじめとする外国語教室の宣伝がされていた。こんなところでも日本語教育が行われているのかと感心。
さて今度は入口側の改札に行ってみる。改札前は、広い待合い室になっていてベンチが並んでいる。天井はとても高い。暑い場所だし、コンクリート壁の重苦しさがあるので、高い天井にしておかないと圧迫感があるのだろう。
待合室脇には、日本ではキオスクでもありそうな場所に軍隊の入隊受付・相談カウンターがあったのでちょっとびっくりした。
「屏東憲兵隊車站分隊」という看板が掲げられている。その立派な看板のすぐ下には、日本の「MANGA」の影響をモロに受けたと思われる憲兵さんのイラストが。何だかミスマッチだし、拳銃を構えて格好いいはずなのに、3頭身しかなくてイマイチ冴えないし萌えない微妙な絵柄。
站構内でも見かけた赤い横断幕がここにも掲げられてあった。「號外」と書かれていて大げさなので、「いざ出陣」という緊急事態にでもなったのかと思ったが、何のことはない、屏東周辺の学校で説明會を開きますよーというものだった。號外だなんて大げさな。
しげしげと眺めていたのだが、「憲兵」という表現と「國軍」という表現がばらばらに出てくる。違う組織だけど、便宜上同じ場所で募集をかけているのか、それとも同じ意味なのかは不明。
なお、壁に「服務項目」というのが掲げられていて、これがなるほどと思った。
官兵急難救助 Emergency Aid
官兵遺失物処理 Lost & Found
受理軍民報案 Make a Police Report
接受軍校招生報名 Military School Application
強力執行警衛勤務 Guard Duty Cooperation
諮訽服務 Infomation Service
さすがに、「軍隊なんで国防最優先!」とは謳わないのだな。五番目になってようやくひっそりと「警衛勤務」という表示が出てくる。好戦的表現を意識して避けるのは、何も日本の自衛隊だけではないということだ。
「ほー、特殊部隊は火器にMP5を採用しているのか・・・」と、ポスターを見つつ、目を脇に逸らすとそこには銀行のATM。24時間営業でやっているらしい。田舎っぽい站と站前ではあるが、このあたりはさすが近代国家。ただ、真夜中にこの站でお金をおろす人がいるのか、というかその必然性があるのかどうかがまず疑問ではあるが。
まもなく、Fish弟が運転するFish車が到着。ようやく日本語が通じる環境になってありがたい。とはいっても、まだ日本語から隔絶して24時間も経過していないのだが。
それにしてもわざわざハンドルを握ってくれた弟君には頭が下がる。ちゃんとあいさつしておかないといけないと思い、台灣語で「はじめまして」を意味する「リーホウ、リーホウ」とあいさつしてみた。すると、向こうから「ニーハオ」と日本人なら誰でも知ってるようなあいさつが返ってきたので、やや拍子抜け。まあ、かといって台灣語で応答されても会話が続かないのだが。弟さんは弟さんなりに、「日本人にも分かりやすいあいさつを」と気を遣ったのだろう。
この「ニーハオ(你好)」という北京語、いろいろ使い勝手が良く、一般的な「こんにちは」の意味の他に、「你好嗎?」とすれば「お元気ですか?」という意味になるし、「你好、久仰久仰」とすれば「はじめまして」になる。
電子辞書の解説で、台灣語では、「こんにちは」を意味する「リーホー」よりも「ご飯食べましたか?」という意味の「ジャッパーベー」の方をよく使うという。時間を問わず使うのだとか。面白いあいさつだ。ただ、これからまさに萬巒で豚足を食べに行こうとしているのに、「ご飯食べましたか?」というあいさつをするのはどうなんだろう。
Fishに念のために事前に聞いておいたのだが、「食事に行くことが決まっていて、その待ち合わせの際に使う言葉ではない」とのこと。そりゃそうだ。「食べましたか?じゃねえだろ、これから食いに行くんだろうが」となるわな。
あとはもうネタ切れ。台灣語どころか北京語すら知らないんだから、無理だ。精いっぱいの背伸びはやめにして、後はFish経由で日本語でやりとりすることにした。弟さんもその方が気楽なようだし。
Fish弟が運転してきた車はカローラだった。台灣ではトヨタ、日産あたりの車をよく見かけたのだが、カローラがダントツ人気の様子だった。昔の日本がそうであったように、カローラという車は大衆車としての地位を築くのが得意なようだ。
街中を走る車(除く商用車)は、ほぼ全てがセダンタイプだった。日本のように、ハッチバックやワゴン、5ドアといった車は珍しいくらいだ。また、軽自動車は一切見ることが無かった。どうやら、台灣の法律上660ccの車は車として認められていないらしい。日本では軽自動車が売上ランキングの上位を独占するありさまだが、台灣では事情が異なっている。
積もる話もあるが、まあとりあえず萬巒で豚足を囲んでからだ。早速車で移動開始。
道を進むと、「檳榔」と書かれた看板を掲げるお店を発見。おー!あの檳榔が売られているぞ。思わずカメラを取り出して撮影した次第。しかし、この後、檳榔屋なんて珍しくもなんともないことをいやという程思い知らされたのだが。
「檳榔はセクシーなおねーさんが売っていると聞いたけど?」と聞いてみたが、Fish兄弟共に「聞いたことはあるが、この辺りにはないんじゃないか」という。心当たりが無いようだ。残念。
檳榔だとかセクシーお姉さんの話をガイジンであるおかでんが聞くことは、なんだか不躾ではないかと若干心配だったので、これ以上触れておくのはやめておいた。台灣における檳榔の位置づけがまだよく分かっていないからだ。外国から来た人が、来日早々「日本では大麻を自宅で栽培している人がいるって聞いたけど、どこに行けば大麻を買える?」だとか「美人おねーちゃんがいる風俗店を紹介して」といっているようなものではないか?だとしたら、地元民からしたらあんまりいい気持ちしないよな、と思う。この辺りのさじ加減は、おいおい様子を見てから判断しても遅くあるまい。
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