しだくら橋。
吊り橋というのも、サイクリングの道中立ち寄る格好の楽しい場所だ。さっきから全然前に進んでいない気がするが、それでもいったん自転車を駐輪せずにはおれない。
しだくら橋からの眺め。一面の山、そして川。電線すら見えない。これもまた、東京の景色。
東京は小笠原諸島があったり、奥多摩の山があったり、変化に富んだ自治体だ。感心させられる。
えーと、今日は何しに来たんだっけ。あ、そうか、サイクリングだ。いつまでもこの景色を眺めてちゃ、ダメだ。どうしても登山の癖があるので、こういう景色を前にするとぼーっと時間を過ごしてしまう。しかし、サイクリングってのはもっとチャキチャキと動かないとダメなんじゃなかろうか。
先に進もう。まだ、奥多摩湖は遥か先だ。スタートから数キロしか進んでいないぞ。
縁結びのお地蔵様だという。
「ええと、どれがお地蔵様?」
「この二つの石じゃないですか?」
「ええ?これが?」
「これが?」なんて失礼な。いわしの頭も信心から、という言葉があるように、信じる心さえあれば石でも砂でも空気でもなんでも祈りの対象になる。
縁結びのお地蔵様なのだという。そういえば、昔って「良縁に恵まれますように」っていうお祈りはどれほど存在していたんだろう?お見合い結婚が当たり前の時代、「片思いのあの人を振り向かせたい!」といった話はあまりなかっただろうから。
おそらくここの縁結び地蔵を信仰したのは、地元の人だろう。遠路はるばる、遠くに住む人がここまでやってきたとは思えない。でも、この奥多摩は21世紀の今でも結構な山奥。集落なんてあっても住んでいる人は少ない。そんな中、このお地蔵様に「良縁」を願うというのはどういうことなんだろう?興味津々だ。
とりあえず、二股の大根をお供えすれば良いらしい。良縁祈願で「二股」ってのは悪い冗談のようだ。ええと、あいにく今僕は二股大根は持ち合わせていないんだ。ああ、良縁は先送りか。
それにしても、僕の隣には赤子を背負う若い女性がいる。お地蔵さんからしたら「夫婦?」と思ったかもしれない。いやいや違う違う、今日初対面の人ですってば。
馬の水のみ場、という場所もあった。
昔の街道筋の、山道ってことでいろいろ昔の名残があって楽しい。なるほど、だから「むかしみち」なんだな。単なる旧道というのとはわけが違う。
こちらは虫歯地蔵尊、だって。もうこうなるとどれがお地蔵様を意味する石なのかさえわからない。
先程、「耳の調子が悪い人用」の信仰対象があったが、今度は「虫歯の人用」だ。現代医学がクリニックを細分化しているように、当時は信仰対象も細分化されていたんだな。「なんでも効きます!」という万能の神様はなかなかこの世に現れないらしい。まあ、それを突き詰めれば無我の境地だとか、西方浄土とかそういうことになっちゃうんだろうけど。仏教なら。
また吊り橋がある。
この吊り橋を渡った先に何があるのかはよくわからないけど、とりあえず橋の真ん中くらいまでは行ってみる。自転車に乗ったまま突撃なんかするなよ、それだとUターンできなくなるぞ。
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