新千歳空港で仲間と合流し、ハタケに到着したのは10時半近くだった。
空はまだ雨が降り始めていないが、ずいぶんどんよりと曇っている。確かに、いつ雨が降り始めておかしくない状況だ。
井川さんが
「ほら、早く着替えて。すぐに始めるよ」
という。まあよくきたね、お茶でも飲んでください、なんていう社交辞令は一切ない。ぶっきらぼう、ともいえるが、その「距離感の近さ」がマメヒコと井川さんの魅力だ。なんなら、「来るのがおせーよ」みたいな顔を井川さんはするが、それは若干の照れを含んでいるということを参加者全員よくわかっている。
ハタケ脇にある家では、猫が一匹お出迎え。「なんだこの人たちは?」と不思議そうな顔をしてこっちを見上げている。いや、不思議なのはこっちのほうだ。野良猫にしてはやけに毛並みがいいし、そもそも首輪をつけている。どうやら飼い猫らしい。5月に訪問したときはいなかったので、この2ヶ月の間に新たに飼われたのだろうか?そういえば、このハタケ周辺には野良猫が住み着いていたな。
「ブルー!こっちだよブルー!」
猫と微妙なにらみ合いをしていたら、奥から女の子が飛び出してきて、この謎猫を抱きかかえて向こうへ連れて行った。おっと、また新キャラだ。この子、誰?
何しろ、ハタケ遠足参加者同士での自己紹介もない。スタッフ側も、何者なのかわからない。なんとなく場の空気を読んでいるうちに、なんとなく人となりがほんのりわかってくる。5月のときは、誰がマメヒコスタッフで、誰が参加者なのかの線引きすらよくわからなかったくらいだ。マメヒコ常連が中心のイベントなので、そういうのは「言わなくてもわかるでしょ?」ということなのかもしれない。
で、この女の子だが、井川さんの娘さんだということが後ほどほんのりと判明した。そしてわれわれを出迎えた猫は、この娘さんの飼い猫だということも、セットで判明した。
いちいち「ほんのりと判明していく過程」を時系列順に説明していくと面倒なので、思いっきりはしょる。
井川一家は昨年、この地に住み込んでハタケ作業にいそしんでいたらしい。小学生である娘さんはそのために近くの小学校に転校したわけで、ものすごく大胆だ。井川さんご自身も、単身赴任状態で東京と行き来していたのだろう。
で、このハタケ近辺に住み着いていた野良猫が子どもを産んだのだが、とてもじゃないが一冬越せそうになくて見かねて、一匹を引き取ったのだという。それが今目の前にいる・・・いや、娘さんが向こうに連れて行ったので、「いた」と過去形で・・・「ブルー」という猫だった。
普段は東京の家に住んでいるのだが、今回は娘さん含めて井川家一家総出でハタケにやってきたので、ブルーも里帰りしたというわけだ。
「ブルーはすぐに外に出たがるの。だから外に出ないようにしなくちゃ」
といいながら、娘さんは玄関に行こう行こうとするブルーを捕まえてはリビングに引きずり戻していた。おとなしい猫で、娘さんに抱きかかえられると反抗せずにそのまま連れ戻され、またしばらくすると凝りもせずに玄関や勝手口、窓際に行って外に出られないか様子を伺っていた。野良猫の血がうずくのだろう。
そそくさと着替えてハタケに向かってみる。
「おおお・・・」
その光景に、思わず声が漏れてしまう。そしてそのあと、しばしの絶句。5月のハタケ作業を体験して、今回二度目の人たちはみな一様に同じリアクション。
目の前に広がるハタケは、すっかり緑に覆われていた。
たった2ヶ月前、何もないところに一生懸命種を植えていたのがうそのようだ。
「マジで?マジで?たった2ヶ月で植物ってこんなに生えちゃうものなの?」
何度も「マジで?」という頭悪そうな言葉を繰り返して口にする。そうやってガス抜きをしないと、目の前に広がる事実を受け止めきれず、パンクしてしまいそうだ。
僕ら都会暮らしの人は、もはや「植物が生えるスピード感」というものをあまり感じずに生きている。花屋さんで切花や鉢植えの花を買うことはあっても、すでに咲き誇っている状態のものだ。種から芽を出し、茎を伸ばし、つぼみをつけ、そして花を咲かせ、実になって枯れていく・・・そういうことにリアリティをあまり感じられなくなっている。
てっきり、この手の植物というのは半年から一年くらいかけてじっくり成長するものだと思い込んでいた。しかしどうだ、目の前にはうっそうと茂る葉っぱ。
「なんだ、農業ってチョロいもんだ」
なんてここで勘違いをしてはいかん。ここまで立派に育ったのは、一人ハタケに常駐して日々作業をしているスタッフの方がいるからだし、もともと丹精こめて土作りが行われてきた場所であることもある。また、農業というのは観葉目的ではない。実を収穫して、それを利益なり食用にして初めて成果となる。まだ実をつけてもいない今この時点で勝ち誇っても意味がない。
それにしてもなあ・・・こんなにうっそうとするものかね。予想をはるかに上回っていた。うっそうとしているのは、花豆だ。花豆は前回手竹を千本以上地面に突き刺し、苦労させられたものだが、その苦労の甲斐があった。今や、すっかり花豆はつるを手竹に絡ませて、立派に高いところまで成長を遂げていた。
「防獣ネット、張るから。二階にあるんで、それを持ってって」
と井川さんから指示がある。防獣ネット?農作物を食い散らかすけしからん動物がこのあたりにもいるのか。空港からもほど近い場所なのに。・・・と、周囲を見渡したが、まあ、「空港から近い」って言ったって、ここは試される大地北海道。あたり一面、ずっと畑だ。
あれ?一面畑なのに、ケダモノって住み着いているんだな。確かに、ところどころ防風林としてなのか、隣の畑との境界線のためなのか、ひょろっと未開拓の土地がある。そういったところを経由しながら、ケダモノどもは獲物を求めてうろついているのだろう。
防獣ネット一式は二階の部屋に置いてあったので、二階の窓から下におろす人、一階でそれを受け止める人に分かれて作業を行った。
これが防獣ネット。さすがに電流がビリビリ流れたり、有刺鉄線になっているようなものではなかった。優しい世界。「うちの作物に手を出したら逆襲してやる!天罰!」というものではなく、「頼むから諦めて森に帰ってね。ここから先には行けないからね」と諭すようなネットだ。
防獣ネットは、とうきび(とうもろこし)畑の周囲にセッティングするのだという。とうもろこしが熟すのはお盆の頃だというが、そのタイミングを見計らって鹿などがガブリとやりにくるらしい。鹿は非常に短絡的な生き物なので、今まさにおいしいところを、遠慮なくガブリとやってしまう。つまり、食い散らかす。農家としてはたまったもんじゃない。「完熟が先か、鹿にやられるのが先か」というチキンレース。
とうきび畑にネットを運んでいる最中、花豆畑の横を通った。そこは、たった2カ月前が嘘のように葉っぱが茂り、今まさに赤い花を咲かせていた。成長が早いなあ、もう。
豆の花なんて見たことがなかったし、思いを馳せることすらなかった。実の部分しか興味がなかったからだ。せいぜい、夏になるとスーパーに枝付きの枝豆が並ぶくらいだ。そうか、こんな赤い花を咲かせるんだな。知らなかった。
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