栄枯盛衰を温泉地で見た【鬼怒川温泉】

殺風景な景色

12:43
HIMITSU豚とHIMITSUなことをした後、散策を続ける。

鬼怒川温泉の中心地から南に向かったところに、「鬼怒楯岩(きぬたていわ)大吊橋」というつり橋があるというので、行ってみよう。

歩いていると、フェンスで囲われた空き地があった。畑があったようにも見えない。昔はここも温泉旅館が建っていたのだろうか?今となっては跡形もなく、何があったのか全く予想ができない。

そしてその向こう側には、廃墟と思われる建物が見える。

小雨が降ったりやんだりしている天気なので、結構陰気に感じる。これだけ開放感がある場所なのに。

廃墟

廃墟ビルの正面に回りこんでみた。

廃墟にしてはまださほど荒れてはいない。ひょっとしたら廃墟ではなく、ちゃんと営業しているのかもしれない。だとしたら大変失礼ぶっこきました。・・・と思っていたのだけど、やっぱり廃墟だ。金属板で周囲を覆い、不法侵入されないようにしていた。しかし建物の入口はふさがっていないので、今のところ入りたい放題。いや、入ったらダメだぞ?不法侵入だぞ?

建物屋上には、「ホテルたかはら」と書いてあった。調べてみたら、2014年末まで営業をしていたらしい。つまり、廃業からわずか数ヶ月という状態なのだった。現在進行形で、温泉旅館の廃業というのは進行しているのだな。さすがにここは「大江戸温泉物語」のような温泉旅館再生資金の注入はなかったか。

部屋の窓を見ると、カーテンがぶら下がったままだ。カーテンを引っぺがして売ろうとしても値がつかないのだろう。引っぺがす労力がもったないない、ということで放置されたらしい。

老人ホーム?

12:45
鬼怒川の川沿いに、新築マンションの分譲が行われていた。「温泉大浴場付き」と横断幕で訴えかけている。立地からして、おそらく昔はここにも温泉旅館があったのだろう。廃業し、建物を壊したのちに温泉付きマンションをこしらえたというわけか。時代の流れを感じる。

壊すことができただけまだましだ、壊す費用も捻出できないまま倒産した場合、残された旅館はそのまま廃墟として放置となる。

古い建物

分譲マンションの隣には、巨大な旅館があった。これも廃墟か・・・。

「鬼怒川ロイヤルホテル」という名前らしい。看板のフォントが、明らかに昭和30年代または40年代テイストだ。こりゃあ古いぞ。当然、こんな規模の旅館を維持するなんて難しいから、倒産して今に至るというわけか。

・・・あれ?

その割には、ボロボロではない。しかも、駐車場にぽつぽつ車が停まっている。あれれ?

一泊二食7,800円

うお。

真っ青な看板が出ていた。これは明らかに新しいものだ。

「鬼怒川ロイヤルホテル バイキングプラン1泊2食無料飲み放題付7,800円」

へええええ、すごいな、これだけ小回りが利かないっぽい巨大旅館なのに、見事に今でも営業しているとは。しかも何なのこの値段。7,800円!?マジで?飲み放題付き、というのも目を疑うし。

ホテル全景

鬼怒川ロイヤルホテル全景。

明らかに古いデザインの建物。でも屋根を塗り替えたりしてちゃんとメンテナンスが施されているし(安っぽさは否めないが)、なによりも青い看板が存在感を発揮している。

コスト重視のためなのだろう、色気がなくデザイン性もへったくれもない看板だけど、シンプルに売りを伝えていてインパクト絶大だ。安いなあ、もう。これは気になる。しかも「お一人様でも歓迎」ときたもんだ、僕みたいに単独でフラフラ旅する人間にとってはとても嬉しいお声がけだ。

旅行業界にとって冷遇されがちな「ひとり旅」だけど、この宿は暖かく迎えてくれるのか。それだけでもシンパシーを感じる。またこの地を訪れる機会があれば、ぜひ。

何しろ、飲み放題込みで2食付7,800円だぞ?たとえ安っぽい出来合いの料理が並ぶバイキングであっても、たとえビールではなく第三のビールだったとしても、飲んで食って風呂入って寝て、でこの値段なら何一つ文句はない。すごい時代に突入したものよのぅ。

おそらく、何らかの再生ファンドが手を貸したのだろう。自力でここまでダイナミックに方針転換は無理だと思う。

従業員宿舎

ロイヤルホテルから道路を挟んだ向かい側に、社員寮があった。

温泉街の町歩きというのは、「陰と陽」を垣間見ることができるから面白い。建物の表側はぱりっときれいにしていても、裏に回ると配管むき出しだったりさびやひび割れが放置されていたりする。タオルが無造作に干してあったり、ゴミが詰まれていたり。

社員寮もそう。

巨大な旅館であれば、当然従業員宿舎が近くにあるわけだけど、さすがにホテル同様の豪華絢爛な作りというわけにはいかない。旅館が「非日常空間」の演出に躍起になっているのに対し、宿舎は「あくまでも日常」だ。その雰囲気がとても興味深い。

吊り橋

鬼怒盾岩大吊橋が見えてきた。「大」を名乗るだけのことあって、唐突にガツーンと長い吊橋だ。

吊り橋の案内

吊橋の案内。長さ140メートル、川からの高さは37メートル。

吊り橋の上

吊橋の上から鬼怒川下流を眺める。

なるほど、この渓谷美が愛されたからこそ、この地に温泉旅館が栄えたんだな。温泉が沸く上に風光明媚なので最高、というわけだ。

・・・ということを、過去何度もこの地を訪れている僕でも今初めて悟った。何を今更!

吊り橋の上2

というのも、温泉街の中心エリアというのは渓谷の両岸に巨大旅館が林立しているからだ。しかもその一部が廃墟と化しているわけで、非常に見栄えが悪い。鬼怒川に「渓谷美」という概念があったということにこれまで全く気が付かなかったのは仕方がないと思う。

写真は、吊橋の上から鬼怒川上流を眺めたところ。

先ほどのロイヤルホテルが右岸に見える。左岸には何もないので、まだこのあたりは景観が保たれている部類だ。

先には行けず

140メートルの吊橋を渡り終えたのち、盾岩の遊歩道を歩くつもりだった。しかし、土砂崩落のため通行止めだそうで、ここから先に行くのは断念。諦めて今来た道を折り返す。

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 初めまして
    コメントをさせて頂きます。
    記事に紹介されていた鬼怒川温泉の御苑で勤めていた者です。私が勤めていた頃はバブルの終わりの頃でした。
    平成4年頃~6、7年まで鬼怒川温泉のホテルの寮を借りて仕事をしていました。
    非常に懐かしいですね…御苑…本当に広いホテルで、今で言うダンジョンの様な(笑)新宿駅ほどではないですが、
    私は当時、宿泊されるお客様を部屋まで案内する仕事(フロント受付から客室案内係や繁忙期には仲居さんの
    サポートまで幅広く?仕事をしておりました。)をしていて、一度、お客様を部屋まで案内するのですが、フロントまで戻るには非常に時間が掛かっておりました。年末年始の忘年会や新年会や夏休み、冬休みなどとにかく休みを利用して来るお客様もたくさん来ていました。

    とにかく一番大変だったのは年末の忘年会シーズンですね、もう何百名との団体のお客様がどっと来るので、部屋までの案内も大変なことはさる事ながら、宴会も賑わい…もうお酒をたくさん召し上がるお客様も多かったので仲居さんだけでは、対応しきれずよくサポートにも駆り出されました。写真を拝見させて頂いてあの頃は…とつい懐かしんでしまいました、貴重な掲載して頂き写真をありがとうございました。

    今じゃ鬼怒川温泉も廃墟マニアには堪らない様な感じになってしまった様ですね、本当に懐かしい…。御苑は隠し部屋がたくさんありましたよ(笑)

  • はやぶささん>
    貴重な体験談、お聞かせいただきありがとうございます。往年の賑わいを実際に体験した方から聞けたことがとても嬉しいです。

    あの崖にへばりつくような建物、そして増改築を繰り返して巨大化した建物ははやぶささんが仰るような桁違いに大勢のお客さんがいらっしゃったたまものだと思います。炭鉱跡や金山跡が文化遺産として保存されているように、御苑のような超巨大ホテルはなんとか今後も経営が続いてほしいものです。団体旅行が減ってきてからまだそんなに時間が経っていませんが、すでに文化遺産的な珍しさと驚きに満ちた建物だと思います。

    御苑の前にある「ふれあい橋」、やたらと立派なんですがなぜあんな立派な橋があるのか、とても不思議です。

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