18:07
夕食時間。
「禅の湯」という名前の、お寺併設の宿。だから、夕餉は「一汁一菜。食べ終わったら、お茶碗を沢庵とお茶で綺麗にぬぐうこと」みたいなものであってもおかしくない。「食事中に私語厳禁!」とか、「食事は5分で済ませろ」とか。
しかし実際は、禅のエッセンスを今風に取り入れた宿なので、食事だってそんなに堅苦しくはない。
まず最初にサラダが出てきた時点で、「おっ?」とびっくりする。
最近、サラダを出す温泉宿というのはさほど珍しくはなくなった。でも、「洋食屋のように、平皿の磁器にサラダを盛る」というのはあまり見かけない。
しかも、夕食のスターターとしてサラダ、というのが見慣れない。なにせ、卓上にはこれしかないのだ。
サラダを食べると、次は四分割されたお皿が配膳された。
パイ包み焼きがひときわ異彩を放つ。「禅の湯」で「パイ包み焼き」。やるなぁ。この発想はなかった。中にはクラムチャウダーが入っていた。
和洋折衷をうまいこと突いた、面白い料理だった。
温泉旅館ならではの「食べ残しが出るほどの大量の料理」とはまったく違う。そうか、食べ残しが出るというのは禅という点でもよろしくないので、敢えて少なめにしてあるのか。
もっと食べたい!という人は、追加料金を払えば金目鯛の煮付けやしゃぶしゃぶ、または刺身盛り合わせといったものが食べられる。
でもちょっと待て。宿の性質上、精進料理なんじゃないの?と気になる。その疑問に対し、宿は「伊豆の地のもの、旬のものを食べてもらう」という心がけで料理を提供しているのだそうだ。なので、殺生を伴う「魚」も当然出てくるし、頼めば「冬は猪鍋」「夏はテラスでバーベキュー」といったこともできる。不浄とされる四つ足動物を含めてオールOK。
とはいえ、適当な料理を出しているわけではなく、無農薬野菜を使い、自家菜園で野菜を栽培し、味噌も自家製だ。
料理が洋風か和風か、とか、肉が使われているかどうか、というのは小さな話で、馳走を楽しむ、滋味を楽しむというのが禅なのだろう。多分。料理の内面に思いを馳せつつ、一口一口食べる。
なにせ、量がさほど多くない。一般的な温泉旅館の料理だと、品数が多いので「とにかく食べ終わったお皿を横に動かして、空間を確保しないと・・・」なんてことがざらにある。一方この宿の場合、しみじみと美味しい料理が適量、ある。なので、ゆっくりと噛みしめながら食べることになる。
飽食の時代、むしろこういう体験ができることがありがたい。
館内着は作務衣。ここだけが唯一、禅っぽいといえば禅っぽい。
食後、お風呂に入ったり談話室でのんびりしながら夜が更けていった。
(つづく)
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