変わり続ける観光地【倉敷】

美観地区

14:42
倉敷美観地区の入り口。

ここから先、高梁川の水を引き込んだ運河である倉敷川がいきなり現れ、その川沿いに蔵が並ぶエリアとなっている。

「蔵」といっても、風情を期待してはいけない。なぜなら、全部お土産物屋さんなどの観光客向け施設になってしまっているから。でもそれはどこの城下町や古い町並みだって一緒。

椎名誠は、初期の旅行エッセイで「倉敷は今日もウスラバカだった」というタイトルの文章を書いている。ここまで露骨に観光地の悪口を書くのも珍しいし、多分21世紀の今だったら出版会社が遠慮してタイトル変更を要求するレベルだ。

その当時から倉敷を知っていた僕は、「ひどいことを書くなあ」と思いつつも、「その通りだ」と思うことが多かった。薄っぺらい観光地、という点で納得だったからだ。

せっかく、天領地としての歴史があって古い町並みが残っているのに、その風情を台無しにするようなお店の数々。そして日没前になると「観光客、とっとと帰れ」と言わんばかりに早々に店じまいが始まり、訪れた人がゆっくりと過ごすことが許されない。観光客向けの飲食店だって、少なかった。

しかし今は、「どうしちゃったの?」というくらい、イベント企画やらホスピタリティでこの町は改善された。ひっきりなしにいろいろな企画が催されているし、ホテル、飲食店も増えた。

昔は「半日滞在すれば十分過ぎる」くらいだった場所だけど、これなら一日じっくり過ごしても良い、と思える場所に変わった。一昔の定番旅行ルートは、「1日あれば、岡山後楽園、倉敷、瀬戸大橋を全部回れる」という程度だったと思う。そして岡山県の湾岸部にはこれといった温泉地がないので、観光客はそのままふらーっと別の場所へと流れていってしまう。その頃から比べると、随分変わったものだ。

路地裏

とはいっても、観光客がひっきりなしに行き交っているところはありきたりなみやげ物店が多く、俗化著しいのは相変わらずだ。

個性的な商品を扱うお店が少しずつ出てきて頼もしくもある。

でも、観光客目線で言えば、究極的には店員は全員チョンマゲとか町娘の格好をしていて、団子やら菅笠とか売っているような、時代劇のセットみたいな空間が一番楽しい。

そんなのは、絶対無理だけど。ここに住んでいる人だって生活が掛かっているのだから、売れ筋のものを売らなくちゃ。

というわけで、倉敷はメインストリートを歩くよりも、積極的に脇道に逸れて敢えて迷子になってみたほうが楽しい。ほら、一本路地に入っただけで、こんなに静かに、風情のある景色が待っている。

倉敷市が10年前くらいだったか、大規模な電柱の地中化を推進し、随分景色がよくなった。

昔、水戸黄門のロケが倉敷に来たとき、電柱が映り込まないようにカメラアングルに苦労したという噂を聞いたことがある。せっかくの昔の景色なのに、電柱があったら困る。

林源十郎商店

そうはいっても、現代の倉敷を形成したのは、明治期以降の大原家の功績に依るところが大きく、「倉敷は昔ながらの風情であって欲しい」と思った時に一体どの時代にフォーカスを当てるべきなのかは難しい。

先ほど「チョンマゲと町娘」というわかりやすい類型を出したけど、そんなものは大昔の倉敷に過ぎない。

写真に写っているのは、「林源十郎商店」。僕が子供の頃は、ここは薬局だった。中には一度も入ったことがないので、僕が物心ついたころにはすでに営業をしていなかったと思う。

そんな場所だったのだけど、「ウスラバカ」から脱却した倉敷はこんな小洒落た建物に変えてしまった。マスキングテープなどの生活雑貨を売っているお店と、厨房を取り囲む円形カウンター席が特徴的なカフェがある。観光客がひっきりなしに出入りしている。

ちなみにここは「本通り商店街」と呼ばれる商店街で、地元民向けのエリアだった。

お昼ご飯を食べた「ぶっかけうどんふるいち」からここまで、ずーっと商店街が続いていて、商店街を経由して倉敷駅から美観地区まで歩いてくることができる。しかし若干の大回りになることもあって、観光客が利用するルートではなかった。

それが今や、すっかり「商店街ルート」が観光客の馴染みになってしまった。シャッター街化待ったなし、と思っていた商店街だけど、一部では昼間っから行列ができるお店もでてきている。とんかつ屋の「かっぱ」とか、大判焼きの「えびす饅頭」とか、「小豆島ラーメンHISHIO」とか。

僕は「かっぱ」で食べたことはないのだけど、「ええ?倉敷に観光にやってきて、とんかつを食べるの!?」とびっくりする。そんなに美味いんだろうか?一度食べてみなくちゃ、と思いつつも、店頭に群がる人だかりを見るとその気が萎える。ソースが美味いらしい。

補足情報だけど、昔はこの林源十郎商店の前も商店街のアーケードがあった。しかし、アーケードの老朽化に伴い、「多額の費用をかけてメンテナンスするか、それともアーケードを撤去するか」という議論の末、撤去してしまった。

アーケードが取り外されて初めて、「あ、この建物って3階建てだったのか」とか、いろいろ気づくことがあった。今でこそちゃんと上層階も綺麗になっているけど、昔は「アーケードで視界が妨げられているから、少々雑な外装でもへーきへーき」と油断しきった状態だったので、撤去直後は随分とこの界隈の見栄えが悪かったものだ。

デニム屋

林源十郎商店の裏庭にあたる部分には、ピッツェリアや児島産のデニムを売るお店などが並ぶ。

手前のお店で、僕はデニム製のハンチング帽や蝶ネクタイを買ったことがある。国産だし、なかなか珍しいものなので結構気に入っている。おすすめ。

奥の蔵の中にあるお店では、なんとデニム製のスーツを売っている。さすがに上下揃えると10万円くらいはしてしまうけど、ちょっとキメたい時用の服としてはかなりカッコいいと思う。

林源十郎商店屋上からの景色

林源十郎商店の屋上から見下ろしたところ。

正面に、重要文化財の大原家があるほか、なまこ壁の家が並ぶ。

しかしよく見ると、写真右端にはギリシャ建築を模した「大原美術館」があるし、左には三角形の屋根の西洋建築「中国銀行倉敷本町支店」がある。超古い西洋から、江戸時代から、チャンポンになっているのが倉敷の美観地区だ。

どうでもいいけど、正面に見える「向山」のてっぺんにはラブホテルがあり、夜になるとそのお店のネオン看板がチカチカと光る。

中国銀行

中国銀行倉敷本町支店。

なんで1地方銀行の1支店が、こんなに立派なの?しかも、歴史的な町並みの中に忽然と西洋建築なの?と不思議になる作り。

観光客はほとんどその事情を理解しないまま、「わーすごいー」と写真を撮っている。

もともと大原家が創設した「倉敷銀行」の本店で、後に大原孫三郎が「第一合同銀行倉敷支店」として建てたのがこれ。倉敷には豪商がいたし、大原家自身が倉敷紡績所を経営していて銀行の必要性があったのだろう。ちなみにこの建物は、大原さんの家の斜め向かいにある。

以前僕は、倉敷における「義倉(ぎそう)」の帳簿を見せてもらったことがある。まだ「銀行」という概念ができる前の、民間の互助的「お金の貸し借り」の仕組みで、誰がお金を出して、誰がお金を借りた、というのがずらっと書き連ねてある。それを見ると、「大原」「大橋」「井上」をはじめとし、このあたりの名家と呼ばれていたりお店の屋号になっているような名字がズラズラと書いてあって興味深かった。あ、さすがに大原さんは沢山お金を出しているのだな、とかがわかる。

「三菱東京UFJ銀行」の例をとるまでもなく、銀行というのは合併に次ぐ合併の歴史だ。「第一合同銀行」も後に合併を繰り返し名前を変え、「中国銀行」として今に至っている。

ステンドグラス

ステンドグラスが入っていたりする。夜になっても館内の照明は落とされず、こうこうと光っているのを見ることができる。大正11年に出来たというが、とても綺麗に残っている。

中国銀行は倉敷駅前にも支店があり、ここにも支店を設けるのはちょっとオーバースペックだったらしい。この建物は僕がここを訪れた2015年の1年後、2016年に大原美術館に寄贈されたという。なので今では銀行業務は行っていない。

いずれ美術館の一施設として内部が公開されることがあるかもしれない。

なお、大原美術館も中国銀行も、元はと言えば全部大原さんが作ったものなので、全ては大原家の手のひらで転がされているだけのようにも見える。実際は「財団法人」と「株式会社」だし、大原家はすでに中国銀行の大株主ではないので、直接的な関係は希薄なのだけど。

つねき

中国銀行の前を通り過ぎると、そこには「恒枝(つねき)茶舗」という日本茶のお店がある。

日によっては、店頭に機械を引っ張り出して、お茶っ葉を加熱している時がある。そのときはお店から100メートル離れていても、その香ばしい匂いが漂ってきて心地よい。

ここのお茶は「日本茶AWARD」という日本茶の品評会で「プラチナ賞」を受賞したことがある。実際に買って飲んでみたことがあるけれど、うん、確かにうまい。

・・・だけど、普段ほうじ茶飲み比べなどしたことがなく、「これ、いつ買った茶葉だっけ?」という怪しいものしか飲んでいない僕なので、どう「うまい」のかはよくわからない。でもやっぱり製造して間もないお茶は本当にいいものだ。

このお店の本店は倉敷駅前にあり、先ほど食べた「ぶっかけうどんふるいち」のすぐ近くに小さな店舗を構えている。本店は地味で、地元民向けな感じなのだけど、最近できたこちらのお店はパリッと観光客向けにやっている。

三宅商店

恒枝茶舗を通り過ぎてさらに進むと三宅商店。

「町屋喫茶」を標榜している繁盛店。昔はたらいとかほうきを売っていた地元民向けの金物屋・日用品屋だったのだけど、すっかり変わってしまった。ここも、そんなに古いお店ではない。

ちなみに、「金物屋・三宅商店」と、現在の「町屋喫茶・三宅商店」の経営者は全く別で、昔の建物と屋号をそのまま譲り受けているに過ぎない。

このお店が出来た当時(いつだったか忘れた)、倉敷には「観光客が古民家体験をする場所」がほとんどなかった。せっかく観光に訪れても、あるのは商家を魔改造した土産物屋だらけ。観光客の目線で考えると、蔵とか古い家の中で「いにしえに思いをはせつつ時間を過ごす」ことができる場所がほとんどなかった。

※「倉敷考古館」のような蔵を改造した博物館は昔からあるけれど、あくまでも博物館であって、くつろげる場所ではない。

そんな中でのこのお店の誕生なので、そりゃあもう観光客が沢山やってくる。そういう観点が当時の倉敷には欠けていたのだと思う。

「ウスラバカ」を脱却した今の倉敷は、この手のお店は増えている。観光客は古民家体験を複数の選択肢から選べるようになっているので安心して欲しい。

そういえば、先ほどの「恒枝茶舗」の向かいに、「有隣庵」というカフェ兼ゲストハウスが何年か前にできた。いよいよ「古民家を使ったゲストハウス」まで現れるようになったのだから、倉敷も変わったなー、と思う。外国人の宿泊客も結構いるようだ。

この有隣庵の名物は「たまごかけご飯」なのだが、そのTKG目指して日々観光客が行列を作っている。「とんかつ屋の行列」にも驚くけど、TKGに行列というのもびっくりだ。倉敷を紹介するガイドブックにはどんな形で紹介されているのだろう?

そういえば、美観地区内には「金賞コロッケ」という、倉敷の歴史と何ら関係のない揚げたてコロッケのお店が2店舗あって、いずれも大勢のお客さんで賑わっている。いろいろなお店が繁盛するのは大変結構なことだけど、裏を返せば「倉敷といったら、これ!」という食べ物の名物が空位である、ということに他ならない。

もう少しこのあたりの観光戦略があった方が良いのかもしれない。今繁盛しているお店の営業妨害をする気はないけれども。

ちなみに有隣庵の名物は「たまごかけご飯」の他に「しあわせプリン」というものがある。今や類似品を売る無関係の店が現れるくらいで、これもまた大変人気がある。遅い時間に行くと売り切れているくらいだ。

ニッコリした顔がカラメルで描かれているプリン。単にそれだけなのだけど、「食べてから2週間後にいいことが起きる」という逸話がセットになっていて、「パワースポット的食べ物」「開運スイーツ」などと称されている。

別に有隣庵は宗教団体でもなんでもないのだから、開運だなんて嘘に決まっているのだけど、実際に「2週間後に幸せになりました!」という人が後を絶たないのだから、まあ結果オーライってことで。プラセボ効果でも、ポジティブな結果が出るなら良いのではないでしょうか。

通り

椎名誠が「ウスラバカ」と評した倉敷だけど、彼の文章の中で「むしろ観光客がいない、裏通りの方が風情があって良い」と書いていた。それがおそらく、この通り。

確かに、90年代までは倉敷と言えば倉敷川沿いで、せいぜいアイビースクエアに行って戻ってくる、程度のものだったと思う。しかし今やこういうところも観光客は抜かりなく歩き回っている。

蔵造り

そんなわけで、この界隈ももともとは地元民向けエリアだったのだけど、今では随分と様変わりした。昔の街道がここを通っていた関係で、川沿いではないけれどこのあたりもなまこ壁の家が続く。

ただ、完全に観光客向けの要塞都市となっているわけでなく、単に普通の人が住んでいる家もある。間違えてガラガラ、と扉を開けたりしないように。看板が出ていないところはお店ではないので。

平翠軒

カワセミの絵が描かれている、食べ物のセレクトショップ「平翠軒」。

お隣の「森田酒造」が作ったお店で、全国から「へぇー」と感心させられる食べ物・調味料等を集めて売っている。

面白い品揃えなのでお勧めしたいのだけど、なにせ店内が恐ろしく狭い。そしてお客さんも多い。先客がいれば、通路をすれ違うことさえ難儀する有様だ。少なくとも大きな荷物を持っての入店は無理。「ドン・キホーテ」の狭さよりもさらに上をいく。

あと、お客さんが多すぎて、なかなか落ち着いて商品を吟味できないのが惜しい。

びっくりしたのが、2017年に銀座松坂屋跡地に出来た複合施設「GINZA SIX」の地下に、この「平翠軒」が出店していたこと。僕は何も知らずにGINZA SIXでこのロゴを発見し、相当に仰天した。

なので、東京界隈に住む人は、GINZA SIXの平翠軒に行ったほうが落ち着いて商品選びができると思う。

高田屋

この日は平日だったので観光客が少ないけど、週末にもなると人が沢山歩いている。まるで歩行者天国のようだけど、実際には車がこの道を走る。しかし、大量の観光客を前に、苦労している様子をよく見かける。

カーナビの指示に従ったらこのあたりに迷い込んでしまうのかもしれない。でも、このあたりに駐車場はないし、観光客と接触事故を起こしかねない。「できるだけ近場の駐車場を使いたい。歩きたくないからね」とチキンレースを展開しないで、おとなしく少し離れた駐車場を探した方がいい。

美観地区を観光するうえで一番手軽な駐車場は、旧市役所(現在は市立図書館などになっている)にある市営の地下有料駐車場だ。

ここも繁忙期は列をなすけど、キャパシティが大きいので比較的回転が速いと思う。

森田酒造い

森田酒造。「萬年雪(まんねんのゆき)」を醸している酒蔵。

建物の横幅は大して広くないのだけど、奥行きが相当ある。これはこのお店に限った話ではなく、昔は商家の間口の広さに対して年貢を徴収されていたので、「間口は狭く、そのかわり奥行きは深く」という構造になっているのだという。

おそらく倉敷に限った話ではなく、よその地域でも同じだと思う。

で、そんな「ウナギの寝床」状態の敷地のうち、これまでは「通りに面したごく一部」しか活用されてこなかった。しかしここ最近は通りから奥まった場所まで商業施設を作る、という流れになってきている。

「えっ、ここは建物の裏口に通じる道じゃないの?」

というような細い石畳を歩いて行くと、奥にお店がある、なんていう探検めいた施設が増えた。古民家ならではの、年寄りに情け容赦ない急な階段を登った2階にお店がある、とか。

最近はネットでお店の情報が拡散しやすくなっている。だから、お店が必ずしも「人通りが多い道路に面している」必要はなくなってきている。その結果、倉敷のような古い町並みが活性化しているのだとすると、とても面白い現象だ。

倉敷帆布の店

「倉敷帆布」のブランドを掲げる、バイストンというお店。

「帆布(はんぷ)」という言葉は平成の日本ではあまり使われなくなっているけど、昔のトラックの幌とかテント、リュックなどに使われていた丈夫な生地のことだ。そうだ、油彩画などに用いられるカンバスも帆布だっけ。

国産帆布の7割を倉敷が生産しているので、圧倒的シェアだ。というか、こういう「織物」ってすでにほとんどが海外輸入ものなので、国産というだけでかなり珍しい存在となるのだけど。

デニムだけではなく、帆布も実は倉敷の名産品。だって、木綿製だから。

さすがに木綿そのものは倉敷ではもはや栽培されていないと思うが、木綿を加工する技術と職人は未だに健在。

僕はこの倉敷帆布ブランドが結構好きで、人への贈り物にしたり、自宅用に使ったりしている。ペンケース、ブックカバー、トートバック、コースターなどがある。

ユニクロのロゴみたいな赤い四角に「倉敷帆布」と染め抜かれたマーク。これが結構目立つサイズで商品に縫い付けられているので、好き嫌いが分かれると思う。「ロゴが目立ちすぎ」って。

でも、「国産の帆布なんだぜ」というのを見せびらかすのもこの商品の価値のうちなので、ロゴがデカいのは許してほしい。

トートバッグは様々なサイズがあり、国産品にしては値段も手頃でなのでお勧め。なにしろ頑丈。使い込んでいくと色がかすれてきて味わいが出るのがいい。

素っ気ないデザインは無印良品っぽさを感じさせるけれど、無印良品よりはもう少し色気と欲望が見え隠れしている気がする。

どこでも売っているわけではない。もし興味があるなら、このお店を覗いてみることを薦める。

(つづく)

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