10:18
英国大使館別荘を素通りし、もうしばらく湖岸を歩いていく。
今度もまた、派手さのない木造建築が見えてきた。これが目指していたイタリア大使館別荘。
自然の景観を大事にしている地域で、コンビニやガソリンスタンドが地味な茶色い看板になっているのをよく見かける(那須高原など)。それと同じで、建物が自然と調和するように気をつけているのだろうか?
「日光の山奥で、西洋建築のための資材は確保ができなかった」
という理由もあったのかもしれないけれど、少なくともこの建物はしみじみ味わい深い。ここで真っ白な石造りの御殿が建っていたら、折角の中禅寺湖の美しさが損なわれていた。先人の配慮に感謝だ。
建物外観のおだやかさに微笑を浮かべつつ、中に入ってみる。
すると、玄関先に自動券売機があって、入館チケットが売られていたのでちょっとびっくりした。有料であることは知っていたけど、券売機がわざわざあるのか。
大人一人200円。
「大使の別荘だなんて、戦前くらいまでの、優雅な時代の話でしょう?」
・・・と思ったら、平成9年まで実際に大使が避暑のために使っていたのだという。びっくりだ。今が平成28年なので、19年前までガチの別荘だったのか。
もったいない。なんで手放したのだろう?いまどき大使が別荘だなんて貴族じゃあるまいし、というご時勢なのだろうか?それとも、経費削減ということで別荘の維持費がカットされたのか。
そのお陰で、我々平民が200円で建物を鑑賞できるわけで、それは大変にありがたいのだけど。「なんか、すいませんねえ」と言いつつ、中にお邪魔させてもらう。イタリア大使と密談しようと思っていたのだけど、タッチの差だったか。
10:20
建物の向きや構造は、お隣の英国大使館別荘と似ている。
なぜなら、開放的な窓からバーンと中禅寺湖を見るためだ。
なんだこりゃー。
まるで映画館の前の方の席で、大迫力の映画を見ているような気にさせられる。視界の右端から左端まで、一面の中禅寺湖。
いや、そんなの当たり前でしょう、とこれを読んで感じると思う。しかし、「湖の湖畔で、バーンと開放的な景色を楽しむ」というのと、「建物の中からバーンと窓越しに湖を見る」というのでは、全く意味が違う。むしろ後者の方が、ダイナミック感さえ感じるくらいだ。
貧乏人が住む家は、窓が開放的ではない。鳩時計で、毎時ゼロ分に鳩が飛び出してくる窓みたいな狭さだ。「リビングでくつろぎながら、窓の外を眺めるアンニュイなひととき」とかいったって、実際に眺めている視界の半分以上は窓枠だったり、室内だ。
それがどうだ、この建物は湖だらけだ。
なるほど、わざわざここまで遠出してでも、別荘をこしらえるわけだ。この絶景を借景とした家は、そうざらにはない。少なくとも東京界隈では無理だ。
和風な建物なのだけど、暖炉が設けられているところはイタリア人のこだわりだろうか。
ひょっとしたらここでピザを焼いて食べたりしたのだろうか?・・・なんて一瞬考えたけど、もしそんなことをイタリア人に喋ったら、多分怒られると思う。
「お前、イタリア人っていつもピザとパスタばっかり食べてると思ってるだろ?馬鹿にするな」
って。さすがに暖炉でピザを焼く、なんてことはしないか。しかも大使の別荘で。本当に作りたければ、屋外に窯を作るはずだ。
この暖炉の前に置いてあるソファは実際に座っても良いということだったので、偉そうに座って、ふんぞり返りながら記念撮影をした。別に、大使ってふんぞり返っているわけじゃないと思うけれど。
おかでん大使がふんぞり返っているところから一階の室内を俯瞰したところ。
屋外に向けての解放感を損なわないように、途中に柱のないひろーい部屋になっている。これはまたすごい。なんてぇ心地よさだ。
畳何畳分のリビングダイニングだろうか、と思わず計算しかかったが、想像すらつかないのでやめた。
ダイニングテーブル。
こちら側にも暖炉があって、この家はダブル暖炉の家だということがわかる。
こちらは、暖炉の中にストーブ(鋳鉄製の鍋)が置いてあり、実際に調理に使われていたのかもしれない。
僕にしてはやたらとワクワクしてしまい、ついこんな写真を撮ってしまった。わざと背後がぼけるような撮り方で、ワイングラスを。
往事が忍ばれる。
とはいえ、「大使」ということは国家公務員だ。もちろん名誉職として、著名な人が赴任してくることもあるだろうけど、悪く言えば「公僕」の方だ。そんなにものすごい贅沢な生活が送れたというわけではないだろう。
・・・あ、でも別荘はあるのか。まあ、これはあくまでも政治経済の要人と会うための必要経費みたいなものか?
まだ撮影してる。
なんだか、地味に興奮させられる建物だ。
なにがすごいって、天井やら壁やら外壁やら。
どれも杉が使われているのだけど、うまく板や皮を組み合わせて、ぜいたくな作りになっている。
天井がこれだもの。なんですかこれは。杉皮を編んでいる。
解説の方曰く、これを今再現できる職人さんは殆どいない、とのこと。そうだろうな、こんな天井は見たことがない。
広縁にはソファが並べられているので、そこでしばらく外の景色を楽しむ。
なにせこれだ。
こんなのを見せられたら、何もする気がなくなるな。スマホを懐から取りだしてネットサーフィン!なんて、恥ずかしくてとてもできたものじゃない。アホみたいに口をぽかんと開けて、この景色を眺めてるのが一番いい。
電線が視界に全く入ってこない風景、というのがどれほどココロをいやしてくれることやら。
ちなみに別荘の前には小さな船着き場が作られていた。昔のイタリア大使は、ここからヨット遊びに繰り出したりしたのだろう。優雅だな、ひたすら。
建物の二階にも上がってみる。
徹底して杉を使い込んでいる。ちょっとやり過ぎ感さえある。ここまで大胆に、杉を使い切った徹底ぶりはすごい。「のっぺりした印象になるから、もう少し違う木を混ぜよう」と思ってもいいのに。
実際にはどういう使われ方をしていたのだろう?別荘とはいえ人が暮らすわけだから、もう少し生活感があったかもしれない。カレンダーが壁に貼ってあるとか、蚊取り線香の煙を吐き出す豚が無造作に床に置いてあるとか。
二階階段部分の壁と天井も見事。
「良く燃えるぞ、この家は」
よからぬことを考えてしまう。火の用心は徹底しないと、何かの弾みで盛大なキャンプファイヤーになってしまいそうだ。
二階の寝室。おそらく大使夫妻が使っていたものだろう。
ここからも、中禅寺湖がよく見える。酔っ払っていたら、「この窓からダイブすれば湖にドボン、とできるんだろう?」と勘違いして窓を乗り越えたくなる。それくらい、中禅寺湖が眼前に迫ってくる。
この別荘地における最大のご馳走、中禅寺湖は余さず大使ご一行様に食べ尽くされている。
隣の部屋も同様に、窓から見える湖面の青さがまぶしい。
一番端の部屋は、サンルームのようになっていて、冬でもぽかぽかしていそうだ。
それにしてもこの開放的な間取り、素晴らしいのだけど・・・冬は猛烈に寒いに決まってる。なにせサッシではない木造建築だ。そして下界と比べて標高が高く、湖面を吹き抜ける風がモロに当たる。暖房をガンガン焚かないと、家の中でもこごえそうだ。
・・・と思ったら、ああそうか、ここは避暑地としての別荘だったっけ。夏しか使わないんだった。だからか、こんな開放的な建物が堂々と作れるのは。
こういうところで、「貧乏人」と「金持ち」の発想の差が現れる。貧乏人というのは、やれ断熱性だの、やれエコだのそういうチマチマしたことばかり気にする。一方の金持ちは、「冬寒いんだったら、その家は使わなければいいじゃん」の一言で済む。
別荘の裏手に、もう一つ建物があった。こちらも杉皮を貼った外壁で、同じ建築家によるものだとわかる。
中の電気はついているのだけど、誰もいない。
勝手に入って良いのかどうかわかりかねたので、獲物を狙うヒグマのようにぐるっと周囲を回ったのち、諦めた。
後で知ったけど、ここは大使別荘の副邸だったそうだ。副邸なるものが何に使われていたのかわからないけど、召使い・・・というか、スタッフたちが寝泊まりする場所だったのかもしれない。さすがに大使別荘のところで、大使と一緒に寝泊まりするというわけにはいくまい。
(つづく)
10:54
イタリア大使館別荘公園をあとにして、中禅寺湖畔を車で走る。
中禅寺湖は湖岸をぐるりと一周する車道はなく、車道がないところはトレッキングルートが整備されている。
とても景色が良いので、いずれこの湖をぐるり一周歩く旅をやってみたい、と思った。
正面に男体山の美しいシルエット。これを見ると、「山頂なんてすぐに登れそうだ」という気になる。手前の建物と見比べると、山のてっぺんが大して高くないようだ。
しかしこの山、なにげに標高は2,486メートルあって、登山口がある日光二荒山神社中宮祠からは標高差が1,200メートル。かなりキツい登山になるそうだ。水平距離を稼ぎながらの標高差1,200メートルならまだしも、すぐ目の前に見える山頂目指して1,200メートルの垂直移動だ。ビルの階段を登るようなもので、確かにかなりキツそうだ。
11:06
車は戦場ヶ原へ。
日光の奥には、こんな現実離れした湿原が広がっている。しかも、車で行ける場所に。
湿原といえば尾瀬が特に有名だけど、尾瀬にたどり着くためには特殊な交通事情と、徒歩での山越えがある。高齢の人や、ぱっと思いついた人が行ける場所ではない。その点ここは、思いつきで訪れることができる湿原。しかも、絶景。
ひゅーっとまっ平らな湿原が続いて、そこからポコンと山が生えている、というギャップが楽しい。「そろそろ湿原終わるよ、終わるよ、ほら終わった」というじらしは全くない潔さ。
この戦場ヶ原で、兄貴とテント泊をしたことがある。「へべれけ紀行」の連載を始める前の話だから、1990年代のことだ。夜はさえぎるものがない開放的な星空で、ずいぶん感動したものだ。なにしろ、空がものすごく広い。
11:12
そんな戦場ヶ原のはずれに「光徳牧場」という名前の牧場がある、ということは以前から知っていた。しかし、地図上でその存在を知っていただけで、訪れたことはなかった。メインルートから外れた場所にあるからだ。
よくこんなところに牧場を作ったものだなあ、と感心しているだけだったけど、今回初めて訪れてみることにした。一人だとなかなか行かない場所でも、連れがいると「じゃあ折角だから」と立ち寄る良いきっかけになる。
わき道にそれ、山王林道と呼ばれる川俣温泉に抜ける道を走っていくと、光徳牧場があった。バイク乗りの人がたくさん訪れているようだった。そして、トレッキング装備の団体もいた。おそらく戦場ヶ原か、またはこの奥に「切込湖・刈込湖」という二つの湖があるので、それを巡るハイキングなのだろう。
三角屋根が目立つ建物があるが、こちらはオープンしていなかった。どうやら、時期によってはレストラン営業をしているらしい。11月ともなると、さすがにもうシーズンではないらしく、日曜日とはいえ営業をしていない。
牧場、といっても全然その気配がない。
独特のスメルがないだけでなく、サイロや牛舎、牛の姿も見当たらない。どこだろう?
駐車場をぐるっと見渡すと、駐車場脇にある小屋に「←放牧場」と書いてあった。
あー、確かに、はるか遠くに牛さんの姿が見える。座り込んでのんびりとしていらっしゃる。
「まあ、牛を見たからこれ以上はいいかな」
わざわざ柵のところまで牛に会いに行くのが面倒なので、駐車場から目を細めながら牛を鑑賞。
じゃあこの光徳牧場は何があるんだ、というと、レストランが営業していない今となっては殆どなにもない。いわゆる「観光牧場」と呼ばれるような、商売っ気がぜんぜんない。
あるのは、アイスクリームと牛乳。以上。
それ以外のものがいいって?自販機で甘いジュースでも買ってろ。以上。
ちなみに、屋内に喫茶スペースがある、という設備もない。アイスクリームを買ったお客さんは、みんな屋外のベンチに座って食べていた。これ、雨が降ったら対処のしようがない。慌てて車に戻って、車内でアイスを食べたり牛乳を飲むしかない。
あまりにも潔い売り場。
アイスクリーム300円、温かい牛乳150円、冷たい牛乳150円。それだけ。
でも、こういう牧場の方が、むしろロマンを感じるというか、誠実っぽい「印象」を抱いてしまう。ほら、味噌ラーメン醤油ラーメン塩ラーメン、っていくつもメニューがあるラーメン店よりも、「うちはとんこつだけで勝負してます。ほかにメニューはないです」っていうお店の方がうまそうな「印象」を持つのと一緒。
でも、せめてお持ち帰り用にヨーグルトを作ってみようとは思わなかったのだろうか。いや、そういうのをやりはじめると、際限なく売るものが増えてしまう。「牛乳も一種類ではなく、ジャージー牛の牛乳を用意しよう」とか。大変なことになるので、やめておいたほうがよさそうだ。
光徳牧場のアイスクリーム。
あ、そうか、「ソフトクリーム」じゃないんだな。確かにアイスクリームだ。
人里はなれた山奥の、牧場。そこのアイスクリームをのんびりと食べる。「わざわざここまでやってきた」という達成感と、まわりののどかな風景に心が落ち着く。
(つづく)
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