いいぞォ、山小屋はいいぞォ【仙丈ヶ岳】

13:03
うっそうと茂った樹林帯の中を歩いて行く。

とはいえ、標高はすでに2,000メートルを超えているので、ジメジメした感じではなく、雨が降っていても少しは爽やかな感じがある。

これが高山の登山で楽しいところだ。

雨水によって増水した川の水を横目に見ながら、急な坂を登っていく。

13:15
すでに10月に入ったけれど、またこの辺りの紅葉中は緑色を残している。

とはいえ、新緑とは程遠いこの季節なのに淡い緑ということは、これは黄色く色づきはじめているということなのだろう。

13:15
水平な道を進んでいく。

人間は愚かな生き物で、こういう道にたまに出会うと、「このまま平らな道がずっと続くのではないか」と淡い期待を抱いてしまう。

もちろんそんなことはないのだけれど。

13:16
まだ写真を撮る余裕がある。

いや、疲れているので、自撮り写真を撮ることで現実逃避がしたいんだ。

13:24
沢が近づいてきたこともあって、樹林帯の中を静かに歩くという瞑想タイムはそろそろ終わり。地面には岩がゴロゴロしてきた。

急な坂と、比較的穏やかな坂とが交互にやってくる。アメとムチだ。

ずっと急な坂なら、「いったんここで休憩!」という気になるけれど、「そろそろ休もう」と思っているうちに平たんな道に出ると、休むタイミングを逃す。

13:31
木がバキバキに折れて積み上がり、目の前の道をふさいでいた。

まるで過激派がバリケードを作って、強制的に行く手を阻んだかのようだ。

「荒廃につき通行止め」

と書かれた札が手前の丸太に打ち付けてあった。

どうもこの先に「大滝展望台」というのがあったようだけど、自然の威力は「お前ごときに大滝の展望はさせぬ」と意固地だった。

ああそうですか、ならば仕方がない。自然には逆らえない。山を歩くと、そんな当たり前のことを再認識させてくれる。

なにせ、都会暮らしなので「自然に逆らえちゃうんじゃないか」って傲慢な発想になること、あるんだよな。

夕立が降っても、オフィス内にいたら全然気が付かないとか、雨が降っている日でも「傘がなくても会社に行けちゃうんじゃないか」とか。家から会社まで、ほとんど濡れないまま行けちゃうから。

しかしどうだ、こうやって山の中を歩いていると、雨が降っただの止んだだの、暑い寒いで(12)ウェアを着たり脱いだり翻弄されっぱなしだ。いいね、こういう身体性っていうのがここ最近の生活では欠けている。

「歩いて、疲れた。」ということさえ忘れかかっているのは、本当によくないことだ。ガンガン山を歩いて、暑い寒い(15)臭い汚い疲れた眠い、いろいろな要素を体に呼び戻したい。

13:38
迂回路の定めとして、道が急なんだよな。

だって、本来の道っていうのは一番合理的に作られているから。

この辺りで一気に標高を稼いでいく。

13:41
ぐいぐいと標高を上げていく。

13:46
このあたりはシラビソが生えている。気持ちの良い道を歩く。

(つづく)

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