近場の無縁だからこそ【甲府滞在記】

15:44
武田信玄公御墓所。

人の墓を写真撮影するのはどうかとも思うが、このお墓の前でダブルピースしてイエーイ、という写真じゃないのでご容赦いただければ。失礼のないよう、ちゃんとご挨拶はした。

このお墓はちょっと特殊で、カメラでは全景を撮影できなかった。

いわゆるふつうの「墓石」があって、それを取り囲むように石柱による柵が周囲にあって、門がある。

そして門の外には、屋根付きのあずまやのような建物がある。

おそらく、この屋根の下ならば、雨の日でも法要ができるということなんだと思う。

地元の有志が4月12日の法要の際には「ありし日の国主を偲んでおります」とのこと。

生きている頃を知っている人ならばともかく、400年以上前の歴史上の人物について偲ぶ、というのはちょっとおもしろい表現だと思った。それだけ、この近所の人にとっては馴染み深い存在ということなのだろう。

それにしても、仏教的には「没後400年」というのはどういう扱いになるのだろうか?

  • 輪廻転生しているからもう別の人に生まれ変わってるよ説
  • 戦国武将は戦争で多くの人を殺めているので、地獄に落ちたよ説
  • 死後の世界でどうなっているかはともかく、墓所で偉人を敬うのはいいんじゃないですか説

など考えられるけれど。

このあたりの地図。写真だとちょっとわかりにくいけれど写真右側の14番と書かれているところが武田信玄墓所。

さてこれから、地図の中央に描かれている武田神社に向かう。

15:54
まるでお城のような石垣と、お堀で頑丈に囲まれたところに鳥居がある。ここが武田神社。

「動かざること山のごとし」でおなじみの言葉が幟になって、はためいていた。

ただ、これは「漢字」ということでちょっと地味だったようだ。長野県東部から群馬県界隈でやたらとよく見る、真田の六文銭マークと比べるとそこまで「毎度毎度、山梨のいたるところで見かけるもの」ではない。

武田神社全景。

躑躅ヶ崎(つつじがさき)と呼ばれる館に武田信玄が住んでいたのは有名な話だけど、それがここにあったということらしい。

16:05
御朱印記帳所が拝殿前にプレハブ小屋であった。工事現場みたいなプレハブだとさすがに風情がない、と思ったのだろう。木目調の外装にして、ちょっとウッディにしてみました感が味わい深い。

肝心の記帳所は閉まっていて、拝殿脇の授与所で受け付けてますよ、という張り紙が窓に貼ってあった。最初からそれでいいのに、と思うけどどうしたんだろう。正月の大混雑時用に臨時のプレハブを建てて、それが2月になってもまだ残っているだろうか。または、戦国無双だとかBASARAだとかで、戦国武将好きの人が増えたので、「聖地巡礼」ばりにここを訪れ、御朱印を求める人が多いのか。

15:59
武田神社拝殿。

もちろん主祭神は武田信玄。

武神、という点では中国や台湾における関帝廟的な位置づけ・・・というのはちょっと無理があるか。

1919年創建、ということなので大正時代に入ってから作られている。

今、いかに功績がある人でも、死後に神社として祀られることはないと思う。新興宗教でも始めない限りは。人が神社の主祭神になるのって、(当時は現人神だった明治天皇=明治神宮を除いて)乃木希典将軍が祀られている乃木神社が最後なんじゃあるまいか。

いや、そりゃ勝手に神社を作って勝手にお祀りするのは人の自由だけど、一部の人だけでなくこうやって広く参拝するような、したくなるような神社という規模ではなかなか存在しない。

こういうとき、二礼二柏手一礼という神道形式でお参りするのが正しいのかどうか、ちょっと困惑する。ええと、いちおうお辞儀はしておこう。表情はどうしようか。ニッコリ笑顔で会釈するのがいいのか、神妙な顔がいいのか。

境内の一角に古井戸があった。

信玄公御使用井戸、だそうだ。

しっかりと石組みがされた井戸で、まだ水脈は枯れていなかった。これを飲めばあなたも信玄になれる!・・・という商売ができそうな気がするけれど、たぶんご利益としては駄目だろうな。

16:10
武田神社のお参りを終え、境内をあとにする。

境内を出たところからの眺め。まっすぐの道路があり、ここを突っ切ったところが甲府駅。

このあたり道がまっすぐなのは、武家屋敷が並んでいたかららしい。

見てよこの坂道。きれいな坂道で感心するけれど、電動アシスト付き自転車じゃなかったら甲府駅からここまでやってくるのは大変だったに違いない。

(つづく)

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