吊尾根の下の、一つ屋根の下で【上高地デュオキャンプ2019】

12:34
ちょうどお昼どきだ。

「カフェ・ド・コイショ」を後にした僕らは、茂みを挟んですぐ向かいにある「嘉門次小屋」で岩魚を食べることにした。

嘉門次小屋の岩魚は名物だ。定食を頼むと1,500円くらいするので結構なお値段となるが、上高地のバスターミナルからてくてく1時間歩いてやってきた人にとっては「ちょうど良い自分へのご褒美」となる。

「自分へのご褒美」ならもうちょっとお洒落なお店のほうが・・・と思う人は、そもそもここまで歩いてこないと思う。歩いてきたとしても、中途半端に「山賊焼定食」とか「山菜そば」を食べようとは思わない。やっぱり岩魚に限る。

とはいっても、河童橋界隈にあるような、近代的な建物がドーンと建っていて、そこのレストランで岩魚の塩焼きが食べられるんじゃあ風情がない。わざわざ食べようとは思わない。

それがどうだ、ここはなんといっても名前がいい。だって、「嘉門次小屋」だもの。すっごく頭が悪いことを言うが、なんだか岩魚がうまそうな名前じゃないか。

そして、小屋の前の清流では、スタッフの方がひたすら生け簀から岩魚をすくい上げ、塩焼き用に串打ちをしている。こういうのも、風情だ。

たとえ、岩魚は下界から運びあげているとしても、だ。

そして、建物の中には囲炉裏が切ってあって、塩を振って白くなった岩魚がいい色に炙られていた。

宙から吊り下がる巨大な南部鉄瓶もかっこいい。

そうか、囲炉裏の席もあるんだったらこっちのほうがよかったな。このお店の場合、まず座席を確保し、それから自動券売機で食券を買って、食券をスタッフさんに渡す際にテーブル番号を伝えるというルールになっている。既にテーブル番号を伝えた後なので、今から囲炉裏席には移動できない。

また今度ここを訪れることがあれば、囲炉裏席にしてみよう。

岩魚が焼き上がるまでしばらく時間がかかる、ということだったので、それまでの間の時間つぶし用として岩魚の燻製とおでんを頼んでみた。

・・・おでん?

「おでん、おいしいですよね、温まりますし」
「いやまあ、そうだけど。おでん頼むの?」

別におでんに罪はないのだけれど、嘉門次小屋といえば岩魚以外は眼中になかったので、相当びっくりした。ここでおでんを食べるのか、と。でも、こういうことができるのがペアで行動しているメリットだ。一人だったら、絶対に「岩魚を食べて、おしまい」になる。おでんを食べるほどの財力も気力もない。

これがもし3人以上の訪問だったら、「チーズの燻製」とか「山かけそば」といった若干マニアックなメニューにも手を出しているのかもしれない。

岩魚の燻製とおでん、となればお酒しかないでしょう。僕は飲まないので、いしに「まあ、せっかくですから」といいつつ強引にお酒の食券を購入した。

お酒を飲んだ女性の顔、というのはほどよく緊張感が解けてとても良い表情になる。血色がいいし、微笑みが美しい。いしもまた、そうだ。おじさんがお酒を飲むと「しまりのない顔」になるけれど、女性の多くはお酒により光り輝く。そういう姿を眺めるのが僕は好きだ。

これもまたルッキズム、になるのだろうか?いや、多分違うよな。自分のパートナー相手なんだから。

いずれにせよ、いしは「昼からお酒ですかー」と言いながら「酒、うまっ!おでん、うまっ!」と舌鼓を打っていた。お酒の銘柄は、「嘉門次」。うん、きっとうまいと思うよ。たまらんだろうな、このままお酒を飲んだ勢いで、梓川の河原で昼寝をしたら最高だろう。

いしは銘酒「嘉門次」、僕はノンアルコールビールの「零壱」を飲んで待っていたら、岩魚の塩焼きがやってきた。既に燻製を食べているので、二人で1匹をシェアだ。

ここはだ、せっかくだからポッキーゲームのように一人が頭から、一人がしっぽから同時に食べすすめるということをやるのはどうだろうか。

どうだろうか、じゃねぇよ、無理だよそんなの。人目を気にする・しない以前にやらねぇよ。

嘉門次小屋の岩魚はじっくり時間をかけて焼いているので、頭からしっぽまで余すことなく食べることができる。むしろパリパリした食感の頭は、おいしい。

でも、ここで「岩魚というのは、シシャモのように頭から食べられる魚だ」と思いこんでしまい、温泉旅館なんかで岩魚をまるかじりすると痛い目にあう。提供される際に「頭から食べられます」と言われない限りは、頭は食べないほうがいい。硬かったり、ぐにょっとしたり、最悪だ。

13:25
嘉門次小屋を後にしたところで、穂高神社奥宮にご挨拶することにした。本来なら、この地に訪れたなら真っ先に詣でるべき場所なのだろうけど。すいません遅くなりました。

お賽銭箱が設置されている場所から、一の池をのぞく。ここから先は有料エリアとなる。僕は2ヶ月前にお金を払って中に入らせていただき、「なるほど、こういう場所か」と納得しているのでもう十分だ。

しかしいしが、「私はまだ入ったことがないです」と言う。

「いやー、素晴らしい場所だけど、一度入ればもう十分っていう場所だよ?」
「でも、まだ一度も入ってませんから」

ということで、改めて中に入ることにした。さすがにいし一人だけで行ってらっしゃい、というわけにはいかないので、僕もお金を払って。

一の池。すっかり緑で覆われて、GWの時と雰囲気が変わってしまった。開放感がある場所だけど、緑がみっちり生えている。

神秘性はGWの景色のほうが感じる。しかし、7月でも十分神秘的だ。

おそらくこれでセミがミーンミーンと鳴いていたら、なんか暑苦しい雰囲気が出てくるが、ここは標高1,500メートル。アブラゼミが鳴くことはないし、湿気は少なくて快適。標高が低いところに棲息している僕にとって、湿度が低い空間は別世界だ。

桟橋と、遙拝所。そして正面に明神岳。

ここを訪れた1ヶ月後くらいには、「さて二人はどこで結婚式を挙げよう?」と相談することになるのだが、この穂高神社奥宮というのも真面目に選択肢の一つとして検討された。さすがに、親兄弟を呼び寄せるのが大変なので断念したけれど、こういうところで挙式できたら素晴らしい思い出になっただろう。

ただし、雨が降ったら大変だったと思う。晴れていれば最高。運を天に任せる、という一か八かの挙式となる。うっかり台風シーズンなんかにスケジュールは立てられない。

二の池まで歩いていった。

曇り空なのでバキッとしたきれいな写真は撮れなかったが、一の池よりも自然な風景で、ちょっとしたトレッキングをやっている気分になれて二人は楽しかった。途中から道が整備されていないところを歩くようになるし。

二の池の外れまで歩いていく。

道があるようなないような、というところを歩いていくと、二の池が終わって川として流れ落ちているところに行き当たる。あれだけおとなしい水面の池だというのに、川になった瞬間ざああああーーーーと結構強い音を立てて流れ落ちている。このギャップに驚かされる。それだけ、ものすごい量の湧水がこの池にはある、ということだ。

ここは人がほとんど訪れておらず、二人でしっとりと過ごすにはちょうど良かった。しばらく川の流れを眺めていた。

この明神池を素材に、かっこいい写真を撮ろうと先程からやっきになっているのだけど難しいものだな。美しい景色なんだけど、この雰囲気をそのまんまフレームに収めることができない。

ほら、凡庸な写真になった。

一の池の遥拝所なんて、「フォトジェニックに撮ってくれ!」と言わんばかりの素材なんだけど、うまくいかないものだな。やっぱり早朝や夕焼けといったタイミングを狙うしかないのか。

(つづく)

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