吊尾根の下の、一つ屋根の下で【上高地デュオキャンプ2019】

2019年は僕にとって人生最大の転機となった1年だった。

のちに結婚相手となる「いし」と関係が一気に縮まり、そのまま全力疾走で結婚にまで至る1年だったからだ。

僕にとっていしとは、干支が一周違う歳の差(つまり12歳)だったし、ウジウジ悩む僕とは違うサバけた性格の女性だった。そしてパキパキと喋り、遠慮なくご飯をぱくぱく食べる。さらに僕と会うときは、くろぐろとアイシャドウを仕込んでキッとした目つきの化粧を施していた。

ふんわりして、控えめな雰囲気の女性が好みだと自分では思っていたので、完全に油断していた。でもむしろ、それは喜ばしいことだった。「この人なら、男女関係なく友達として付き合えるだろう」と思ったからだ。歳も違うし性格も違う。むしろこれだけ共通項がなければ、おっさんである僕が女性であるいしに「たまにはメシでも」と誘っても、下心がない。

僕にとってもっともイヤなのが、「下心があると思われないように気持ちを抑えている自分、を俯瞰して見ている自分」というメタ構造だ。相手が「なにこのおじさん、下心あるのかな」と思われることなんてこの際どうでもいい。自分自身のメタ構造化がすごくイヤだ。

その点、いし相手なら大丈夫。だって僕の守備範囲外だから。本当にそう思った。もちろん、僕が「ご近所食べ歩き仲間として一緒につるみたい」と思うくらいだから人間的な魅力はとてもある人だ。魅力がありながらも、それが男女間のあれやこれやに発展しなさそうな、そういう安心感があった。

でも、ご近所のよしみだとフットワーク軽く何度か会っているうちに、情が湧いてしまったのだから見込みが甘かったとしか言いようがない。これは全く想定外だった。人が人を好きになるって、理屈じゃないんだな。

そんなわけで「ときどき近所のお店でメシを食べにいく関係」が開始した2018年12月から始まって、2019年4月に「いしが家にやってくる関係」に進化して、5月からは「家に入り浸る関係、というかほとんど同棲状態」にまでなっていた。なんてスピードが早いんだ。

いしはこの時のことを「胃袋を掴まれた」と述懐している。僕が毎回、料理を作っていしの来訪を待っていたからだ。「おかでんの家に行けばなにか料理が待っているぞ!」ということで、彼女は仕事終わりに我が家にやってきて、そのまま終電を逃して翌朝帰る、という日が結構あった。

なにせいしは多忙で、仕事終わりに家にやってくるのがもっぱら21時から22時の間なだった。そうなると「同棲したい!」という男女間の欲望以前に、ご飯を食べておしゃべりして、時にはお酒を飲んだりしていたら終電がない時間になってしまう。結果的に「仕事終わりにおかでん家にやってきて、翌朝おかでん家から職場に向かう」という生活になっていった。

当時のいしは日勤も夜勤もランダムにある職業に就いていた。しかし僕にそのシフトは公開してもらえず、僕は「今日は来るのかな?来ないのかな?」というのが全くわからずソワソワする日々が続いた。

家にやってこないのは今日が夜勤だからなのか、それとも日勤だったけど疲れてそのまま寝てしまったのか、休みだけど所要で僕と会えないのか、それとも何か気に障ることがあったのか。ぜんぜん状況がわからないのでやきもきさせられた。

料理を作って待機していたのに結局その日は連絡がなく来宅もなく、夕ごはんを食べる気力が萎える日々も多かった。2019年上期に僕が激ヤセしたのは、いしに対する恋わずらい・・・といえば聞こえがいいが、「食事を食べそびれてそのまま寝た」日が結構あったからだ。まあ、気力が萎えたのは会えなくてガッカリしたからなので、「恋わずらい」と言って差し支えない。

僕にとっていしは「いつ現れるかわからない、謎の存在」だった。現れるときは、わずか30分ほど前に「これから行きます」とシンプルなチャット連絡がくる。それだけだ。

いしに言わせると、「仕事が終わらないかもしれないし、事前に約束すると約束を守れないかもしれないから直前にならないと言わない」んだそうだ。確かにそうかもしれないが、待っているこちらの立場をガン無視しており、たいへんに清々しかった。

「予定が埋まっているのか、空いているのか」「空いているなら訪れたい気持ちがあるのか、ないのか」は教えて欲しい・・・そうお願いしても、まだこの段階では情報が非公開だった。

トントン拍子に二人の関係が縮まって結婚まで猛ダッシュしたのは、僕が「この予定不明の人を捕まえておきたい!」と独占欲を抱いたからだろう。

なお、いしは2020年から当分の間アフリカに赴任する計画があって、僕と「交際する」ということさえ認めようとしなかった。余計な未練を日本に残したまま遠方に行きたくなかったからだ。つまり、僕は彼女にフラれ続けたまま、結婚まで突進したことになる。変な話だ。

結婚へのプロセスも、変な展開だ。

いしと僕とが知り合うきっかけになった「カフエ マメヒコ」。

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北海道の自家農園を耕すだけでなく、他にもあちこちに遠足として繰り出していた。その流れの中で、たまたま2019年7月に岡山遠足が企画され、僕の両親が住む岡山の実家に御一行様が訪れる、ということになった。

いしも僕もこの遠足に参加するとことになったが、僕と事実上同棲している人が遠足の一員として参加していて親に挨拶がなかった、というのは後々気まずい。遠足より前に両親に挨拶をしておいた方が良い気がした。僕の親は、そういう「段取り」とか「根回し」を結構気にするからだ。

そこで、僕といしは遠足の仲間たちとは別に前日のうちに岡山入りして、おかでん両親に挨拶することにした。遠足メンバーには全くの内緒で、だ。

ほぼ同じ時期にいしのアフリカ赴任が本決まりとなり、赴任中の数年間は年に1度程度しか会えない、という方向性が固まりつつあった。「数年間いしの帰りを待ち続け、相手の、そして自分自身の心変わりに怯えつつ過ごす」のか、それとも「生涯の伴侶と決めたうえでいしを遠方に送り出し、腹をくくって待つ」のか。選択肢は2つあったが、僕は断然後者だった。前者の方が自由があるといえるけれど、疑心暗鬼で過ごすことを積極的に選ぶのはイヤだった。

マメヒコの岡山遠足をきっかけに、両親に挨拶する日程が自動的に決まった。そして、挨拶するならば将来結婚するのかどうか、態度を決めておきたい。なので、プロポーズした。そして、受け入れてもらえた。

・・・つまり、

「仲間との遠足で、おかでん実家を訪れることが決まった」→「だったら事前に僕の両親に同棲していることの報告をしよう」→「それだったら結婚を決心しよう」→「プロポーズ」という段取りだ。順番がグチャグチャだが、正攻法だといしと結婚という話にはたどり着かないままだっただろう。なにせ、土下座しても交際についてはオッケーしてもらえなかった相手だ。

ちなみに、いしは2020年春にはアフリカに向かう準備に入るので、結婚は2019年中に、ということが自動的に決まった。結果的に2019年12月に結婚式を挙げ入籍をした。

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この直後、2020年1月頃から「新型コロナウイルス」の感染が観測されるようになり、4月には緊急事態宣言が政府から発令され、人々は街から姿を消した。2020年に挙式を計画していたカップルたちは、結婚式の延期・中止を余儀なくされることが多く、大打撃を受けた。僕らは偶然、滑り込みでつつがなく挙式できたわけで、幸運だった。

そしてコロナの余波は別のところにも。

いしのアフリカ赴任がコロナのせいで延期となり、彼女が日本にいることになったからだ。

いしにとっては夢だった海外赴任が延期となり、さぞや残念だったと思う。コロナが落ち着くまで待機するという選択肢もあるにはあったが、結局彼女は海外を断念した。2020年時点では先がまったく見通せず、事態が沈静化するのが1年後なのか数年後なのか、わからなかったからだ。

しかしその結果、子どもを身ごもり、2021年春におかでんJr.が爆誕することとなった。いま、彼女は別の職業に就きながら、Jr.を日々溺愛している。可愛くてしかたがないのだという。人生が予想外の展開に転がっていく、そんな2019年~2021年だった。

ちなみに子供を授かったことをきっかけに、買ってまだ3年経っていない自宅マンションを売却し、別のマンションに移り住んだ。僕らにとっては大きな人生イベントだった。

話は脱線するが、独身の人が家を買うなら交通の便が良いところに限る、というのが僕の人生訓だ。駅から近いマンションで、最寄り駅が山手線という立地条件だったからこそ、足繁く通えたわけだし、売却するときは利益も出た。うっかり「広い家がいい」とかいって郊外に居を構えていたら、こんな出会いと交流はなかっただろう。

さて、話を戻すと時は2019年7月13日。

プロポーズをして受け入れられたのが7月4日、おかでん両親に紹介したのが7月19日。ちょうどその隙間に、二人で旅行することになっていた。目指すは、上高地。

僕が「世間に疲れると、一人で上高地に行って癒やされるんだ。あそこは天国だ」と何度も言っていたので、「いいなー、行ってみたい!」と応答してきたからだ。えっ、でも僕、わずか2ヶ月前の2019年GWにも3泊で上高地ソロキャンプをやってきたばかりだ。

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もし行くとしても、もうちょっと期間を空けたいのだが・・・いや、いいです、ここに行きましょう。

二人にとって、初めての旅行となる。お泊り旅行、とか以前に、旅行そのものが初だ。なので、見知らぬ場所を旅行先にして、失敗するのはイヤだった。その点、上高地は確実だ。あそこは最高以外の何者でもないので、天気さえ良ければいしは大満足するはずだった。

幸い、いしはアウトドアに興味を持ってくれた。キャンプでも構わないという。よし、じゃあテント泊だ。前回訪問からわずか2ヶ月だけど、また僕は上高地を目指すことになった。

2019年07月13日(土) 1日目

11:33
昼近くの新宿駅。1日目の行程開始は、お昼ということになっていた。いしは夜勤明けからの参戦となるからだ。夜勤といっても朝9時過ぎまでのシフトで、そのあとさらに残業がある。12時の特急あずさに乗りますよ、というスケジュールでも結構ギリギリとなる。

徹夜で翌日昼まで寝ないで仕事、ってどうやったら可能なのよ?と昼間のデスクワーカー稼業の僕にとっては驚きなんだけど、本人は「むしろ夜勤は儲かるからいい」と平然としている。夜勤入りの日は午後まで時間があるし、夜勤明けの日は昼から翌日いっぱいまで時間がある(夜勤明けの翌日は原則休日となる)。不規則な生活になるけれど、いしは若さゆえか夜勤ライフを淡々とこなしていた。

とはいえ、24時間体制でシフトが組まれている仕事のため、シフトの希望・休みの希望はシビアだ。土日に休みを取るのは若干遠慮が働くし、連休を希望するともなると相当空気を読まないといけないっぽい。あんまり休むと、職場のあちこちにしわ寄せが出てくるからだ。

今回、プロポーズ後なのになんで初めての旅行なのかというと、「二人で旅行に行きたいねー、じゃあシフト調整しないとねー」と思い立ってからそれが実現するまで1ヶ月半~2ヶ月のタイムラグが発生するからだ。

夜勤明けの日を1日目とし、翌日はもともと休日で2日目、その翌日は有給休暇を取得してもらって3日目、ということで2泊3日の日程となった。

11:37
新宿駅南口コンコースにある「駅弁屋 頂(いただき)」。JR東日本管轄の駅で売られている駅弁があれこれ売られている。

もはや駅弁というのは、その駅に行かないと手に入らないものではない。じゃあ駅弁ってなんだ?という定義が揺らいできている気がする。駅の構内で製造しているわけでもないし。

せっかくだから全国の駅弁を扱えばいいのに、とは思うが、それは鉄道会社都合によって実現していない。売られているのはあくまでも関東甲信越以北のものだ。

いしはまだ到着していない。お昼ごはんは松本行きの特急あずさの中で駅弁を食べることにしてあった。いしのために駅弁を買っておく。

事前にリクエストを聞いておいたのだけど、「いくらが入っているやつがいいです」と言ってきたのでこれにした。「鮭はらこ弁当」。

正確には覚えていないけど、椎名誠の旅行記だったかなにかで「仙台駅の鮭はらこめしはうまい」と書いてあった記憶がある。はるか前に読んだ文章だけど、とても印象に残っている。

てっきりそれがこれだと思っていたが、製造元を確認してみたら東京・日本橋のお店だった。あっそうか、「鮭はらこめし」じゃなくて「鮭はらこ弁当」という名前だ。類似商品なんだな、これ。

特急あずさが発着するホームに降り立つと、そこにも駅弁屋が。

本来ならJR東日本が営むコンビニ「NewDays」があるか、せいぜい立ち食い蕎麦屋があるような場所なのにドシーンと駅弁のお店。素晴らしい。

日本最大の乗降客数を誇る新宿は、いつも人で溢れかえっている。人々は早足で往来していて、一秒もゆとりがない。そんな中、ここだけがぽかっと「旅情」という言葉が当てはまっていて、すごく心和む。ここからもう、旅は始まっているんだ。

12時ちょうどの特急あずさに乗る予定だ。

これまで、松本方面に向かうとなると朝早い便しか使ったことがない。こんな呑気な時間は経験がないことだ。そりゃそうだ、遠方に行くからには、現地滞在時間を最大化したい。早起きして早朝の電車に乗るのは当然のお作法だ。

しかし今回は「早起き」どころか「寝ていない」人がこれから合流してくる。つくづくご苦労さまだ。

買ってきた駅弁。

僕が食べるのは「鎌倉散策 夏越ごはん弁当」という駅弁。調べてみたら、これは鎌倉市の会社がこしらえたものだった。夏越とは、毎年6月30日に鎌倉の鶴岡八幡宮で行われる神事。半年に一度行われ、半期の総決算とばかりに禊をする。

その神事では茅の輪くぐりがあるのだけど、茅の輪を模したゴーヤの天ぷらが中に入っているのが面白い弁当だった。

いしと車内で合流したのち、さっそくお昼ごはんにする。

鮭はらこ弁当を大変に喜んで食べただけでなく、駅のコンコースで売られているのを買った「土井佐助乳業」とかいうクリームパンもあっという間に平らげていた。

後になって知ったことだが、いしは甘いものが大好きな人だった。普段、おかでん家で寝泊まりしていても我が家には甘いものが常備されているわけではなく、そういう嗜好の人だとは気が付かなかった。

食後、とっとと寝始めたいし。

松本到着まで3時間弱なので、いまのうちに寝ていてもらう。どうせ今晩はキャンプなんだし早い時間に就寝となるわけだが、かといって21時頃まで起きてようぜ!というのは無理がある。

いしはパーカーのフードをかぶって寝始めたが、果たしてこの「フードをかぶる」ことに何の意味があるのか、不明だ。包み込まれてる感がいいカンジなのだろうか。年頃の女性なら、寝ている顔を見られたくない、という気持ちがあるかもしれないが、このフードは顔を一切隠していない。むしろ、フードをかぶることで「スピードスケートの選手みたい」に見えて、つい通りすがりに二度見してしまう。

二人で初めての旅行だからウッキウキでしょう?と言われそうだが、現実はこんな感じ。駅弁をバクバク食べて、寝る。

この旅行を企画した僕としては、最っっ高の上高地で眠くて居眠りされるのは残念な気持ちになる。だから今のうちに疲労回復をして欲しい。いやマジで切に願っている。

松本でアルピコ交通上高地線に乗り換え、新島々駅へ。

さあ、ここまできてようやく上高地の入り口の入り口に到着した感じがする。

(つづく)

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