おかでん結婚式前後のできごと【倉敷・吉備路】

阿智神社での結婚式がすばらしかったのは、式に備えて拝殿前に緋毛氈のレッドカーペットを敷いてくれたことだ。

なにやら巫女さんが作業を始めたな、と思ったら、するすると石畳に緋毛氈が敷かれ、随身門の手前まで赤い帯ができた。

いつもは正月の初詣に訪れている、馴染みの神社。そこでこういう扱いをしてもらえたことに僕は感激した。

今日は日曜日。参拝客がとても少なくて、都合が良かった。阿智神社は美観地区のすぐそばにあるとはいえ、山の上にあるのでそこまで大勢の観光客が来るわけではない。しかも12月上旬の寒い時期で、客足が少なかった。タイミングが良かったといえる。

そんなわけで、こんな写真を撮ることもできた。

11月で結婚式を決行していたら、七五三の家族が大勢いて人がいっぱい写り込んでいただろう。あと、この拝殿・本殿の裏手にある祈祷殿での挙式なので、こうもバーンとまっすぐにレッドカーペットは敷くことができなかった。

この結婚式にあたり、朝からプロカメラマンが1名帯同してくれている。当初は着付けが終わって神社にタクシーで移動したのち、式の時間になるまで待合室で親族ともども待機、という話だった。でも僕らはカメラマンに誘われて、境内のあちこちで写真集用の撮影会が行われた。

境内のいたるところで撮影ができるし、その写真いずれもが良い見栄えだし、やっぱりガチ神社で挙式して良かった、と思っている。惜しむらくは、プラニング段階で「写真集?そういう商売っ気には乗らないぞ」と警戒しすぎて、写真集のページ数をケチったことだ。

身支度段階、神社境内内での記念撮影、挙式風景、神社から会食会場に移るまで美観地区内を歩いているシーン、そして会食、と撮影ネタには事欠かなかった。しかし、写真集のページ数をケチったために、YouTubeの切り抜き動画みたいな「超抜粋版」になっちゃった。しかも写真を詰め込んだものだから、どれも小さな写真ばっかり。

まあ、カメラマンさんが撮影した画像はすべてデジタルデータで貰ったので、全く問題はないのだけれど。

「写真集なんて作っても、どうせ押入れの奥に片付けられてしまうので見る機会なんてないよ」

と思っていた。で、実際その通りになっている。写真館で撮影した結婚式の前撮りアルバムも、結婚式のアルバムも、そしてその後子どもが生まれてお宮参りに行ったとか1歳の記念とか、あらゆるアルバムは一度見たきり見返すことがない。

とはいえ、この倉敷での結婚式は1日を通してくるくるとシチュエーションがかわっていくので、紙媒体の写真集を大ボリュームで作っても良かったかな、と思っている。これが一日を通じてずっと屋内の式だった、とかスタジオで撮影だけだった、となるとアルバムを見ていて飽きてくるのだけれど。


記念撮影の際、和傘を手渡されポージングをする、という場面が何度かあった。和装の場合の定番らしいが、なんとなく僕はこの和傘ポーズは「ヤンキーが好む装飾」と思いこんでいる節があって、若干尻込みした。でもまあ、こういうのは「役を演じきる」のも大事なので、カメラマンさんからの指示に従ってあれこれポーズをキメたけど。

挙式は、緋毛氈の両側に両家が並び、その間を僕らが歩くという演出から始まった。

家族が新郎新婦の登場を今か今かと待ちわびている中、バーンと門から新郎新婦登場!という展開ではない。

「はい、新郎側のご家族はこちらにお並びになって、新婦側のご家族はこちらで・・・新郎新婦はこの端に立っていただいて」

という指示を神社の方から受け、ヨーイドンになるまで僕らは家族が見ている中立って待っている、という状態だった。ちょっと恥ずかしい。

これまで見てきた友人知人の結婚式は、必ず「それではッ!新郎新婦のォォォォーーーー!入場だァァァっ!!!」というアナウンスとともに扉がバーンと開いて音楽が流れて、新郎新婦が登場したものだ。で、参列者の僕らも「ウオオオオオオ!」とテンションが上ってカメラパシャーパシャーですよもう。意味もなく連写ですよ。

でも今回はそういうクライマックス感はまったくなく、なんなら鼻くそをほじっているところを見られちゃった、というような状態で式が始まるのを待機している状態。まあ、家族だけの参列なんで、演出もへったくれもないんだけどね。

阿智神社拝殿で挙式。

やー、数年前に数え歳42歳の厄払いのために祈祷していただいた場所で、今度は結婚式とは全く想像していなかった。

阿智神社は宗像三女神(福岡県の宗像大社に祀られている三女神)が分祀されているので、巫女さんによる三女神の舞なんかも途中で挟まれつつ、式は進んでいった。

なお、拝殿に昇殿する際など要所要所で越天楽などの雅楽が流れたのだけど、これを音源ではなく生演奏でお願いすると追加料金で数万円かかるという話だった。なるほど結婚式は奥が深い。

疑ってかかれば、「金儲けのチャンスを常に狙われている。気を許したら無限大にお金がかかる」といえるけれど、逆に言えば「いくらでも自由度がきく、オーダーメイドの極みのイベント」ともいえる。なので、希望があればどんどん取り込んでいけばいいし、「金をむしりとられる」と過度に警戒しすぎなくても良いのかもしれない。

幸い僕ら夫婦は、式にあれもこれも盛り込むつもりはなかった。なので、「これは必要だ」「いや、いらない」と双方言い争いになることは全くなかったのは良かった。

阿智神社の式のあと、タクシーに乗って山を下り、美観地区と呼ばれている観光客が大勢いるエリアに足を踏み入れる。

美観地区には倉敷川という運河が流れている。高梁川から引っ張ってきた人工の川だけど、ここから船に米を積み、大阪まで運んだことで倉敷は栄えた。なにしろ江戸時代は徳川幕府直轄地だったくらいだ。

なぜ倉敷がそこまで栄えたのかというと、ここから先相当な距離の沖合まで、遠浅の海だったからだ。江戸時代、その遠浅の海を干拓して農地にすれば利益は開拓者のもの、という特例があったおかげで、倉敷界隈には大庄屋が大勢現れた。北海道の開拓みたいなことが、海を埋め立てるというやり方で倉敷でも行われていたというわけだ。

ちなみにおかでん家の先祖は文明開化の頃、この倉敷川に蒸気機関の船を導入し、高速かつエレガントに荷物運搬をやるぜ!という事業をやったらしい。当時は最先端の蒸気機関船で耳目を集めたようだ。すごい。僕の祖父母からそう聞いていた。

しかし僕が最近になって過去の文献を調べてみると、鳴り物入りで導入されたその船は数年足らずで利用できなくなってしまったらしい。倉敷川は堆積した土砂ですぐに川底が浅くなってしまい、重たい蒸気船の通行ができなくなってしまったからだ。

そんな曰く付きの川の上を、川舟に乗って遊覧する。

この舟でどこかに移動するわけじゃない。船着き場から出発して、数百メートル行って帰ってきて元の船着き場にたどり着く。記念撮影用の演出だ。

僕の父親は、「なんでそんなことにお金をかけてやるんだ。観光協会からお金を貰ってやるならまだしも」と言って歓迎していなかった。まあ、そりゃそうだな。

なにせここは観光地ど真ん中。白無垢の花嫁さんが川舟に乗っているのだから、四方八方からスマホカメラを向けられ、写真を撮られまくった。倉敷ではよくある光景で、僕らのように舟に乗っているバージョンもあれば、人力車に乗っているバージョンもある。いずれにせよ、観光客から好奇の目で見られ、写真を撮られまくる。これは相当恥ずかしい。

とはいえ、「おめでとうございます!」などとさかんに声をかけられれば、なんだか嬉しくなってくるものだ。そう思っていたのだけど、ほとんどそんな掛け声はなく、「おっ、新郎新婦がいるぞ!映える!」とばかりに無言でスマホを向けられるだけだった。これには笑顔というより苦笑で手を振って応えるしかなかった。

この日の夜、「川舟の様子がSNSに掲載されていないだろうか?」と二人して必死にエゴサーチしてみた。でも、1件たりともヒットしなかった。おかしい、あれだけ撮影されまくっていたのに。昨今の人たちは肖像権に対するリテラシが高くなったのかもしれん、と納得しておく。

船着き場から会食会場まで徒歩で移動。家族引き連れてゾロゾロ。

姪や甥たちは、自分たちも川舟に乗れるのかと思ってワクワクしていたのだけど、実は新郎新婦しか乗れないということでちょっと残念がっていた。こういうのは、僕ら自身当日にならないと状況がわからない。「川舟乗船のご案内」みたいなパンフレットが存在するわけじゃないので、プランナーさんから口頭で説明を受けているだけだ。

こういう、会場移動中の写真さえも様になるのが倉敷の良いところだ。

敢えて挙式と会食の場所が離れた企画にして良かった。

会食の場は、「八間蔵」というレストラン。

重要文化財「大橋家住宅」が隣接している。大橋家は江戸時代に栄えた豪商だ。その米蔵をレストランに改築したもので、独特の雰囲気がある。

和食ではなく、フレンチのお店。

大きな米蔵の中は屋根まで吹き抜けの広い空間になっている。

1階席があって、ロフトとして2階席がある。

壁は、瓦がびっしりとはめ込まれている。おしゃれでこうやっているのではなく、火事を防ぐためだ。土壁というのは土と藁を練り込んだもので作られる。なので、壁は不燃性のようにみえるけれど火にあまり強くない。それを補強するため、こうやって耐火性の高い瓦を壁にはめ込んでいるわけだ。

それだけ、この米蔵だけは絶対に守るぞという強い意志がうかがえる。なにしろ、昔の米は食料であると同時に税金でもあり、金塊でもあった。火事で消失というのはあっちゃならない事態だ。

この瓦と、蔵ならではの窓の少なさとで、「閉塞感のない洞窟のような空間」になっている。若干の薄暗さが、むしろしっとりと上質な雰囲気を醸し出して、とても好きだ。

僕らはロフトの二階席を貸し切ることで会食を行った。家族だけの会食なので、1階を貸し切るほどの人数ではなかったからだ。

いしと結婚式の段取りについて話し合っている際、彼女はしきりに「プロジェクターに映像や画像を投影する」ということを口にしていた。「いや、家族だけの会食でそういう演出はいらないでしょう」と僕が言って一旦は彼女も「あっ、そうかぁ」と納得するのだけど、日が改まるとまた同じことを言う。

30代前半の彼女にとって、友人の結婚式に参加した経験が生々しくあって、そしてそれはとても華やかなものだったのだろう。なので、自分の結婚式を検討する際も、無意識のうちにわーっと賑やかな演出、大勢の参加者を頭に思い浮かべていたようだ。

なので最初は、「二階だとプロジェクターを設置するスペースがない」ということをしきりに気にしていた。結果的にそういう演出は無しということになった。

今回の会食は、両家初顔合わせの場でもあった。

僕らは結納をすっ飛ばしたので、両家が顔を合わせる機会がなかったからだ。結婚式の場で、お互いの親同士が「どうもはじめまして」と挨拶する状態だった。

お互い高齢だし、顔合わせはしなくて良いのではないか・・・ということを父親から言われその通りにしたのだけれど、それだけ僕の結婚に対してさほど関心がなかったのかもしれない。長男である僕の兄貴の結婚のときとは様子が違う。さすがに後期高齢者と呼ばれる歳になって、「次男坊が結婚する、と言い出した」となっても急にはテンションが上がらなかったのだろう。青天の霹靂だからだ。結婚しないと思っていたのに。

写真で写っている右側の席は、この年の7月に僕がおかでん家両親にいしを紹介した場所だ。ここ八間蔵で夕食を食べながら、「この人と結婚するつもりだ」と報告した。

母親はすっかりウキウキで、ようやく我が子が結婚し、自分が生きているうちに孫が見られるかも・・・!と始終笑顔だった。人柄的にもいしは母親のお眼鏡にかなったようで、良い雰囲気で話が進んでいた。

しかし報告しなくちゃいけない重大なことがあった。いしが食後のコーヒーが出てきた段階で、ついに「実は来年にはアフリカに長期で赴任する予定になっています」と切り出して場面が一転。わかりやすすぎるくらい、母親が落胆するのが見て取れた。孫は見れたとしてもアフリカ赴任終了後の数年後、と知り、急に自分の余命が気になったらしい。

いしは油汗をだらだらとたらしながら事情を説明し、僕も「遠くに行ってしまうけど、それでも結婚するんだ」と力説した場所。今から4ヶ月ちょっと前の話だ。いやあ展開が早い早い。それが今じゃ、結婚式の会食会場だもの。

(つづく)

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コメント

コメント一覧 (5件)

  • ご結婚されたんですね。おめでとうございます。20年近く前、カレーのまんてんとえぞ松の記事を拝見し、その後は牛サシか何かでお店の全メニュー制覇など、楽しく読ませて頂いておりました。久しぶりに閲覧し、コメントをさせて頂く次第です。

  • idekenrrさん>
    お祝いメッセージありがとうございます。久しぶりのこのサイト、外観も中身もすっかり変わってしまって驚かれたと思います。
    「美貌の盛り」をやっていた頃から基本的に何も変わっていないつもりなんですが、昔連呼していた「無茶してナンボ」という言葉は今だと全然使わなくなったな、とふと気づきました。無茶できなくなったんだろうなぁ。
    また20年後、「まだやってたのか」とidekenrrさんから言われるよう、これからも頑張ります。

  • おかでん殿
    結婚式前後の事連載が完結してからコメントさせていただこうと思い、遅くなりました。
    連載もさぞ工夫された事とおもいます。
    今まで通りのアワレみ隊ontheWeb連載の流れで、スペシャルイベントを違和感なく読ませていただきました。
    奥様そしてご子息と末永くお幸せに!
    にしても両家参列の式とは言え準備がこんなにも大変だったとは…。
    自分達は諸事情により2人だけで新婚旅行を兼ねてのラスベガス挙式(ジョン・ボンジョヴィと同じチャペルを妻が熱烈希望)だったので、現地日本人コーディネーターにお願いしたくらいですが。
    話は飛びますが、高校野球選抜大会の日程次第では、大阪から広島へ延泊してますゐ訪問を企んでおります。昼・夜・昼&特ランチ弁当なんてシミュレーションし始めただけで涎が止まりません!

  • 軍曹殿>
    ラスベガス挙式すげー。そんなことをやっていたんですか。しかも2人だけって、逃避行みたいですごいですね。
    そういえばラスベガスって、質屋とチャペルが非常に多かったような気がする。
    結婚もギャンブルといいますが、軍曹殿はそのギャンブルに勝ったようでなによりです。

    ますゐ詣で、ぜひご堪能あれ!僕も最近のますゐについては全然疎いので、最新情報入手のために足繁く通ってみてください!!

  • おかでん殿
    事実上の高飛びってやつです。
    その前は同級生とか野球部同期の友人達がお祝いの会を開いてもらったので、感謝しています!
    (実家出禁も半年後には解除されました。)

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