
15:34
烏川をわたっていく。
まさかこういうところをひたすら歩く旅になるとは思っていなかった。
でも全然退屈じゃない。むしろ楽しい。
一定のペースで、この広々とした大地をひたすら歩き続けるのは心が落ち着いてくる。かなり癒やしの効果があると思う。
飽きない程度に風景の変化がある、というのも大きい。

ゴルフ場の横を通り過ぎていく。
人の気配がないので、河川敷?と思ったが、それにしては整備されすぎている。
おそらく現役のゴルフ場なのだろう。地図でみると、「高崎市民ゴルフ場」と書いてあった。
人がいないのは、すでに夕方に差し掛かっていて、プレイヤーがもう帰ったからだろう。

田んぼの中を歩いていく。
9月なのに青々としているので、稲ではない別のものを植えているのかもしれない。

15:48
目指す山名八幡宮方面にはちょっとした丘というか山がある。
その中腹が切り開かれ、団地が造成されているのが見える。
平野部にこれだけの土地があるのに、なんでアップダウンのある山に宅地を?と不思議だ。いくら各家庭に車があるとはいえ、平地に家があったほうが楽だろうに。
しかし、「平地があるならそこに家を作ればいいじゃない」という発想は都会モンの発想であり、ここではその発想は通じないのかもしれない。平野があるからこそ、そこは貴重な田んぼの場所になるんだ、という考えも有り得る。

新幹線の線路がまっすぐ伸びる。
その向こう側には、赤城山のギザギザがひときわ目立つ。
長野県や山梨県から見た八ヶ岳の雄大さとは違い、赤城山は「山の魅力を凝縮しました!」という感じがするような、峰々の密集具合だ。

一面の田んぼの中、一人歩くおかでん。
何がいいたいかと言うと、こういう誰もいない場所でさえもマスクを着用していないと「コロナをばらまく極悪人」という目で見られかねない時代だった、ということだ。それが2021年秋。
ましてや、「東京から来ました」なんて、地元の方々と会話をする機会があったとしても絶対に言えない。東京はパンデミックの震源地であり、魔境であるという誤解が地方には当たり前のようにあったからだ。
もちろん、僕はバカバカしくて人がいないところではマスクを外していたのだが、それさえも人に言わせると「マスクを頻繁に脱着していると、そのときに手にウイルスが付着する。その手でなにか別の物を触ると、ウイルスが接触感染する」と大真面目に説教される。
エビデンスがある話と、誇張されてしまっている話がごちゃまぜだ。
「コロナに関しては、飲食店のテーブルの上や本屋の書籍など、接触による感染拡大はほぼありえない」という見解が厚生労働省から示されたのはもっと後の話。それまでは、触るものすべてが疑わしいとされていた時代。

稲。

学校の横の道を通り過ぎる際、陸橋が道路の上をまたいでいた。
陸橋、大好き。
「なんで陸橋ができたのだろう?」と考えることが楽しいからだ。
もともと陸橋なんてないに越したことがない。建築費用がかかるし、維持費用もかかる。敷地不足で増築するなら、道路を挟まないで同じブロックの土地を拡張したほうがいい。でも、それができなかったからこそ、陸橋で敷地を拡張することになる。
その経緯がどうしてなのだろう、そもそもこの左右にある建物はなんだろう?と観察したり考えるのは、お散歩中の格好の暇つぶしだ。
答え合わせなんてする必要はない。だって暇つぶしだから。
ちなみに、この陸橋は幼稚園と小学校の敷地をつなげるものだった。陸橋のすぐ下には校門があって横断歩道もある。なので、敢えて陸橋を作っているのは園児ないし児童の交通事故防止のためだ。
学童保育の場所がどちらかにあって、子どもが移動するのだろうか?それともプールの利用?
あれこれ考えているうちに、そのまま通り過ぎてしまって、すぐにこのことは忘れた。
なお、話は脱線するが、この学校のすぐちかくに「こちら、学校前食堂」という名前のイタリア料理店があるのがちょっとおもしろい。

16:03
山名八幡宮の鳥居が見えてきた。
看板が飲食店か旅館のそれみたいで、ちょっとおもしろい。

16:04
山名八幡宮に続く道。赤い鳥居の先でも、特に参道っぽさはなかった。
お店も特にない。人は全然おらず、極めて静かな空間。
(つづく)
コメント
コメント一覧 (2件)
応仁の乱の西軍の総大将山名宗全につながる山名氏は、この地方の豪族が発祥だそうです。
歴史を感じる地名ですね。
ゆうどんさん>
おおーーー山名宗全!久しぶりに聞いた名前だ!赤入道!
僕は高校時代、社会の選択は日本史だったんですが、
・明治大正あたりで時間切れになって、戦後まで習わなかった
・明治時代に入ってから文化・芸術・政治・経済・世界情勢が入り乱れ、わけがわからなくなった
・南北朝・応仁の乱あたりのゴタゴタをちゃんと記憶できなかった
ということで今や殆ど覚えていないです。みなさんはどうなんですかね?覚えてます?日本史。
一応学生時代に日本史の成績は良かったので、当時は記憶力のみでなんとかなっていたんでしょう。でも、すぐに忘れてしまったのは残念。