わんこ回転寿司挑戦

並ぶすし

タッチパネルに苦労しながらあれこれお寿司を蒐集してみた。6皿12かん。

タッチパネルに拘るのは、自分が一体何を頼んだのか頭の中を整理しやすいからだ。目の前に流れてきたヤツを「おっうまそうやんけ!」と適当にピックアップしていたのでは、だんだん後半戦になるに従って訳がわからなくなる。満腹で頭がぼんやりしてくることもあり、似たような寿司があると「これを食べたのか、まだ食べてないのか」が判別つかなくなる。

その点、メニューが表示されているタッチパネルを自分の意思で押していれば、まだ忘れにくいというものだ。

あと、「白身、赤身、貝・・・」と、いろいろバランス良く食べたりできる。

一応、卓上にはICレコーダーを置いてみた。「今、生タコを取りました」などと言葉で行動を実況し、記録に留めておくためだ。実際それはうまく録音できたのだけど、延々と回転寿司を食べている録音を聴き直す気になんて到底なれず、放置されたまんまになっている。もういいや、この記事を書いた後に音源は消そう。いらねーよ。

タッチパネルに四苦八苦する

まだこの時点では「割り箸スタイラスペン」技術を開発できていないので、うんざりしながら指で一生懸命タッチパネルを押しているところ。こういうときって、強く押せば良いというものでもなく、かといってフェザータッチだとGOOD!というわけでもない。困ったものだ。

寿司をタッチパネルでオーダーしてから、実際に商品が特急レーン経由で届けられるまでは数分を要する。その間、おりこうさんをして待っていないといけない。

「いいか、前倒しだぞ、寿司が到着したら、食べる前に次のものを頼むんだ。頼み終わってから食べるくらいがちょうどいいんだ」

とは言っているものの、なかなかうまくテンポがつかめない。

おっかしいなあ、こっちとしては、わんこそば感覚で「食べました、次の寿司が来ました、また食べました」をぽんぽんぽんっ!と繰り返したいのに。

オーダーから料理が届くまでのタイムラグは仕方がないとして、他にもメニューを吟味したり、回転レーンに何かよさげなネタが流れていないか凝視したり、食べる行為そのものに集中ができなかった。

じゃあその間、仲間と会話に花が咲いたかというとそうでもない。なんだか中途半端にがっついているので、和気あいあいといったのんびり感がないからだ。会話はもちろんするのだけど、「最近どう?」的な話ではなく、「なかなか来ないねえ」「そろそろ食べるの終わりにしようかな」みたいな話ばかり。

頻繁に会っている友達同士だかからこそそれでも良いのだけど、「久々に再会した友と、回転寿司をつまみながら旧交を深める」なんてのはかなり難しいと思う。寿司ネタが回ってこないとか、どれがウマいだのマズいだの、そういう話に始終してしまう。

何を食べているのかわからなくなる

僕が手にした寿司は全部写真に収めているのだけど、その全部を掲載してもカタログ的価値すらないので省略。いやあ・・・もっと回転寿司をしこたま食べるってのは、エンターテイメントなんだと思ってたよ。「あれを食べよう、次はこれを」と戦略性もあるという。しかし実際は、食べているうちに「何を食べても同じような味に感じてくる」始末。

いや、もちろん一つ一つは味が違うに決まってる。しかし、画一的な皿、画一的なシャリの量と固さ、そして無機質に積み上がる空いた皿。満腹になって「もういいや」という気分になる以前に、「俺、何やってるんだろう」という気になってくる。

まだまだ余裕なおかでん

ご機嫌に食べているおかでん。楽しんでいるのは間違いないのだけど、当初ぼんやりと考えていた「作戦」のアテが外れ、やけくそになっている状態。

というのは、「どうせ全種類食べきるなんてのは無理。ならば、白身、赤身、青魚・・・と各ジャンルからバランス良く食べていき、じわじわと気がついたら食べまくってました、という形にしよう」と思っていたからだ。

でもお魚の世界は厳しい。本日入荷なしとか売り切れとかの理由なのだろう、グランドメニューにはあったはずのメニューがなかったりする。そうするともう、作戦を見失って僕どうすればいいの状態。

あと、狭いジャンルの場合、何か似たようなメニューをいくつも食べるハメになってくる。上にマヨが乗ってます、とか炙ったものです、とか。幅広く食べているつもりでも、だんだん「またか」感が出てくるのが現実。

茶碗蒸し

そんなわけで、茶碗蒸しに逃げちゃった。

これまで、「ひと皿に2かん、お寿司が載っているメニュー」だけを選んで食べてきた。その方が、現在何かん食べたか計算がしやすいからだ。でも、いい加減どうでもよくなってきちゃった。んで、茶碗蒸し。

めぐさんは、「愛媛県産だっていう『みかんぶり』がおいしかったよー」と言う。でもそれは1皿で1かんしか載っていないのよ。まだそれは頼まないつもり。ギリギリ最後、「もうこれ以上食べるのは限界」となったとき、最後の1かんとして食べようと思う。

頼む頼む

とはいっても、だんだん後半戦になるに従って、「あんまり興味がないメニュー」が居残り組になってきた。必然的に手にするお皿は、「まあ・・・普段なら頼まないだろうな、僕の趣味なら」というものが増えてきた。

食べた先に極楽が待っている、というならまだしも、なんだか食べていくうちにどんどん「何やってるんだ、俺」という気持ちが強くなってくるんですけど。

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