扇、というのは改めて「絵」として見るとずいぶんいびつなキャンバスだ。世界広しといえども、あんな「バウムクーヘンの一部」みたいな形の画角で絵を描いているのは、扇くらいしかないだろう。
古今東西の作家は、だからこその苦労と、工夫を重ねて、「どうせ使い潰されるであろう扇の絵」を描いてきた。
そういう背景も意識しつつ、展示を見ると味わい深い。
ただ、「やっぱり綺麗に保存して鑑賞したいよね、山・谷の折り目がついていない状態で絵を見たいよね」という欲求は昔の人も既に持っていたようだ。室町時代には、既に扇の絵を取り外して屏風に貼り付けてみたり、掛け軸にしてみたり工夫がされている。
「それだったら最初っから屏風に絵を描いて貰ったらいいじゃん?」
と思うけど、それじゃダメなんだろうな。いくつもの扇の絵を、まるでスタンプラリーのようにずらずらと屏風に並べ、「ほらご覧下さい、これ全部で一つの源氏物語絵巻になってるんですよ」なんて自慢をする。そういうのが楽しかったのだろう。
扇か。そういえば、今自分は一つも持っていない。
2019年の今、小粋な絵柄入りの扇なんて持っていたら、むしろ仰々しくて回りがギョッとするだろう。
(2019.01.20)
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