東寺講堂にある21体の仏像のうち15体を会場に運び込み、立体曼荼羅を構築してみせるところは圧巻。国宝だらけ。
空海が最澄に宛てた手紙がまだ虫食いひとつなく綺麗に現存していて展示されている、というのも驚きだ。1200年前だぞ、おい。
展覧会の目玉は、15体の仏像による立体曼荼羅ということになっているが、僕にとって一番目を惹いたのはこれまで秘密とされていた真言密教最高の重要行事、「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」が行われる部屋を、細かい法具のレイアウトまで含めて極力際限しているところだ。
金剛杵や金剛盤など、実家にもある法具が並べられ、自分の身近な世界の延長線上にこの神聖な世界が繋がっていることを改めて実感させられる。
ただ、「ありがたい」という気持ちになったり、宗教的な「何か」を感じることは、全く無かった。「葬式仏教」だと今更揶揄する気はないけれど、本当に日本の仏教というのはどうしてこうも形式主義なのかと。そもそも宗教と呼べるのかどうかすら、怪しいくらいだ。
様式美の世界が、1200年以上も続いているというのは純粋に素晴らしいことだと思う。様式美は、僕も好きだ。しかし、昔はともかく今は人々の心の支えとしてあまり機能していない宗教って、一体なんなんだろうね、と冷めた目で見る自分もいた。
密教における「秘密」とはなんぞや、という解説のところに、こう書いてあった。
一つは、庶民が知る必要がない秘密。
もう一つは、大日如来の真意であり、それは大日如来の元で修行をしている菩薩でさえ理解できないものだから、わざわざお経に記す必要はない秘密だ、と。
もうなんのこっちゃ。これでどうして納得ができるのか。
(2019.04.05)
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