成田空港潜伏の巻

成田国際空港。言わずとしれた「日本の表玄関」だが、その存在は半世紀にわたるドタバタした歴史の上に成り立っているのは有名だ。

空港計画が起こったのが、安保闘争などでまだまだ血気盛んだった時代だったこともあったし、地権者の合意形成を怠り強引に計画を進めた政府のやり方のまずさもあった。そのため、大規模な反対運動が起こり、妥協と強請の結果「日本の表玄関」にしてはいびつな空港に仕上がってしまったのは誰もが知るところだ。

ここ最近、日本各地の空港で国際線が就航するようになった。それに伴い、地方の人が海外に旅立つときは、いったん韓国の仁川に飛んでからトランジットする、という「成田パッシング」が増えてきた。さらに、羽田空港に4本目となる滑走路ができ、国際線ターミナルが新造され、「わざわざ成田に行かなくても海外に行ける」体制は着実に整いつつある。

これまでは、千葉県知事になる人というのは、必ず「県民の犠牲の上に成り立っている成田空港を尊重しろ!羽田に国際便なんてとんでもない」といった論調だった。しかし今では、成田空港をどう魅力的な存在にするか頭を使って考えるようになった。これまでの殿様商売とは大きく風向きが変わった。特に、成田空港が民間会社NAAになったあたりでその動きは顕著になり、いろいろ設備の増強や、周囲の地権者との和解に積極的だ。

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