ほとんど絵を描いたことがない弊息子タケに、最近は毎朝お絵かきをやらせている。
保育園に通っていると、子どもという生き物は自然と絵を描くものだと思っていた。でも、実際は全くそんなことはなかったので親として慌てたからだ。
たぶん、幼稚園だと「授業」的なものがあって、「はい、これから図工の時間ですよー」とみんな一斉に絵を描いたりハサミを使ったりする機会が与えられるのだろう。でも、保育園は・・・少なくとも弊息子が通う保育園は、それがない。
子どもの自発性を重んじている運営方針のため、絵を描いている子どもがいる一方でパズルをやっている子も、おままごとをやっている子も、一つの部屋の中にバラバラにいる。
弊息子はパズルとかで遊んでいることが多いようで、気がついたら絵が描けないし、ハサミもまともに使えない状態だった。これはまずい、ということで現在は毎朝いしがタケに対して図工を10分程度、教えている。

お絵かきに関しては、この「1日10分でえがじょうずにかけるほん」というのを使っている。
ただ、絵を描くというのは、「描きたい!」という本人のパッションがなくてはダメだし、描きたいと思える記憶や対象物がないと描けない。なので、現時点はまだまだ「描きたくない」と本人がグズるのをなだめながらお絵描きの練習をしている、というフェーズだ。
別に彼に漫画家なり芸術家になってほしいわけではない。でも、絵を描くことで世の中のものを見渡した際の解像度が明らかに上る、と僕は思っている。今の彼は、森羅万象を「ふーん、へぇー」と右から左に聞き流している・見逃している事が多い。でも、絵を描けるようになると、その情報を記憶として留めるように自然となってくるはずだ。
そういう習慣を早くから身につけて欲しい、というのが僕の願いだ。

その成果なのか、最近ようやくタケが自発的に絵を描くこともでてきた。これは嬉しい。
これまで、人物の顔なんて一切描いたことがなかったし、ましてや家族の顔は描こうとも思ったことがないからだ。
人生初と言っていい、人物絵。それにしてはまあまあ描けているのには感心した。
子どもにとって、人間の顔というのは笑顔というのは、平和でとても心温まることだ。(ちなみに彼に昆虫の絵を描かせも、顔が微笑んでいる。ミツバチの絵にも笑顔があったのにはびっくりした)
ただ、家族の数が多すぎる。誰だよ、これ。8名もいるぞ。
おじいちゃんおばあちゃんも描いたの?と聞いたら、「これはタケちゃん。これもタケちゃん」などと言う。どうやら分身の術が使えるらしい。「えっ、じゃあお父さんは?」と聞くと、黒く塗りつぶされた丸を指さし、「これは卵だよ。ここから生まれてくるんだよ」と言う。
絵を描いたのは立派だが、彼の認知能力がどこまでファンタジーで、どこまで妄想で、どこまでが冗談なのか、さっぱりわからない。
(2025.05.28)
コメント