
外出時、親子揃って「連れション」をすることがある。
男親にとって、息子と同じタイミングで並んで小便器に向かうというのは、一種の微笑ましいライフイベントのはずだった。
しかしそのとき、毎回私のプライドを木端微塵に打ち砕くのが、弊息子タケのおしっこの時間の短さだ。
「体が小さいのだから、膀胱も小さくて排出量が少ない」
理論としてはそのとおりなのだが、問題はそんな物理的な容量の差ではない。
それ以前に、「位置について、よーい」から放水を開始するまでに要する時間の短さ、そしてゴールしてからの余韻の短さがダントツなのだ。キレッキレなのだ。
ズボンを下ろしてセットした瞬間、待ってましたとばかりにジャーーとおしっこが出る。
そして、そのおしっこが止まるやいなや、残尿の余韻に浸ることもなく、秒速でおちんちんをズボンに仕舞い込んでいるのだ。
あまりにも早い。ノータイム、ノーディレイ。電光石火の早業である。えっ、雫は?残尿は?と心配になってしまう。
一方の僕はというと、彼がもうすべてを終えて「じゃ、手ぇ洗ってくるわ」とばかりに背中を向けようとするころ、ようやく、本当にようやく、第一波の訪れを下半身に感じはじめる頃合いだ。
この圧倒的なタイムラグは一体何なんだ。
昔、公衆トイレ等の様々な場面で、ジジイの放尿がびっくりするくらいに遅い様を見かけるたび、「なんて有様だ」「一体いつまでチャックを開けたままフリーズしているんだ」と心の中で思ったものだった。
「ああはなりたくない」と強く思ったものだが、一方でそれはどこか自分とは無関係な、別世界の出来事だとも思っていた。道路に「カーッ、ペッ!」と痰を吐き捨てる人のように、一世代以上昔の人ならではの、前世紀の「風習」や「特異体質」の一種なのだと、若き日の私はタカをくくっていた。
しかし、いざ我が子と並んでおしっこをして、まざまざと実感させられる。これぞ、令和最新版の「おかでんの実力」だ。 気がつけば僕は、かつて自分が軽蔑の眼差しで眺めていた「便器の前で虚空を見つめたまま全然放尿しないおじさん」そのものに成り下がっていたのだった。
大怪我をしたわけでも、急病を患ったわけでもない。
だからこそタチが悪い。長い年月をかけて、細胞レベルでジリジリと、しかし確実に今の「遅延モード」へと移行してきたのだ。
日常において、自分の放尿開始までの遅さを自覚する機会など、普通に生きていれば滅多にない。
だからこそ、この現実が意外であり、にわかには受け入れがたいのだ。
私一人でトイレに入っているときは、まだ往生際悪く言い訳を考えてしまう。
「いやいや、エナジードリンクやコーヒーをガブ飲みした後なんて、すぐに膀胱がパンパンになるし、若い頃と変わらず勢いよくおしっこは出るぜ?」と。
そんな、都合の良い特定のシチュエーションだけのファクトを引っ張り出してきては、それが自分の全盛期のキープ力なのだと必死に自分を肯定しようとする。
だが、並び立つ5歳児の圧倒的な「高回転・高速レスポンス」の前では、そんな老兵の言い訳など虚しく霧散する。
息子のおちんちんが「最新型ハイスペック・ゲーミングPC」だとするならば、私のそれは、立ち上がりにやたらと時間がかかり、砂時計マークがグルグルと回り続ける「型落ちのデスクトップPC」だ。
OSの起動(放尿開始)を待っている間に、最新機種はタスクをすべて完了させてスリープモードに入っている。
かつて「ジジイ、はよせえ」と冷ややかな視線を送っていた私が、今や息子に「お父さん、まだ出ないの?」と生温かい目で見守られる側になるとは、因果応報、いや単なる加齢の残酷さか。
(2026.04.01)

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