「うちの子は天才かもしれない」と思うこと

気が付いたら、ソファの上によじのぼっていた弊息子。

登り方なんて教えていないのに、自分の胸ほどの高さがある座面によく登ったものだ。

そして、器用なもので、床に降りるときはちゃんと後ろ向きになって足をソロリソロリと地面に接地させる。わーっとハイハイで突撃して、そのまま頭から転落、なんてことがない。

これをもって「わが子は天才かもしれん」とは全然思わないが、今後子育てを続けていく中でたくさんの「えっ、もうこれができるの!?」という驚きがあるのだろう。そしてそういう体験の積み重ねが、「我が子は天才かも」と親を勘違いさせる理由なのだろう。

どうして「十で神童、十五で才人、二十過ぎればただの人」という言葉が古来からあるのか、ようやく親の立場になってみてわかった。

(2022.02.10)

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