階段をよじ登る弊息子のケツを見ながら焦りを感じる

弊息子のよじのぼり力が増している。一般的な階段レベルの段差なら、登れるようになってきた。

道を歩こうとすると、歩くのをいやがってその場にへたり込んだりワザと向きを変えて逆向きに疾走しはじめる。なのに、階段だけは率先して登っていく。バカと煙と幼児は高いところに登る習性があるのかもしれない。

とはいっても、いつ階段から転がり落ちてくるかわからないので、親は不測の事態に備えて彼のケツを拝む位置でつねにスタンバイしていないといけない。

これまで、タケはロンパースのお尻部分に「ほふくぜんしん」と書かれたものを着ていたし、ズボンもケツのところに「GOOD SMILE EVERYDAY THANK YOU」と書かれたものをはいてきた。ズボンのほうはまだサンキューと言ってくれているけど、ロンパースはすでにサイズがズレてきた。

プリケツのところに「ほふくぜんしん」と書いてあるのがキュートなのだけど、今やその文字プリントが腰の位置だ。そして、彼自身がほとんどほふくぜんしんをしなくなった。

公園では桜の花が散っている。季節は移ろい、子どもは育つ。一方僕はというと、何も進歩していない気がする。いや、進歩はしているのだけど、新しく得た知識が一体何の意味があるのか?と自問自答するようになってきた。

これが50代近くの年齢のリアルなのか、と愕然とする。

テレワーク中心の生活を送っていると、限られたメンバーの同僚と、家族しか話をしない。僕が読み聞きした知識をパートナーのいしに話しても、いしはさほど興味なく「ふーん」程度に受け流されることがある。そんなとき、「あっ、引きこもってネットばっかりやってる人がネットのゴシップにやたら詳しくなっているのと一緒だ」と感じる。他の人にとってさほど関心を持たれないことをべらべら喋る。

子どもはいい。どんどん知識を習得していけば、いずれその知識が何かに結びつく。一方僕くらいの歳になってくると、実体験を伴わない知識ばかりが増大していって、頭でっかちの口うるさい安っぽい批評家みたいになる。今でさえそういう実感があるんだから、10年後20年後になると一体どうなることか。

子どものケツを眺めながら、そんな自分の人生について「うーん」と考え込んでしまった。

(2022.04.07)

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