たとえば、拷問を受ける前のように

弊息子タケを公園に連れて行くと、親が期待している行動とは全然違う動きをするので扱いづらい。

「子どもという生き物は、公園に行くとワーッと走るものだ」「いろいろなものに興味を持って、触ってみたり観察するものだ」というのは極めて牧歌的な発想で、なかなかそうはいかない。

座り込んで動かなかったり、大人からするとどうでもいいような物に固執したりする。

家の中、保育園の中の大人が管理しまくった世界とは物理法則がまるで違う。そもそも、地面が平らではない。細かい段差があるし、傾斜だってある。僕ら大人は水平っぽく感じている道路だって、排水のためカマボコのように外側に向かって傾斜している。そういうのを歩くだけでも、タケにとっては新しい体験だ。

で、新しい体験イコール楽しいもの、というのは大人の勝手な期待でもある。子どもからすると、「なんでこんなしんどい思いをしなくちゃいけないんんだ」と感じることもあるだろう。靴を履くのもイヤだろうし。

そんなわけで、1歳そこそこの子どもを外で遊ばせるのは大変だ。あともう1年経てば、滑り台とかシーソーとか、遊具が大好きになるのだろうけど。

でもむしろ、大変な今こそが「尊い」時期なのかもしれない。物わかりがよくなればなるだけ、大人に近づいていく。

(2022.04.16)

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