
100円ショップの材料で作れるモンテッソーリ教具のひとつ、「ストローをカップに刺す」おしごと。
細い穴に細長いものを刺す、というのは結構たいへんだ。幼児ができないのは当然として、人生経験豊富なお年寄りでも難しいことだ。もっとも、お年寄りの場合は老眼だから、という理由になるけれど。
モンテッソーリはちゃんと弊息子タケにやらせてみたいのだけれど、親が付き添っているというのが大変だ。専業主婦・主夫でないとそんな余裕がなかなか取れない。
最近は、いよいよ僕もテレビの魔力に陥落した。タケを保育園に迎えにいき、病院につれていき、公園で遊ばせ、帰宅してお風呂に入れたあとは「しなぷしゅ」「いないいないばぁ!」「おかあさんといっしょ」のいずれかの番組を見せている。彼がテレビに見入っている間に夕ご飯の支度をしなくちゃいけないからだ。
昔のように、ちょっと距離が開いただけで号泣して後追いしてくることはなくなった。「テレビを見入る」という行為、それだけでもずいぶん成長したなぁ、と思う。昔は番組のオープニングテーマを聞くだけで集中力が途切れて泣くくらいだったのに。
彼の成長は、イコール「親からの離脱への一歩」だと常に僕は思っている。母親であるいしは「可愛い、可愛い」と猫っかわいがりだが、僕はタケに対して「いずれ『親の気持ち子知らず』で僕の苦労なんてガン無視して独り立ちする」という未来像をずっと思い描いている。僕自身、親・・・特に父親から受けたであろう愛情をほとんど記憶にとどめていないからだ。これは父親には本当に申し訳ないと思っている。
今でこそ、頭で考えて「本当に父親には世話になったな」と思えるけれど、リアルタイムでは全然そんなことを思わなかった。親がお世話してくれるのが当たり前、と思っていたからだ。
でも子どもってそんなものだろう。僕も、これからタケからそういう扱いを受けることになる。特に彼が思春期に入る頃には、僕は50代から60代に差し掛かろうとしている歳だ。「老いぼれ」に見えるかもしれない。
そんなことを考えながら、子育てをしている。
(2022.07.23)
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