自分の身は自分で守る(すべり台編)

弊息子タケが滑り台を自由に滑るようになってきた。

最初は親である僕と一緒に滑った。ほどなく、僕が下で待ち構えていたら、自分で滑るようになった。僕は、彼が滑り台からはみ出て転落しないよう身構えている立場だ。何かあったら己の体で転落を阻止する。

一人で滑るようになって最初の頃は、滑り台で滑り始める直前の、「座った状態でケツをモゾモゾさせ、わずかに前進して滑り台に身を乗り出す」ことができなかった。彼は困惑した顔で「どうすればいいの」とこっちを見る有様だった。

ほどなく、己のケツはうんちを放り出すためだけにあるのではなく、滑り台に向かうための推進力にもなることを悟ったようだ。自分で滑り台に進み出て、そのまま滑ることができるようになった。

そこで彼は気がついた。滑り台によって、また滑り台のコンディションによって「やたらスピードが出る」「すべり台の終わりに届く前に減速してしまう台もあるし、スキージャンプ競技のように勢いづいてピョーンと飛び出てしまう台もある」ということを。

ほどなく彼は慎重になった。誰に教わったわけでもないのに、傾斜がキツそうな滑り台を滑るときは腹ばいになって滑ることを始めた。たしかにこのほうが安心だ。

一方で傾斜がゆるい滑り台のばあいは、正攻法のお尻で滑るパターンだ。明らかに使い分けている。どこで覚えたんだろう?

ヒトは他の動物と比べて、生まれてから独り立ちするまで親の庇護を受ける期間が長い生き物だ。でもそれは学校に行ってお勉強をしなくちゃいけない、とか社会の規範を学ばないといけない、というお約束があるからだ。「動く物」と書いて「動物」と読む。「動く物」としては、1歳半くらいでほぼ基本的な動作はできるし、状況把握もできるようになってきたようだ。ちょっとした驚きだ。

だって、わずか半年前にようやくよちよち歩きができるようになったのに、そこからの進歩の早いこと早いこと。体の前後左右のバランスなんて知ったこっちゃない寝たきりでオギャアおっぱいウンチしっこ、の世界からあっという間にここまで来てしまった。

これから発達していくのは、「無駄な動きを削ぎ落としていき、体を動かす上で最短・最省エネの動作を身につける」ことと、「他のことに気を取られてもぶつかったり転んだりしない、マルチタスク能力」なんだろう。これは一朝一夕では身につかず、5年6年くらいかけてじっくり鍛えられていくはずだ。

その過程のなかで、無限に追いかけっこを要求されたり、親として肉体的に大変な時期が来るとおもう。やれ、大変だ。僕はもうそろそろ50歳なんだがなぁ。

(2022.08.04)

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