破壊から創造へ向けた一歩手前

これまでの弊息子タケは、積み木を見せてもガシャーンと倒すことしか興味がなかった。

「ほら、こうやって積み上げると面白いよ」

と実際に見せても、必ず押し倒す。

人間がバベルの塔を作ったように、「高く積み上げる」ことは神をも恐れぬ快楽のはずなのに、なぜだ?

その快楽は後天的に得られるものであって、先天的なものではない、ということなのか。

いずれ積み木を積むようになるのは間違いないけれど、やっぱり目の前でガシャーンと崩されると、親としては残念な気持ちになったものだ。

それが生後1歳半近くになってくると、ようやく積み木を積むことを覚えた。しかも、結構器用に。

これは段階的に習得していったものではなく、いきなりだった。家の積み木に全く興味を示さなくなって放置されていたのだけど、ある日久々に触らせてみたら、いい感じに積み上げる。あ、なんだ、できるじゃないか!と驚き嬉しくなった。

毎日通っている保育園で、あれこれ学んでいるんだろう。親は彼が保育園で実際どういう遊びをやっているのか、ほとんど知らない。保育室に見守りカメラが付いているわけではないし。なので、こうやっていきなり目の前で新手のテクを披露されると、「我が子は天才なのではないか」とほんのすこしだけ考えてしまう。もちろん冗談だけど。

天才と呼ぶには積み上げが稚拙なのと、親である僕は既に次のステップである「積み木でビルやトンネルといった創作物を作って欲しい」という欲望に気が回っているからだ。で、「なんだ、単に積み上げるしかできないのか」とやっぱり残念な気持ちになるのだった。

親の(子供の月齢相当以上の)過度な期待と、現実。そしてある日いきなりブレイクスルーを目の当たりにた驚き。その後にはすぐに次なる親の過度な期待。この繰り返しだ。

そういうものを乗り越えて子どもは成長していく。

ただ、子どもの成長がある程度に至ってもなお、この「親の過度な期待」が右肩上がりだった場合、毒親になってしまう。過干渉で良いことはないので、ある程度まで育ったら傍観者のスタンスに切り替えていきたい。そんなこと、簡単にできるわけないんだけれど。

(2022.08.14)

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