偉そうな顔をしてシガーフライを親に配給する

実家から荷物が届いた。

昭和世代の親を持っている人なら経験があると思うが、昔の母ちゃんというのは、荷物を入れた段ボールの隙間を詰めるためにあれこれと「おまけ」を入れてくれる。僕が学生時代の頃はカップ麺やレトルトカレーが荷物の緩衝材代わりに入っていたし、今だと弊息子タケ用の服とか、昔とは違ったものが入っている。

昔は、そういうゴチャゴチャした緩衝材に対して、「お母さん、いろいろなものを詰め込んだなぁ」と呆れる程度の感情しかなかった。でも、今思えばこれこそが母親の愛情だし、僕のことをあれこれ考えて、遠方の親としてできる最大限のことをしてくれていたのだな、と気づく。

親の愛情というのは、子どもに理解されるまで数十年のタイムラグがある。だから、本当に割に合わない贈与だと思う。

インターネットの普及などであらゆるもののスピード感が向上している現時点において、この「愛情伝達のスピード感」の遅さはコスパ、タイパが悪いと考える人が多くても仕方がない。少子化とか晩婚化の理由はたくさんあるけれど、「スピード感」というのも一因だと思う。そしてこれはもう、不可逆的なもので政府が何か対策を打っても解消するものではない。

それはともかく、今回実家から送られてきた荷物の中に、「梶谷のシガーフライ」詰め合わせが入っていた。

シガーフライとは、スティック上のビスケットで、適度な塩加減と甘さ、そしてサクサクした食感がとても楽しい食物だ。昔からある食べ物だし、値段が安いので一度は食べたことがある人は多いと思う。

このシガーフライを製造販売している梶谷食品は岡山県のメーカーであり、だから今回送ってくれたのだと思う。

お菓子が大好きないしは、このシガーフライ詰め合わせ缶を見て「キャア!」と歓声を上げた。

喜び勇んだのはいしだけでなく、弊息子タケもそうだった。さっそく「食べたいよぅ」とベソをかきながら所有権を主張し、袋を開封したらさっそく自分の手元に袋を引き寄せて自分のものにしてしまった。

「どれだけ食べたいの?」

と彼に聞くと、満面の笑みで両手を広げ、「いっぱい!」と叫ぶ。「一本?二本?」とわざと意地悪な質問をしてみたら、「全部!」と言う。おい、いつの間に「全部」という単語を覚えたんだな。自分の欲望を叶えるための単語だけは覚えるのが早い。

これで本当に彼がシガーフライを独り占めにしたり、シガーフライの袋を握り潰しておもちゃにしはじめたら、その時点でお菓子が入った袋は没収するつもりだった。しかし彼はさすがにその点分別がつくようになっていて、少量ずつ自分のお皿にとりわけ、リスのようにポリポリと食べ始めた。

「お父さんにもちょうだい」

とお願いすると、「いいよぉ」と言って、袋の中から一本取り出して渡してくれる。

「もっと欲しい」

と僕が彼に追加を要求すると、彼は首を捻り、「うーんと、いいよぉ」とさらに1本くれた。自分はこれまで5本近く食べているのに。親のほうがもらえる本数が少ない。

こういう小さいお菓子は、子どもと会話が生まれるから良いと思う。ちゃんとしたご飯の場合、お互いが盛り付けられた料理を黙々と食べるだけで終わってしまうけど、シガーフライだと「ちょうだい」「どうぞ」のやりとりが頻繁に発生する。

僕はこの際だから彼に数字の概念を教えようとして、「シガーフライが1本、2本・・・」と彼の眼の前で数えて見せた。でも、彼は数字には全く興味がなく、僕の努力を無視して自分のシガーフライを食べるのに夢中だった。

今の彼にとっては、厳格に「シガーフライ1本、2本」とカウントされるよりも、「いっぱいほしい!」「たくさん!」と叫んでいたほうが得られるものが大きい。なるほど、たしかに数を学ばないほうが彼にとっては合理的だ。

(2023.06.14)

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