「酸っぱいジュースでーす」

実家のダイニングで、プラスチック製のシェーカーを発見した弊息子タケ。

何故か勝ち誇った顔で、このシェーカーを持ってダイニングをウロウロし続けていた。

もちろん彼は「カクテル」という飲み物も、「バーテン」という職業も知らない。でも、このシェーカーをシャカシャカと振って、その後「ジャー」と擬音をつけて斜めに傾ければ、何か飲み物や食べ物が出来上がるものだ、と理解したらしい。

それ以降、しきりに彼は僕にジュースを勧めてくる。

「ジュースいかがですかー」
「じゃあ、甘いジュースください」

(シャカシャカ・・・)

「ドウゾー」
「ありがとう!いただきます。・・・うわぁ、美味しい!」
「これは酸っぱいジュースでーす」
「なんで?」

彼にジュースをお願いしても、決まって「酸っぱいジュース」か「辛いジュース」が出てくる。しかも僕が一口飲む真似をしたあとになって、種明かしをするように言う。何なんだこのイタズラは。

他にも、「あたたかいジュース」というパターンもあったが、いずれにせよシンプルに美味しいジュースは出てこなかった。「これはなんですか?りんごジュースですか?」と聞いても、「辛いジュースです」などと答えて原材料を教えてくれない。

ワタミ創業者として有名な渡邉美樹氏が、仕事とは『ありがとう』を集めるためにするものだ、と言ったというのはとても有名な話だ(少なくともネット上では)。一方、弊息子タケは「ありがとう」を集めていない。むしろ、おいしくないジュースを提供して「やめてよー!」と大人たちからリアクションされて大喜びしている。

単に美味しい飲み物を提供したことにすると、「ああ、美味しかった。ありがとう」で話が終わってしまう。それだと彼は楽しくないのだろう。それよりも、美味しくない飲み物を提供して、親から大きなリアクションが欲しいのだろう。

子どもと接していてつくづく思うのが、どれだけ親が子に対して様々なリアクション、しかも子どもの目が生き生きとするようなリアクションを返せるかが教育のすべてではなかろうか。

図鑑を買ってあげた、とか娯楽施設に連れて行った、というのはどうでも良くて、そんなことより子どもが話したことに親が「ええ?本当?」と驚いてみせたり、「なんでそう思ったの?」「それはどんな感じ?」と話を膨らませてみたり。

ただ、そういうリアクションは親としてはとても労力が必要なことだ。共働きで忙しく暮らしていると、なかなかできていない。ここ最近、「もっとこうやって子どもに接すればいいんだけどな・・・」という、自分の中の理想と現実のギャップがとても大きくて悩んでいる。

(2023.08.12)

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