驚いた。
弊息子タケ生後2歳7ヶ月、子どもならではの目のキラキラ感で、すばらしいなと日々僕は思う。
でも、それを上回っていたのが生後6ヶ月の赤ちゃんだった。友人が子どもを連れて遊びに来たのだけれど、その子の目がなんと澄んで輝いていることか。
この子が特別というわけではなく、この頃の子どもというのは皆目が輝いていると思う。そして、何の邪神もない、「なんだろうこれは?」という目つきを僕に向けてくる。
それと比べると、さすがに2歳を過ぎた弊息子は、目つきに感情が宿っている。喜怒哀楽だけでなく、「欲望」もちゃんと目で表現される。アダムとイブが背負った人間の「原罪」が既に2歳児には宿命としてインプットされているかのようだ。
しかし生後6ヶ月の子は違う。ようやく寝返りが打てるようになったばかりで、うつ伏せになり、上半身をのけぞらせながら親たちの顔を不思議そうに眺めている。
弊息子は大きくなったとはいえ、まだまだ人格が未成熟だし半人前だと思っていた。しかし、この生後6ヶ月の赤ちゃんを見たあとだと、もうすっかり成熟した一人前に見えてきた。とにかく赤ちゃんは「何者でもない、なにか」という生き物であり、その無限の可能性に驚かされる。弊息子タケは、既に「無限の可能性」を手放したように、僕からは見える。
タケはこの日の話題の中心が自分ではなく、新参者の赤ちゃんであるということをすぐに察知した。赤ちゃんに対する興味と、お兄ちゃんとして世話をしたい気持ちと、嫉妬とが混ざったような状態で、この子の側でウロウロしていた。
この日ばかりは、タケが張り切って「ほら!これができたよ!」とパフォーマンスを見せても、大人たちは今までのように大喜びしない。むしろ、何も出来ない、無力な赤ちゃんの方を相手にする。タケからすると、「なぜなんだ・・・」という疑問を強く感じた一日だっただろう。
(2013.10.07)
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