SL体験

弊息子タケがしきりに「シュッシュッポッポに、のりたーーーーい」と言う。

これまで、彼が「新幹線に乗りたい」というから東北新幹線に乗って旅行し、「飛行機に乗りたい」というから飛行機に乗って帰省し、できるだけのことはしてきた。

自分が2歳のときの記憶なんて、大人になった時点で全く覚えていないはずだ。だから今の彼にあれこれ体験をさせることにはあまり意味がない、と僕は思っている。公園を走り回るとか、家でパズルをやるとか、そういう体験は後へと蓄積されていく体験だから意味はあると思うが、「乗り物に乗る」という一過性の刺激体験を幼児に与えても、どれほどそれが彼の記憶と魂にとどまるのかは疑問だ。

もちろん、お金と時間が潤沢にあるなら、いろいろな場所でいろいろな体験をすればいい。冬はスキー場に行き、夏は海水浴場に行き、時には海外旅行にも行く。最高だ。でも、限られた予算と時間しかない僕らにとって、我が子どもが思いつきで言う「乗り物に乗りたい」といった願望を叶えるかどうかは、慎重に考えなければならない。

にもかかわらず、結果的に彼をSLに乗せた。

子どものリクエストに対して、親として甘い判断をしてしまったと思う。これが親の宿命なのか。

子どもの「食べたい」「遊びたい」「寝たい」といった願望は、本当に純粋だ。大人の場合、忖度や遠慮、打算などいろいろな思惑がうごめいた挙げ句に言葉として欲求を口に出すが、子どもの欲求は単純明快で、まっすぐだ。そんな素直な欲求に対しては、つい応えたくなる。

彼にとって人生初のSLは、僕にとっても人生初のSLだった。僕が子どもの頃は、あちこち親に連れて行ってもらった記憶があまりない。自分で遊び方を開発し、自分で遊ぶしかなかった。それが21世紀の今じゃ、親が過干渉になって、子どもにあれもこれもと体験と遊びを提供し続けている。僕は親として、本当にこのやり方で良いのだろうか?と疑問に思うことがある。いろいろな体験を彼にさせることが、むしろクリエイティビティを損なわせているのではないか?と。

憧れのSLに乗った弊息子タケは、窓からちょっとだけ顔を出し、前を走る機関車の勇姿を見ようとしていた。すると、機関車の煙突から吐き出された黒煙と石炭カスが飛んできたようで、彼は「あああー」と言いながら目を覆い、座席に倒れ込んでしまった。普段乗車する電車では絶対に味わえない、痛みを伴う体験となった。

(2023.11.04)

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