病み上がり、博物館に行く

弊息子タケ、久しぶりの体調不良。2歳になってから体調を崩すことがとても少なくなり、親としてはほっとしているところだったので、「おっ、久しぶりだな」感がある。

振り返ってみると、生後半年から1年くらいはよく体調を崩した。母親から受け継いだ免疫機能が切れてきて、外界のウイルスにさらされる期間だったのだろう。また、0歳のときから保育園に通っていたこともあって、菌をうつしたりうつされたりを繰り返していた。だって、唾液ダラダラでおもちゃを舐めているような子ども同士がおなじ空間にいるんだから、どんなに保育士さんが衛生管理に気をつけてもどうにもならない。

保育園への登園を再開するタイミングは「体調が回復次第すぐに」、というわけにはいかない。病み上がりの人がクラスメイトに菌をばらまく可能性があるため、保育園からは「登園の判断は身長に」と重ね重ね、親に通告が来ている。

そうなると、子どもが元気を取り戻してから登園再開まで1日ほど、暇を持て余す空白時間ができる。もちろん子どもは退屈でウズウズしている。闘病中も退屈だったのだから、元気になったらなおさらだ。

そこで今回、僕は彼を博物館に連れて行った。家の近くにある博物館で、ここにたどり着くにはさほど時間はかからない。

ゴホゴホ咳き込んでいる病み上がりならまだしも、元気を持て余している病み上がりなら、博物館や美術館はちょうどいい。屋内の空調がきいた部屋で、静かに時間を過ごせるからだ。もちろん、タケは僕が抱っこし、彼を自由にはさせない。

図書館の場合、本や机を触って、菌をあちこちに付着させる可能性がある。病み上がりの人が行くには、ちょっと周囲への影響度合いが高い。その点、美術館や博物館は何も触るものがない。

2歳児が博物館の展示を見ても、楽しいと思えるものはほぼ皆無だろう。とはいえ、僕が彼を頻繁にこういった空間に連れて行くのは、世の中には自分の理解を超えた、膨大な知と経験が溢れていて、自分が見えているのはちっぽけなものだ、ということを子どもなりになんとなくわかって欲しいからだ。今のうちから博物館の薄暗い部屋と、膨大な展示物がある空間に慣れておくと、後々きっと良いことがあると思っている。サブリミナル的に。

彼が子どもにとって陰気な展示物に飽き飽きしないように、僕は早足で展示室を歩いていく。特に書が展示されているところは近寄りもしない。子どもにとって理解できないから。仏像なら立ち止まって見る。絵はケースバイケースで、子どもにとって難しい絵はスルーする。

そして、あっという間に展示を見て、とっとと帰宅する。病み上がりなんだ、長居は無用だ。

写真は、国宝の長谷川等伯「松林図屛風」。2歳児に、この絵をいくら解説したって彼は理解できないだろう。でも、「何か見た」ということが頭の片隅にでも残ればいいと思っている。

翌日、彼に「昨日、博物館行ったよねー?」と声をかけたら、「覚えてない」と言われた。まあ、今のうちはそれが現実だろう。凝りずに今後も続けていく。

(2024.01.26)

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