子どもの成長とともに、むしろ親の体力は使わなくなってきたのかもしれない

子どもを公園に連れていくと、子どもから追いかけっこをせがまれたり「自分が滑り台に登るのでお父さんもついてきて」とばかりに「こっち来て!」と言われたりする。

子育てに体力がいるのは事実で、僕のように50歳が男の子の子育て、特に遊びに付き合うのは大変だ。幸い、僕はパートナーがまだ若いので、力仕事は彼女がやってくれている。子どもが「まだ公園にいたい」と泣いて暴れているのを担ぎ上げて家に連れ戻したり。

パートナーのいしは、「少しでもタケを抱っこしていたい」と常に願っている人であり、たとえ彼が15キロを超える体重になっても、抱っこ・おんぶを積極的にする。その点僕は助けられている。とはいっても僕も彼を抱っこしたい気持ちが強いので、結局いつも彼の取り合いになっているのだが。

それはともかく、子どもに付き添っての公園遊びというのはもっともっと体力を使うものだと思った。特に子どもが3歳、4歳と成長してくると、ますます疲れるものだと思っていた。しかし、どうやらそういうわけではないことに気がついた。

というのも、最近の彼は「見て!見て!」と自分が遊具で遊んでいる勇姿を見て欲しいという立場に変わってきたからだ。これまでは「一緒に走り回って!」ということを要求していたのに、じわじわとスタンスが変わってきた。

なんなら、親に見てもらわなくても一人で遊び回っている。公園に大きな遊具があったら、中毒にでもなったかのように遊び回っている。

そうなると、親としては彼を追いかける役から見守る役に変わってくる。

具体的には、遊具の要所要所に夫婦それぞれが立って彼の動きを観察し、別の子とぶつからないか、どこか別のところにフラフラと歩いて行って迷子にならないか、じっと動かないで見ているようになった。

それだけだと芸がないので、滑り台のところで交通整理をして、前の子が完全に滑り終わったところで「どうぞー」と声がけをやったり、「走れ 走れ!」と彼をけしかけたりする。でもその程度だ。

楽だけど、子どもの親離れのステップの一つなのだなと思うと残念な気持ちにもなる。でも仕方がない。

以前、近所の大きな公園を近くの高いところから見下ろした際、子どもの保護者数名が公園のど真ん中で立ち話をしていたのが印象的だった。ボール遊び禁止の公園なので、公園中央の空き地はただただがらんとしていたからだ。そんな中央でなんでオカアサンたちがぎゅっと集まっているのか、当時は謎だった。

でも今ならわかる。真ん中に立っていないと、公園中を走り回る我が子を見失ってしまうからだ。すみっこのベンチに座っていたりすると、死角が発生してしまう。なので、できるだけ公園真ん中で、我が子がどこに行っても、どの遊具で遊んでも目で追えるようにしていたのだった。

(2024.02.18)

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