子どもの画角は広角になる

自宅のリビングには、Amazon製のディスプレイ付きスマートスピーカー、「Echo Show8」を設置している。

家中のスマートデバイス類のコントロールに使っているだけでなく、実家の父母へのテレビ通話としても使っている。でも、もっとも使われているのが、フォトフレームとしてだ。

Amazon Prime会員向け写真クラウドストレージ、「Amazon Photo」に保存した写真をEcho Showに表示する機能があるのだが、この機能がとても重宝している。1年前の今日、2年前の今日・・・と、過去の同じ日の写真もランダム表示してくれるからだ。子育て家庭の場合、我が子の成長がよくわかるのでとてもいい。

ただ、もし僕が孤独で暮らしながらこのデバイスと機能を使っていたなら、自分の老いを目の当たりにする羽目になって気分が滅入ると思う。Amazon PhotoとEcho Showの連携が楽しいのは、ケースバイケースだろう。

弊息子タケ3歳。育ち盛りとはまさに今この瞬間のことを指す言葉だと思う。日々成長著しく、この数カ月間であっという間に親と言語コミュニケーションが当たり前にできるように進化した。

言葉を覚えると、人間として社会生活を営む上でのあらゆる基礎能力が身についてくる。2歳の時点で「もはや赤ちゃんではない」という感覚が親の僕らにはあったが、3歳になると「既に、親離れした別人」という感覚がましてくる。少し寂しいものだ。

一方で、子どもに習いごとをさせようとか、公園に連れて行って遊ばせようとか、家事のお手伝いをやらせようとか、親が子どもに学ばせていることは独り立ちを促すものばかりだ。子どもは可愛いのに、子どもにお金と時間をかけて親離れをさせようとするのだから、倒錯していると思う。

それはともかく、昔のタケと今のタケの写真を見比べると、昔の写真のほうがむしろ迫力があることに気がつく。初々しい赤ちゃんだから可愛い、というだけでは説明がつかない迫力だ。

なんでだろう?と思って昔のタケと今のタケの写真を見比べてみると、画角がそもそも違うことに気がついた。昔は、かなり「寄り」の画角。今はかなり「引き」の画角になっている。

無意識のうちにそういう撮り方をしているのだが、Echo Show8のような8インチディスプレイを遠目で見ると、全然見え方が違う。もちろん、寄りの画角である昔の写真のほうが「おっ」と目を惹く。食事中とかでも、思わず目がその写真の方に向いてしまう。

これは自分のスマホで写真を見るときにはあまり意識しないことだ。スマホと自分との距離を微調整するからだ。また、パソコンだと画面が大きいので、そもそも画角の違いは気にならない。

子どもの成長とともに画角が変化したのは3つの理由があると思う。

  1. 子どもとのパーソナルスペース
  2. 子どもの移動スピードと、行動の予測不能性
  3. 状況説明としての写真

1の「子どもとのパーソナルスペース」は、まだ赤ちゃんを相手にしたとき、もちろん赤ちゃんとの距離はとても近い。必然的に寄りの画角になる。しかし、子どもの成長とともに子どもはあちこち動くようになり、親と子の物理的な距離が離れていく。画角が引きになるのは、子どもの親離れの証でもある。

2の「子どもの移動スピードと、行動の予測不能性」は、子どもが動き回るので写真を撮るならカメラマンが後ろに下がっている必要があることを指す。とにかく子どもという生き物は、「走るか、止まるか」しかない。ゆっくり動く、ということが苦手だ。なので、「さあ、写真を撮ってやるぞ」と親がカメラを持って身構えるとなると、かなり子どもと距離を空けておいたほうがいい。特に子どもはどういう動きをするのか見当がつかないので、あらゆる動きに対応できるような距離が必要になってくれう。

3の「状況説明としての写真」は、子どもの成長とともに「今日は動物園に行きました」などと行動範囲が広がることによって生じる。動物園に行ったという状況を記録として残すために写真を撮るため、子どもの姿+動物園の看板が一緒に写るような画角となる。赤ちゃんのときは、単に「抱っこされて泣いています」なので周囲の様子を写す範囲が狭いのだが、3歳くらいになると「身長100センチ近くの子どもと、170センチ近くの親と、頭上高いところにある施設の看板が1枚の写真に収まる画角」が必要になる。

あと、0歳児は顔がドアップでも絵になるが、3歳児はドアップがちょっとキツくなってくる。「ドアップがキツくなるのは老いてきてから」だと思っていたが、3歳でも既にキツいとは予想外だった(これはあくまでも僕の主観)。

何がキツいのかというと、3歳児になるとカメラに対して色気が出るというか、ふざけてやろうとしてヒョットコみたいな顔をしてみたり、親に反発して目線を反らしたりすることが多い。3歳児のヒョットコ顔はそれはそれでかわいいものだが、0歳児の豪快なギャン泣き顔のような無垢さはもはやない。

「ただ、泣くしかない!」という赤ちゃんの顔は、今写真で見返しても本当にすごい。生命そのものを目の当たりにしているという実感がある。こういう「命、むき出し」感が2歳くらいからだんだん和らいできて、3歳の今じゃ、いろいろ思惑にまみれた顔をするようになった。

昔と今の写真を対比すると、いろいろ気づくことがあって面白い。Echo Showを導入しなくてもよいが、Amazon Photoのサービスは使ってみることをおすすめする。

(2024.04.10)

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