感心するのが、子どもというのは3歳になる前から神経衰弱をなんとなくできる、ということだ。
もちろん、2歳の段階の子どもは「ルールがあるゲーム」を理解できない。「勝ちと負け」がある、という概念もまだ難しい。でも、裏返ったカードを表にし、同じ柄のものが見つかると喜ぶ。本能的な快楽なのだろう。
ただ、カードを順番こにひいていく、といったお作法は何度いっても理解できない。それが2歳児クオリティ。
でも、3歳半くらいになると、自然とこのゲームのルールを理解していた。
まだゲームの法則性とか勝ちパターンを理解できていないので、めくるカードはあてずっぽうだ。でも、子どもならではの強烈な記憶力で、随分前にめくったカードの柄を覚えていて的確に拾い上げることもできる。これには大人はびっくりだ。
なるほど、こんな記憶力があるからこそ、日本語という難しい言語を身につけ、さらに森羅万象の法則性をも理解していくのか。
瞬間的にきらりと光る記憶力を発揮するものの、大人に勝てるわけがない。もちろん、タケの負けだ。
いや、4名で神経衰弱を遊んでいたので、負けたのは3名。タケはそのうちの1名にすぎない。
それでも、彼は号泣した。涙をボロボロ流し、大泣きした。
「なんで泣くんだよ」と大人達が呆れるレベルで、ないた。
悔しい、という気持ちが3歳半の子どもにどこまで備わっているのか、親である僕でもよくわからない。もし「悔しい」という感情があったとしても、大人における「悔しさ」とはちょっと感じ方が違うはずだ。なぜなら、悔しさは、過去の経験や知識、規範や倫理観といったものを総合的に加味して感じる、高度な感性だからだ。
おそらく、神経衰弱というゲームのラストに衝撃を受けたのだろう。このゲームはカードが残り少なくなったところで、同じ人がぽんぽんぽんと立て続けにカードを総取りして他の人は呆気にとられながらそれを眺めているしかない状態になる。
3歳児タケも、この圧倒的な状況に為すすべなくただ眺めていて、負けが確定した時点でそのショックから泣いてしまったのだろう。まあ、それにしてもよく泣くこっちゃ。
最近の彼は1日に1回以上は泣く。自分の思い通りにいかなかったら、べそをかくか、または泣く。彼にとっては世の中楽しくもあり、自分の好きに遊べない理不尽な世界でもある。
(2024.10.06)
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